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(6)月夜の中で

 少し早い月が、東の空から薄闇の中に立つ私たちを照らし出している。


 地上には色とりどりのネリネが咲き、白い月の光でどれもがダイヤモンドの粉をかけられたように輝いている。


 その向こう。ネリネの園を囲む高い(もみ)の木の間から現われたレオスが、黒い髪を夕風に流しながら私を見つめていた。


 ――レオス?


 だが、夕闇の中、こちらを見たまま微動だにしない。まるで動くことを忘れてしまったみたいだ。


 月に輝くネリネの側に立つ私をじっと見つめたまま、息をすることさえ忘れてしまったかのように、視線を注ぎ続けている。


 なにを見ているんだろう。


 宿舎のある騎士棟って反対側じゃなかったっけ? ああ、いやそういえば、この側の道は騎士の見回りコースに入っていたような気がする。


 私が帰ってこないから、一人で回ってくれていたのかな。


 一緒に回る私が遅くなってしまったから――と、ここまで考えたところで、はっとした。


 まずいって!


 今の私の姿は、完全に女のものだ。さすがに、化粧と着飾った姿で、すぐに気づかれたとは思わないけれど、慌てて肩に羽織っていたショールを頭からかぶる。


 頼む! お願いだから、私だとは気づいていないで!


 レオスの怒った顔を思い出して、ひいいと心の中で叫ぶと、急いで目深にかぶったショールで顔を隠す。そして慌てて逃げようとした。


「危ない!」


 けれど、その瞬間、後ろからまるで剣が風を切るような音が聞こえた。はっとして急いで身を翻すと、さっきまで私のいたところを銀色に光る刃が掠めていく。


 ドレスのレースが、闇の中で剣圧に大きく揺れている。


 危なかった! 


 あと一瞬だけ身をかわすのが遅かったら、確実に肩から切られていただろう。


 だが、全身に黒い服を纏った刺客は、飛び下りた私の後ろの太い枝から着地すると、そのまま私に向かって剣を向けてくるではないか!


 黒い闇を切り裂くようにして、私の胸に白刃を突き立てようとしてくる。


 くそっ! 


 剣さえ持っていれば、今すぐ戦ってやるのに!


 それなのに、持っているのは袖に仕込んである短いナイフしかない。


 できるか、これで!?


 ままよと袖からナイフを抜こうとしたところで、後ろから駆け寄ってきたレオスが、私の前で刺客の剣を鋭い音で受け止めてくれた。


 さすが、脛毛と胸毛以外は持っている男! 剣の速さと不憫さはほかの追随を許さない!


 一瞬の反応速度で私を背に庇うと、そのまま二度三度と刺客と剣戟を交わしている。どんどんと闇が濃くなっていくネリネの園に、剣と剣がぶつかる金属の音だけが響き渡る。


 戦いで踏み荒らされたネリネの香りがむせ香るようだ。ネリネ自体には香りはほとんどないが、踏みつけられた茎から草の汁が漏れているのだろう。


 強烈な草の香りが、秋の宵の中に広がっていく。


 だけど、さすが腕はレオスのほうが上で、押している。これなら、負けることはないだろう。


 目の前の勝負の様子に、少しだけほっと息をついた時だった。


 横から、もう一人気配がすると、月明かりの闇の中に大きく振りかぶる銀色の弧が見えたのは。


「あぶないっ!」


 咄嗟に袖に隠していたナイフを引き抜くと、短い刃を、私は今まさに左横から剣を振り下ろされようとしていたレオスの頭上に掲げた。


 もう一人いたのか!


 やっぱり王妃からの刺客か!?


 けれど、闇の中から黒服で現われた男は、考える間もなく太い剣を振り下ろしてくる。


 まずい! 得物の長さが違いすぎる!


 刃の噛み合う鈍い音が響く。


 いつもと同じように体術を駆使して、男の剣の勢いを横に逸らそうと思ったのに、勢いを殺しきれず、相手の剣の中ほどが私の右腕を掠めていく。


「くっ――!」


 重なったレースを引き裂いて、青い絹の間から赤い血が滲んだ。


「貴様!」


 だけど、その瞬間最初の一人を仕留め終わったレオスが振り向いて、素早く刺客の肩を突いた。


「ぐっ……!」


 くぐもった叫びでよろめくと、急いで刺客が背を向ける。そして暗がりの中に逃げこむようにして走り去っていく。


「待て!」


 だが、追おうとした私の背に似た言葉がかけられた。


「待って!」


 え? なんだ?


 不審に思って振り返ると、レオスがひどく切羽詰まった顔で、私を見ている。そして、瞬きをしている私に近づくと、静かに先ほど切り裂かれた私の腕を取った。


「怪我が――。早く、手当てをしないと」


「ああ。これぐらいたいしたことはないから」


 本当にただのかすり傷だ。たくさん重なったレースが剣の切れ味を少し邪魔してくれたのだろう。赤い血が滲んでいるとはいえ、本当に皮膚一枚を切り裂いただけだ。


 それなのに、レオスは、まだじっと私の腕を見つめている。


「すまない――俺を助けてくれたせいで」


「え?」


 そんなことを気にしていたのか? ほんの昨日、本気で戦った間柄だというのに――。


 思わず目をパチパチとしたが、レオスは自分のポケットから綺麗に畳まれた藍色のハンカチを取り出した。それを片手で器用に広げると、まだ握ったままだった私の腕の傷口にあてる。


「痛くないか?」


 尋ねながら巻いてくれる手つきはひどく優しい。布を縛る感覚に、私が少しでも痛みを感じないように気遣ってくれる指先を感じ、なぜか少し胸が跳ねた。


「平気だ」


 ――砦では怪我をしても、男と同じように思い切り縛られて肩を叩かれていたのに……。


 それなのに、こいつの指先は私の傷には決して触れないように、月明かりの中で繊細な動きをしている。


 されたこともない扱いに、なぜか妙な照れくささを感じながら、いつもどおり綺麗すぎる顔を見上げた。


 視線を上げた先ではレオスが、なぜかひどく辛そうに私の傷を見つめている。雲の隙間から洩れる微かな月明かりの中で、真摯に見つめてくる視線に、なぜか鼓動が跳ねた。


 だが、その瞬間、雲間に隠れていた月が姿を現した。それと一緒に、レオスの顔も、月明かりに照らされて暗闇の中ではっきりと映し出される。きっと目の前にいる私の顔もそうなのだろう。


「君は――――」


 月の光に腕の怪我を見つめていたレオスの視線が上がり、周りをネリネに包まれた私の顔に止まると、そのまま動かなくなる。


 その瞬間はっとした。


 そうだった! 今の姿はいつもと違うんだった!


 しかも、かぶっていたショールも戦いの間に頭からずり落ちてしまっている。


 まずい!


 ばれたら、騎士資格取得どころじゃない!


 だから、急いで立ち上がると、そのまま駆け出した。


「あ、待って!」


 レオスの声が後ろから追いかけてくるが、冗談じゃない!


 ここでばれてたまるか!


 必死に庭を走ると、そのまま宮殿に飛び込んで、急いでマリエルの部屋を目指した。


 そして階段を上りきったところで、マリエルの部屋に続く通路の扉をばたんと閉める。


 大丈夫。追いかけてはこない。


 でも、と額からは冷たい汗が流れてくる。


 大丈夫だよな? 私だと気づかれてはいないよな?


 ――どうしよう……。もし、私だとばれていたら……。


 背中を冷や汗が伝い落ちていく。


 ばれたらここで、騎士として生活しながら、マリエルの身代わりをすることは絶望的になってしまうだろう。


 ――でも、それ以上に。女とばれていなかったら。


 どうしよう! あいつあんなに女顔を嫌っていたのに! 女の格好をして楽しむなんて、男らしさに憧れていたんじゃないのかと絶対にすごく軽蔑する!


 それは嫌だあ!


 せっかく、仲間と認めてもらえたのに!


 嘘じゃないんだよ! 手に入らない胸毛や脛毛に憧れているのは。


 だから、頼むから怒らないでくれと、女装好きの変態という烙印一直線の冷たい視線を想像して、私は扉の向こうで身悶えた。


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