4章8節「戦功の夜」
「黒い剣」の駐屯地へ帰還したのは、朝日が昇り始める頃だった。
生き残った者たちは、一通り生還の喜びを分かち合うと、それぞれの割り当てられたテントへと戻り、泥のように眠った。
だが、団長であるサムに休息は許されていなかった。彼は、血と泥に汚れた鎧もそのままに、黒鉄砦の王国軍司令部へと作戦の成功を報告しに向かったのだ。
ビョルン(アキラ)が浅い眠りから目を覚ましたのは、陽がすっかり高く昇った昼過ぎのことだった。
テントの中には、自分以外の誰の姿もなかった。
出撃した四十名の新入りのうち、このテントを寝床としていた八名の中で、戻ってきたのは彼を含めて三人だけ。
その二人の姿も、今はどこにもない。
彼が、ぼんやりとした頭でテントから這い出すと、一人の古参兵が待ち構えていたように声をかけてきた。
「よう、ビョルン。起きたか。団長がお呼びだ」
サムのいる、団で一番大きなテントへ向かう。
中に入ると、彼は一人、地図を広げ、腕を組んで考え込んでいた。
ビョルンの姿を認めると、彼は重々しく口を開いた。
「……黒鉄砦の司令官殿に、報告を済ませてきた」
サムは、テーブルの上に置かれた、ずしりと重そうな革袋を指差した。
「作戦は、大成功だ。今回の戦果で、マラッカの連中も、冬の間はおとなしくなるだろう、と。これは、王国軍からの成功報酬だ。たんまりと頂いた」
サムはそこで一度言葉を切ると、真っ直ぐにビョルンの目を見据えた。
「……ビョルン。お前のおかげだ。お前があの時、殿を務めてくれなければ、生き残れた者は、もっと少なかっただろう。司令官殿にも、お前の働きは伝えておいた。感謝していたぞ」
その言葉に、ビョルンの心は少しも動かなかった。
ただ、静かに、次の言葉を待つ。
「だがな」
サムの声が、低くなった。
「二度と、あんな無茶はするな。あんなことをしていれば、命がいくつあっても足りん。死んでしまっては、元も子もねえんだ。分かったな」
「……はい」
ビョルンの、感情の読めない返事に、サムは一つ頷くと、「もう行っていい」と、再び地図へと視線を落とした。
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その夜、キャンプの中心で、盛大な宴会が開かれた。
先の戦いで手に入れた、潤沢な食料と酒。
生き残った団員たちの、馬鹿騒ぎのような笑い声。
そして、彼らに寄り添う女子供たちの、久しぶりに見る安堵の表情。
ビョルンは、その輪から少しだけ離れた場所で、一人、黙々とエールを呷っていた。
焚き火の炎が、ぱちぱちと音を立てて爆ぜる。
その光景が、彼の心の奥底に眠っていた、遠い記憶を呼び覚ました。
(……キャンプファイヤー、か)
仲間たちと、焚き火を囲む。
ただそれだけのことが、かつては当たり前の日常だった。
その、失われた日々の断片が、彼の胸を、ちくりと刺した。
それは、痛みというよりは、むしろ懐かしさに近い、温かい感覚だった。
やがて、団長であるサムが、巨大なエールの杯を片手に立ち上がった。
「野郎ども、静かにしろ! 今夜は、俺たちの勝利と、そして、死んでいった仲間たちに捧げる宴だ! 飲むぞ!」
その短い挨拶を皮切りに、宴は無軌道な熱狂の渦へと変わっていった。
串刺しにされた肉の塊が、焚き火の上でじゅうじゅうと音を立てる。
男たちはそれをナイフで削ぎ落としては、貪るように食らう。
酒は、樽から直接、湯水のように酌み交わされた。
普段は後方で兵站を担っている女たちも、今夜ばかりは男たちの輪に混ざり、大声で笑い、歌い、そして飲んでいた。
そんな中、ビョルンの元へ、古参の団員たちが代わる代わる杯を手にやってきた。
「よう、ビョルン! あんたのおかげで、命拾いしたぜ!」
「あの時の殿、見事だった。この一杯、受け取ってくれ!」
彼らは口々にビョルンの働きを称賛した。
それが、ただ単に酒を飲むための口実であることは分かっていたが、その言葉に込められた感謝が本物であることも、彼には伝わってきた。
ビョルンは、ただ無言で、差し出される杯を次々と干していく。
やがて、男たちだけでなく、女たちも彼の元へやってくるようになった。
「ビョルンさんというのかい? いい飲みっぷりだねえ。さ、あたしのも酌んでおくれよ」
熟れた果実のような色香を漂わせる寡婦が、彼の隣に腰を下ろし、その豊満な胸を押し付けるようにして、酒を注いでくる。
ビョルンは、それを拒むことなく、ただ黙って飲み干した。
夜が更けるまで、彼は飲み続けた。
エールを、ワインを、そして火のように喉を焼く蒸留酒を。
だが、どれだけ飲んでも、彼の意識は奇妙なほどはっきりとしていた。
かつての彼は、これほどの量の酒を飲めば、とっくに意識を失っていたはずだ。
王都でグッズと飲んでいた頃とは、何かが違う。
酒の味がしないわけではない。
だが、あの心地よい酩酊感が、一向に訪れないのだ。
自らが犯した、取り返しのつかない罪。
その後悔と、常に彼を苛む罪悪感。
それが、彼の神経を常に張り詰めさせ、覚醒させているのだということに、彼は何となく気づいていた。
この身体は、もはや酔うことすら許してはくれないのだ。
宴の喧騒が、急に遠い世界の出来事のように感じられた。
人との交わりを、心が拒絶している。
彼は、そっと立ち上がると、誰に声をかけるでもなく、その輪から離れた。
そして、自分の割り当てられたテントへと、一人、戻っていった。
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翌朝、彼が目を覚ました時、テントの中は、まだ薄暗かった。
同室だったはずの、他の新入りたちの姿はない。
昨夜の宴で酔い潰れ、どこかそこらの地面で、まだ眠りこけているのだろう。
風邪でもひかなければいいが、と彼は思った。




