(1)私が来たのは、就職活動です!
目の前で開けられていく封書をドキドキしながら見つめた。
今、私がいるのは王都にあるホワイユ離宮だ。
広大な庭に囲まれた離宮の書斎で、緑の布が張られた椅子に座った男は、両手を樫の机の上に置きながら、今私が渡した手紙に書かれた文字をゆっくりと追っている。
「アンジィリーナ・ラルジャン。サーシェカット領グアンドロ砦の生まれ」
書かれた内容を読む男の紫の瞳が、薄茶の髪の間から見上げてくるのに緊張してしまう。
「父は、砦で代々騎士隊長を勤めているラルジャン家のダリアス。母は、ブランシュ。あと一人。兄にディミトリーと書かれていますが」
ちらりと見上げて訊かれる言葉に、私は慣れない華麗な部屋に立ち続けたことで、口いっぱいに溜まっていた唾を大急ぎで飲み込んだ。
「は、はい! ですが、兄は先日砦に来られた海軍将軍の娘と恋仲になり――」
「それで婿養子に入ることになったので、ラルジャン家の騎士の称号を娘の貴女が継ぎたいと」
「そのとおりです!」
後ろで括った金の髪が乱れるのもかまわずに、思わず握り拳を作って叫んだ。
兄に突然降って湧いたこのめでたい話、家族の誰も反対はしていない。
むしろ兄の良縁には、周り中が祝福をしていた。けれど誰もいなくなった夜に、父が火の消えかけた石造りの暖炉の前で、跡取りがいなくなったことに溜め息をついていたのは知っている。
――だから、私が!
兄に代わってラルジャン家を継ぎ、立派な騎士になってみせる!
幼い頃から砦で育ち、兄と一緒に父の仲間の騎士たちにまざって毎日剣や弓の腕を磨いてきた。いいや、兄のことがある前から騎士になるのは密かな夢だったと言ってもいい。
だから、女性である自分が騎士になる許可をもらうために、母から紹介された伝手を頼って都に手紙を出したのだ。
――ただ、それがなぜか直接面接をするので、都に来るようにと言われたのだけれど……。
気合を入れた騎士見習いの服装で訪ねた、新女王の後見人というウィリルに頷いた。
「はい、よくわかりました」
しかし、目の前に座っているウィリルは、今も緊張して立っている私に、にっこりと食えない笑みを浮かべている。
「お話は承知しました。では、貴女、女王様の身代わりってできますか?」
「は?」
一瞬で話が見えなくなった。
今言われた単語を思い出して、ゆっくりと天井を見上げる。上げた視線の先では、天井に描かれた円形の装飾の中心から垂れ下がったシャンデリアが、窓から入ってくる太陽の光にきらきらと輝いている。
もうすぐ冬が近い。その陽の光に反射したシャンデリアの煌めきは、まるで水が輝いているみたいな波の模様を天井に描いて、華やかに揺れている。
見ながら考えてみたが、やっぱり頭の中で話が噛み合わない。
「すみません、聞き間違えたみたいです」
視線を元に戻して謝ると、さらに相手の顔がにこやかになった。
「いえ、多分聞き間違えてはいませんよ? 私は、貴女に女王様の身代わりをしてもらえるかと尋ねたのです」
――はい!?
「あの! 私はここに騎士資格の許可を求めに来たんですが!?」
「はい。ですから、これは控えめに言って交換条件と思ってくれたらいいです」
「交換条件って……!」
――まるで脅迫じゃないか!
とは思ったが、さすがにそれを新女王の後見人に向かって口には出せない。
しかも、瞳だけが笑っていない顔で、こちらを見ているのに嫌な予感がする!
だけど、どうする!?
まさかこんな事態は予想していなかった。だから自分を落ち着かせるためにも、ゆっくりと左手を持ち上げる。
「ですが。あの、それは問題点があると思うんです」
「それはそうですね」
よし! 話は通じそうだ!
「しかし、私が見たところ、そんなに大きな問題点はなさそうですが」
「いえ。いろいろあるでしょう、どう考えても」
なにを考えているんだ、この男。思わずずいっと身を乗り出すと、相手は私を見て、ああと頷く。
「一番の問題というと、女の格好をすることですか?」
ちょっと待て!
「あの、一応、私は今も女なんですが……」
なんで一番の問題点にそこに挙げた! 確かに今着ているのは、騎士見習いの礼装だが、こいつ本当に私の性別をわかっているのか!?
「すみません。今女性の格好をしていないので、ひょっとしたら、なにか宗教的な理由かと思いました」
「日々男装をするって、どんな宗教ですか」
「世の中は広いですからねえ。だとしたら、やはり肩幅ですか?」
「足幅ならともかく、なんで肩幅!?」
誰がそんなところまでチェックをしているんだ!?
「ああ。服のサイズに自信がないのかと思いまして」
「それって、暗に私にダイエットを勧めています?」
「それ以外の場所で言うとセクハラになるかと思い」
「絶対に気遣う場所が違うとは思いますが、お心遣いは感謝いたします」
だけど!
思わず、だんと両手を重厚な樫の木の机の上に置いた。
よく磨かれた高級品だが、今はそのことを気にしている暇はない。
「そうじゃなくて!」
「ああ、セクハラになるかと思って黙っていましたが、安心してください。上半身の一部はもっと肉がついていても大丈夫ですよ?」
「むしろそこを気遣ってください!」
悪かったなあ! どうせ胸囲は、人より貧相だよ!
半分涙目になりそうだが、肝心の問題はそこでもないんだ!
気分を立て直して、前に座っている新女王陛下の後見人に向き直った。
「そうじゃなくてですね! お噂では、新女王陛下は若く美しく、誰よりも聡明で雄々しい女性だそうじゃないですか!?」
「はい。私が全力で自慢をしましたので」
――おい。
「実像の三倍ほどの効果があるとよく言われます」
「それって、誇大広告」
つい呟いたが、机の向こうでウィリルは、にっこりと笑っている。
「とんでもない! 姫は今十六歳ですが、私が今までに見たこの世の女性の誰よりも美しいです! 子供の頃吼える犬に、泣きながら立ち向かった勇敢さは賛美に値するものでしたし、たった四歳で書き始めた文字の殴り書きの美しさといったら――これ以上素晴らしい姫はいません!」
「うん。親馬鹿全開の視点ですね」
「賛同してもらえて嬉しいです。ただ、なぜか、これが姫が剣を持ては戦神の如き剣姫で、法律をすべて修めた七か国語を操る美女という噂になっていて困っているのですが――」
「うん。誰が犯人かすごくよくわかる話です」
思わず半眼になりながら、深く頷いてしまう。ここまではっきりしているのに、まさかこの人自覚がないのだろうか。
だが、目の前でウィリルは窓辺に立つと、端整な顔でふうと溜め息をついた。
「しかし、そのせいで姫のお命が狙われることになりました」
「えっ、命が?」
「はい。もう巷でも知られている話なので今さら隠す必要はありませんが、姫は先月亡くなられた前王の庶子です」
「庶子――」
「つまり愛人との子供です。ですが、王との間に四人の子供をもうけた王妃様にしてみれば、庶出の姫を女王にという前王の遺言が信じられなかったのでしょう。そのため、まるで姫の化けの皮を剥がそうとするかのように、毎日刺客が送り込まれてきています」
「うん。なんか、背後の疫病神の正体が見えた気がします――」
絶対にこの男が、姫の災厄の原因じゃないか。半分は、面倒な遺言を残した誑しの父王だとしても。
「だから」
窓辺に立つウィリルは、にっこりと紫の目を細めて振り返った。
「アンジィリーナ。貴女の騎士資格を認めるには、女王として戴冠されるまで必要に応じて、姫の代役を務めること。これが必須条件です」
完全な脅迫が来た!
がんと頭を殴られたような衝撃に眩暈がした。
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