4章12節「守る者と率いる者」
ビョルンが目を覚ました時、最初に感じたのは、自分の身体ではない誰かの柔らかな温もりと、むせ返るような女たちの匂いだった。
見慣れないテントの天井。
そして、自分の両腕に、すがるようにして眠る三人の女たちの寝顔。
昨夜の狂乱の記憶が、鈍い頭痛と共に蘇ってくる。
彼は「そっか……」とポツリと一言つぶやくと、彼女たちを起こさないようにそっと起き出した。
その日から、ビョルンの日常は、静かに、緩やかに変質した。
あの夜を境に、三人の未亡人たちは、彼の生活のあらゆる場面に関わるようになった。
朝、彼がテントから出ると、焚き火の前にいた一人、リーダー格のアンナが静かに声をかけてきた。
「……おはよう。起きたのか。朝餉の準備はできている」
食事の時間になれば、手際よく彼の分の食事が無骨な木の皿に乗せられて手渡される。
「ほら、冷めないうちに。しっかり食べないと、身体がもたないよ」
と、別の女、マルタが言う。
彼がバスターソードの手入れを始めれば、三人目のリリアがやってきて、
「あなたの服、ずいぶん汚れているね。よかったら、洗っておこうか?」
と尋ね、彼が頷くのを見て、黙って汚れた衣服を回収していく。
「おいおい、ビョルン。いきなり三人かよ。隅に置けねえな、お前も」
その光景を遠巻きに見ていたサムは、ニヤリと笑ってそう茶化した。
だが、それ以上は何も言わなかった。
この北の辺境、特に傭兵団という閉鎖社会において、力のある男が複数の女性を実質的な庇護下に置くことは、その男の実力を示す、一つのステータスですらあったからだ。
ビョルンは、恥ずかしそうに笑うだけだった。
彼は、団から支払われる給金や、作戦成功の報奨金を、革袋ごとアンナに渡した。
金銭の管理など、彼にとってはもはや些事でしかなかった。
潤沢な資金を得た彼女たちの立場は、団の兵站を担う女性たちの中で、瞬く間に向上していった。
そして、サムはビョルンの功績と、その新たな関係性を、一つの合理的な判断として認め、彼に専用の個人テントを割り当てた。
その一事からも、サムがビョルンを特別視していることが、団の誰もに明らかとなった。
ビョルンは、徐々にではあるが、団の中で特別な存在として認められていった。
やがて、グローマルク平野に本格的な冬が到来した。
厚い積雪は、両国の軍事行動を完全に停止させ、戦場は長い休戦期間に入る。
「―――ビョルン、司令部へ行くぞ」
ある雪の日の朝、サムがビョルンのテントを訪れた。
最近、サムは司令部へ赴く際に、ビョルンを伴うことが多くなっていた。
黒鉄砦で開かれた作戦会議から戻ったサムは、団員たちを前に、冬の間の計画を発表した。
「例年通り、交代でグレンガルドへ戻る。食料の調達と、てめえらの羽を伸ばすためだ。第一陣は、明後日出発する」
そして、サムはビョルンの肩を力強く叩いた。
「その第一陣の隊長は、お前がやれ。ビョルン」
それは、命令だった。
そして、彼の戦闘能力だけでなく、指揮官としての資質をも試そうという、サムなりの評価試験でもあった。
部隊は、護衛兼休暇として十名ほどの男性団員と、買い出しや街との連絡役を担う十五名ほどの女子供たちで編成された。
もちろん、ビョルンの庇護下に入った三人の女たちとその子供たちも、その中に含まれている。
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出発の朝。
ビョルンは、先頭に立ち、慣れないながらも部隊に指示を飛ばしていた。
その顔に、感情こそ浮かんでいないが、かつてパーティーリーダーとして仲間を率いたアキラの経験が、その思考と行動の端々に、最適化された手順のように滲み出ている。
「よし、出発する」
彼の、低く、静かな号令と共に、小さな一団は、雪に覆われた平原を、自由都市グレンガルド目指して、ゆっくりと歩み始めた。
駐屯地からグレンガルドへの道のりは、平時であれば三日の距離だ。
しかし、今は深い雪が全てを覆い尽くす冬の最中。
その歩みは、遅々として進まなかった。
先頭で、膝まで積もった雪をかき分けながら道を作るのは、常にビョルンだった。
他の団員たちが、寒さに肩を震わせ、数時間ごとに疲労を訴えて交代していくのを尻目に、彼はただ黙々と、まるで機械のように進み続ける。
その息は少しも乱れず、額には汗ひとつ浮かんでいない。
彼の身体は常人とは比較にならぬほど頑健であり、その事実が他の者たちにとって畏怖の対象ですらあった。
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二日目の昼下がり。
一行が森の隘路に差し掛かったところで、三十名ほどの野盗が姿を現した。
「へへ、女子供が多いじゃねえか。こいつは、いいカモだ」
下卑た笑みを浮かべる野盗たち。
その装備は使い古されているが、その目つきと構えから、彼らがただの農民崩れではない、歴戦の傭兵崩れであることが窺えた。
「―――敵襲!」
誰かが叫ぶのと、ビョルンの命令が飛ぶのは、ほぼ同時だった。
「盾! 荷馬車を囲め! 子供たちを中に!」
その声は怒声ではなかった。
ただ、氷のように冷たく、しかしその場の全員の耳に突き刺さる絶対的な命令。
団員たちは反射的に動き、荷馬車を壁にするように円陣を組む。
その背後で、女たちもまた荷馬車から取り出した槍を構え、盾で身を守りながら臨戦態勢を整えていた。
彼女たちは、ただ守られるだけの存在ではない。
兵站を担うということは、自らの身と荷を守る術を心得ているということだ。
野盗たちが鬨の声を上げて襲いかかってくる。
ビョルンは部隊の半数を防御に残すと、残りの男たちに鋭く命じた。
「俺が先陣を切って奴らの頭を潰す。半数は俺に続け!」
その短い号令と共に、ビョルンを先頭とした突撃部隊が、敵陣の中央突破を狙って雪を蹴った。
その動きは、もはや人間の速さではない。
深い雪などまるで存在しないかのように、一直線に敵のリーダーへと突進していく。
リーダーが反応するよりも速く、彼の剣はその心臓を正確に貫いていた。
リーダーを失い混乱する野盗たち。
そこへビョルンに続いた男たちが容赦なく斬り込んでいく。
側面から回り込もうとした者たちは、荷馬車を守る防御部隊と女たちの見事な連携によって、その足を止められていた。
指揮系統を失った野盗たちは、もはや統率の取れた集団ではなかった。
半数近くを切り伏せられた時点で、彼らの戦意は完全に崩壊した。
「ひ、ひいぃ!」
誰かが悲鳴を上げて逃げ出すのをきっかけに、残った者たちも我先にと武器を捨て、脱兎のごとく森の奥へと逃げ去っていった。
「―――負傷者はいるか」
ビョルンは、息一つ切らさず仲間たちに問いかけた。
幸い、死者はなく、軽傷者が二名出ただけだった。
「死体から、使えそうなものを剥いでおけ。その後、すぐにここを離れる」
その、あまりに手際の良い戦後処理。
部隊の傭兵たちは、もはやビョルンを、ただ腕が立つだけの新入りとして見てはいなかった。
その視線には、明確な、指揮官に対する尊敬の念が宿っていた。
サムが彼を隊長に任命した理由を、彼らはこの一戦で、その身をもって理解したのだった。




