4章7節「最初の任務」
黒鉄砦の駐屯地に戻ったサムは、その日のうちに、再び王国軍の司令部から緊急の呼び出しを受けていた。
彼がキャンプへと戻ってきた時、その顔には、いつものような疲労の色ではなく、獣のような、獰猛な光が宿っていた。
「野郎ども、集まれ! 仕事だ!」
サムが古参の団員たちと、ビョルン(アキラ)を含む四十名の新入りたちを前に広げた地図。
そこに示されていたのは、敵国マラッカ大国の領土の、さらに奥深く。狼爪砦の背後に位置する、一つの集積村だった。
「―――いいか、よく聞け。マラッカの連中が、冬の大攻勢を前に、この村に物資を集め込んでやがる。俺たちの仕事は、この村を叩き、奴らの計画を根元から叩き潰すことだ」
サムの声が、冷たい夜気に響き渡る。
「当然、危険な仕事だ。手間取れば、狼爪砦から本隊が出てきて、俺たちは袋の鼠になる。前回の二の舞は、ごめんだからな」
その言葉に、古参の団員たちの顔が引き締まる。
新入りたちは、ただ事ではない雰囲気に、ごくりと喉を鳴らした。
「今から出撃する。具体的な説明は、道中で行う。文句のある奴は、今すぐこの場を去れ」
だが、その場を動く者は、誰一人いなかった。
□■□■□■
昼間のうちに、一行は嘆きの森へと侵入した。
サムは、森に入る直前、団員たちに、ただ一言だけ、厳命した。
「ここから先、俺が許すまで、一言も喋るな。音を立てるな」
森の中は、不気味なほど静かだった。
冒険者であったビョルンは、この森が放つ、ただならぬ気配を肌で感じ取っていた。
彼の内なる感覚が、周囲の暗闇に潜む、とてつもなく強力なモンスターの存在を、警告としてビシビシと伝えてくる。
オークやオーガなどとは比較にならない、もっと根源的な、神話級の何かが、この森の主として君臨している。
(……正気か?)
ビョルンは、背筋に冷たい汗が流れるのを感じていた。
だが、サムをはじめとする古参の団員たちは、なぜか平然と、慣れた様子で森を進んでいく。
ビョルンは、その理由が分からず、ただ不思議に思いながら、彼らの後に続いた。
□■□■□■
長い行軍の末、一行は森を抜け、目的の村を見下ろせる丘の上で、夜陰が訪れるのを待った。
眼下には、村のささやかな灯りが見える。
それは、かつて彼が命を懸けて守った、ウンドレダル村の灯りと、どこか似ていた。
「―――てめえら、よく聞け」
襲撃の直前、サムは、特に今回が初陣となる新入りの犯罪者たちに向けて、低い声で檄を飛ばした。
「これから、あの村を襲う。略奪は自由だ! 奪ったものは、てめえらのものになる! 持って帰れないものには、片っ端から火をつけろ! これは、王国が認めた、正当な強奪だ! だがな、逃げ遅れて殺されても、俺は知らん! 一気に稼いで、生きて帰ってこい!」
その、人間の最も醜い欲望を肯定する言葉に、新入りの犯罪者たちの目がおびただしい熱を帯び、歓声が上がった。
その横で、ビョルンの隣にいた一人の古参兵が、まるで独り言のように、吐き捨てるように呟いた。
「……さて、こいつらのうち、何人が生きて帰ってこれるかねえ……」
ビョルンは、その言葉を、聞き逃さなかった。
サムの号令と共に、夜の静寂は引き裂かれた。
「うおおおおおおっ!」
新入りの犯罪者たちが、欲望に満ちた雄叫びを上げながら、一斉に丘を駆け下り、村へと雪崩れ込んでいく。
村を守っていたマラッカ大国の兵士たちは、その突然の奇襲に、一瞬だけ反応が遅れた。
だが、彼らもまた歴戦の兵士だ。すぐに陣形を立て直し、村の中央通りで、正面から突撃してくるサム率いる古参の団員たちを迎え撃つ。
剣と剣がぶつかり、火花が散る。怒声と、断末魔の悲鳴。凄まじい鉄と血の匂いが、夜の空気を満たしていく。
その混沌の只中で、新入りたちは、まるで檻から放たれた獣のようだった。
彼らは、正面の戦闘には加わろうとせず、巧みに建物の陰をすり抜け、村の家々へと侵入していく。
女たちの悲鳴、物が壊れる音、そして、彼らの下卑た笑い声。
それは、もはや戦闘ではなく、ただの一方的な略奪だった。
ビョルンは、そのどちらにも加わらなかった。
彼は、略奪には一切の興味を示さなかった。
ただ、目の前の敵――マラッカ大国の兵士たちだけを、その虚ろな瞳で見据えていた。
彼は、サムたちとは別のルートから、音もなく村へと侵入していた。
そして、サムたちが正面から敵を引きつけている、その背後へと、静かに回り込む。
一人の兵士が、サムとの激しい斬り合いの末、後方へとよろめいた。
その、ほんの一瞬の隙。
ビョルンの剣が、その兵士の首を、背後から音もなく刈り取った。
「なっ!?」
仲間が、声もなく崩れ落ちるのを見て、近くにいた別の兵士が驚愕に目を見開く。
だが、彼が状況を理解する前に、ビョルンの剣は、すでにその心臓を貫いていた。
期せずして、マラッカ軍は、サム率いる「黒い剣」の主戦力と、その後方に亡霊のように出現したビョルンによって、挟み撃ちにされる形となった。
「後ろだ! 敵が、後ろにもいるぞ!」
兵士たちの間に、混乱が広がる。陣形が、乱れる。
その好機を、サムが見逃すはずはなかった。
「今だ、野郎ども! 一気に叩き潰せ!」
古参の団員たちが、勢いづいて敵の壁へと突撃する。
前後からの挟撃を受け、マラッカ軍の守備隊は、なすすべもなく崩壊していった。
村から離脱し、嘆きの森へと続く暗い平原を、生き残った者たちはただ必死に走っていた。
背後からは、敵の追撃を告げる角笛の音と、馬蹄の響きが、容赦なく迫ってくる。近くの砦から、救援の部隊が出動したのだ。
「ちっ、しつけえ野郎どもだ!」
サムが、悪態をつきながら叫ぶ。
「このままじゃ、森にたどり着く前に追いつかれる!」
ここで足を止め、迎え撃つべきか。サムは一瞬迷った。だが、生き残った者たちの半数以上は、まだ練度の低い新人だ。彼らでは、満足な防衛線を築くことすらできないだろう。
焦りが、生き残った者たちの顔を覆った。
まさにその瞬間だった。
一人の男が、仲間たちとは逆の方向へ、後方へと走り出したのだ。――ビョルンだった。
彼は、追撃してくる敵の傭兵団へと、猛然と一人で突っ込んでいった。
「ビョルン!?」
サムの驚愕の声が響く。だが、ビョルンは振り返らない。
その、あまりに常軌を逸した、自殺行為とも思える突撃に、追手の傭兵団の間に、明らかな混乱が発生した。
サムは、一瞬だけ躊躇った。だが、今は感傷に浸っている場合ではない。
彼は、ビョルンが作ってくれた、そのわずかな時間稼ぎを無駄にしないため、生き残った団員たちを率いて、森へと駆け込んでいった。
その唇が、誰にも聞こえないように、かすかに動いた。
「……死なずに、帰って来いよ」
□■□■□■
追手の数はおよそ三十。
彼らは、たった一人で突入してくるビョルンの姿を認めると、嘲笑うかのように馬の速度を上げた。
「馬鹿な奴め! 一人で何ができる!」
先頭を駆ける隊長らしき男が、剣を抜き放つ。
ビョルンは、疾風のごとく駆けてきた。
先頭の馬を躱しざまに、その騎手の足を切り裂く。悲鳴を上げて落馬する兵士には目もくれず、横から突き出された槍を掴むと、力任せに引っ張り、馬上の兵を引きずり下ろすやいなや、片手で持ったバスターソードを喉に深々と突き立てる。
血が噴き出す頃には、ビョルンの姿は、すでに別の兵士のもとにあった。
混乱する傭兵団の中心で、ビョルンの剣が、嵐のように吹き荒れた。
それは、もはや戦闘ではなかった。
ただの一方的な、蹂躙だった。
彼の剣は、馬上の敵にはかわしざまに脚を、地上に降りた者には喉や心臓を、一切の無駄なく、的確に貫いていく。
その動きは、まるで死の舞踏。
追手の傭兵団は、たった一人の男に翻弄されていた。
「ひ、退け! 退けぇぇぇっ!」
誰かが、悲鳴のような声を上げた。
彼らは、仲間たちの亡骸を置き去りにして、我先にと逃げ出していく。
ビョルンは、深追いしなかった。
彼は、静かに剣を鞘に収めると、仲間たちが消えていった森の闇へと、走り出した。
いつ敵の砦から正規軍が来るか、分かったものではない。
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駐屯地へと帰還できたのは、夜が明ける頃だった。
キャンプは、生き残った者たちの帰還に、歓喜に沸いていた。
出撃した四十名の新入りのうち、この地に再び足を踏み入れることができたのは、半数の二十名。
ベテランの傭兵たちからすれば、この過酷な任務で新人が半分も生き残ったのは、むしろ朗報ですらあった。
生き残った者たちの顔には、安堵の色が浮かんでいた。
彼らにとって、まだろくに名前も知らない仲間たちの死は、悲しむべきものではない。
ただ、自分が生き残ったという事実だけが、そこにはあった。
サムは、その光景に、思ったより多くの新人が生き残ったことに、静かに満足していた。
多くの犠牲を出した。だが、作戦は成功し、団が厳しい冬を越すための、十分すぎるほどの物資と金を手に入れたことも、また事実だった。
彼は、団長として、静かな安堵の息を漏らした。
その視線の先で、ビョルンが、まるで何もなかったかのように、黙々と自分の寝床へと戻っていく。
サムは、あの男の中に眠る、底知れない力と闇を、改めて認識していた。
(……これはとんでもねえ拾い物かもしれねえな)
その呟きは、誰の耳にも届くことなく、北国の冷たい朝の空気に、吸い込まれていった。
そろそろ書き溜め分も底をつきそうなので投稿頻度が減るかもしれません。
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