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3章18節「灼熱の魔獣とその帰還」


大広間に漂う、濃密な血の匂い。三十を超えるゴブリンの亡骸を前に、一行はしばし、荒い息を整えていた。


「……よし。念のため、残党がいないか調べておこう。奥に通路が続いている」


アキラの言葉に、仲間たちが頷く。


一行は、ゴブリン・メイジがいた祭壇の裏手にある、暗い通路へと足を踏み入れた。その入り口付近で、全員が足を止めた。


「……おいおい、これは……」


グッズが、呆れたように呟いた。


先ほどの戦闘で、クララが放った<<ファイヤーアロー>>の流れ矢がこの通路の壁に突き出た太い木の根に燃え移り、その炎は壁を舐めるようにして燃え広がったのだろう。通路の壁一面が、広範囲にわたって真っ黒に焼け焦げていた。


さらに悪いことに、そこにはこれまで見たこともない、奇妙な幾何学模様の壁画が描かれていた痕跡があった。その貴重なはずの壁画もまた、炎によって無残に損傷してしまっている。


「……これ、調査団の方々に、怒られますわよね……?」


クララが、青い顔で呟く。


「さあな。あの学者先生方のことだ。『歴史的価値が!』とか言って、カンカンになるかもしれんぞ」


グッズの冗談に、しかし誰も笑えなかった。五人は、黒焦げになった壁画を囲み、「大丈夫だろうか」「いや、これはまずいだろう」と、責任問題についてひそひそと話し合いを始める。


その、まさにその時だった。


ミシミシミシッ、という嫌な音が、足元から響いた。


「―――え?」


アキラがそう呟いた瞬間、彼らの足元は、完全に消失していた。


「「「うわあああああああっ!」」」


浮遊感。そして、落下。


五人は、悲鳴を上げる間もなく、なすすべもなく、暗闇の中へと吸い込まれていった。


衝撃。


「……いっつぅ……!」

「ぐっ……!」


下の階層の石畳に全身を強打し、あちこちから呻き声が漏れた。幸い、骨が折れるような大怪我はなかったが、全身の打撲が、じくじくと痛んだ。


「……なんだってんだ、一体……」


グッズが悪態をつきながら、埃を払って立ち上がる。


アキラは、すぐに周囲の状況を確認した。そこは、先ほどまでいた遺跡の通路とは、明らかに雰囲気が異なっていた。


壁が、違う。

上の階層の、風化してざらついた石組みではない。まるで磨き上げられたかように、滑らかで、継ぎ目のない、黒い石の壁。


アキラは、自分たちが落ちてきた通路が、前方と後方の二方向へ伸びているのを確かめた。


「ひとまず、進んでみるしかないな」


一行は、この未知の通路を探索することにした。自分たちの剣や杖の先から放たれる<<コンティニュアル・ライト>>の光だけを頼りに、暗闇の中を慎重に進んでいく。


 


しばらく進むと、一行の前に、巨大な観音開きの扉が現れた。その表面には、見たこともない、複雑な幾何学模様が刻まれている。


「……どうする? 一旦、落ちてきた場所まで戻って、逆方向の通路を調べてみるか?」


グッズが、慎重に提案する。


「戻った先も未知なら、進む先も未知。確率は同じですわ。それなら、進む方が合理的でしょう」


クララの冷静な言葉に、全員が頷く。アキラが合図し、グンターがその重厚な扉に、ゆっくりと力を込めた。


ギィィィ、という、長い間動かされていなかったであろう、重い音を立てて、扉が開いていく。


その向こうに広がっていたのは、巨大な大広間だった。


 


一行は、慎重に中へと足を踏み入れた。空気は、奇妙なほど生暖かく、乾燥している。


そして、広間の奥の暗闇から、のしのしと、それが姿を現した。


溶岩のように赤黒く輝く鱗。巨大なトカゲのような、力強い四肢。そして、狡猾な光を宿す瞳。


災害級魔獣、サラマンダー。


その瞳が、侵入者である彼らを捉えた瞬間、空気が変わった。


「グルルルル……」


喉の奥で唸り声を上げたサラマンダーの身体から、陽炎のような灼熱のオーラが立ち上る。逃げるという選択肢は、もはやなかった。ここで戦うしかない。


「―――来るぞ!」


グッズの叫びと同時に、アキラとグンターが前に出る。サラマンダーの巨体が、見た目に反する俊敏さで突進してきた。


アキラの剣が鱗に弾かれ、甲高い音と共に火花を散らす。グンターの盾が、その一撃を受け止めただけで、端から赤く変色し始めた。


「<<アシッド・アロー>>!」


クララが即座に酸の矢を放つが、それはサラマンダーの身体に届く前に、灼熱のオーラに触れてジュッと音を立てて蒸発してしまった。


「―――<<アイス・アロー>>!」


この状況で、クララは即座に判断を切り替えた。得意の炎の魔法とは真逆の、氷の矢を詠唱する。


彼女の放った氷の矢は、オーラに触れてその威力を大きく削がれたが、それでも消滅することなく、弱まった矢としてサラマンダーの鱗に突き刺さった。


だが、その程度の攻撃は、この巨獣にとっては、ただの虫刺されに等しかった。


そこからは、まさに死闘だった。


「くそっ、熱で近づけねえ!」


グンターがパーティーの壁としてサラマンダーの猛攻を一身に引きつけ、その隙を突いてアキラとグッズが、灼熱のオーラに肌を焼かれながらも、側面から必死に剣を叩き込む。


その間、クララは、わずかでも効果のあった<<アイス・アロー>>を、繰り返し放っていた。


だが、サラマンダーも黙ってはいない。灼熱のブレスが、アキラのいた場所を薙ぎ払い、石畳を溶かす。鞭のようにしなる尻尾の一撃を避けきれなかったグッズは、壁に叩きつけられ、苦悶の声を上げた。


サイモンの回復魔法が、休む間もなく仲間たちへと降り注ぐ。


さらに、サラマンダーの振り下ろした前足が、グンターの盾を弾き飛ばし、その余波で彼自身も数メートル後方へと吹き飛ばされた。


「グンター!」


アキラが叫ぶ。その一瞬の隙を突き、サラマンダーのブレスが、アキラの左腕を焼いた。


「ぐあっ!」


肉の焼ける匂いと、激痛。サイモンの<<ミドル・キュアウーンズ>>が即座に傷を癒すが、それでも皮膚には醜い火傷の痕が残った。


「らちがあかん! クララ、何か手はねえのか!」


グッズの叫びに、クララが、普段とは違う、切羽詰まった声で答えた。


「……分かっていますわ! 奴の皮膚が硬すぎるんです! 私の魔力を一点に集中させれば、脆くできるかもしれない! 時間を稼いで!」


「―――分かった!」


指示役が、アキラに切り替わる。


「俺たちが足止めするから、クララは喉元にアイスアローを集中しろ!」


クララは、ただ一点、サラマンダーの喉元を狙い、<<アイス・アロー>>を連射し始めた。


それは、彼女のこれまでの戦闘スタイルとは全く違う、ただひたすらに、同じ魔法を、同じ場所へ撃ち込み続けるという、凄まじい集中力を要する作業だった。


その間、アキラたちは必死に耐えた。グンターの盾は熱で歪み、サイモンの回復魔法が追いつかなくなり始める。


だが、クララの集中攻撃は、確かに効果を現し始めていた。


サラマンダーの喉元の一点が、わずかに、しかし確実に、その輝きを失っていく。灼熱のオーラが、ほんの一瞬だけ、弱まった。


(―――今だ!)


アキラは、その一瞬の好機を見逃さなかった。


渾身の力を込めて、冷却されたその一点めがけて、バスターソードを突き立てる。


刃が、硬い鱗を砕き、肉を抉る感触。


サラマンダーは、断末魔の絶叫を上げて、その巨体を大きくのけぞらせた。


 


だが、まだ終わらない。


致命傷を負ったサラマンダーは、最後の抵抗とばかりに、狂ったように暴れ始めた。大広間が、その巨体によって破壊されていく。


「散れ!」


アキラの叫び声と共に、一行は崩れ落ちる天井の岩を避け、最後のとどめを刺す機会を窺う。


やがて、サラマンダーの動きが鈍った、その一瞬。


アキラとグッズの剣が、同時に、その巨大な心臓を貫いた。


 


一行は、満身創痍のまま、サラマンダーが倒れた大広間を後にした。


その奥には、別の通路が続いていた。


通路は途中で崩落していたが、その隙間から、外の光が差し込んでいるのが見えた。


彼らは、文字通り、命からがら、その崩れた壁の穴から、地上へと這い出したのだった。

 


□■□■□■


 

ぼろぼろの身体を引きずるようにして、一行が崩れた壁の穴から地上へと這い出した時、彼らを迎えたのは、見慣れた森の木々と、吹き抜ける冷たい風だけだった。


「……なんとか、出られたな」


グッズが、地面に倒れ込みながら呟く。アキラも、グンターも、もはや立っているのがやっとだった。サイモンの魔力は完全に尽き果て、クララもまた、精神的な消耗でその場に座り込んでいた。


一行は、ひとまず近くの岩陰で、誰に言うでもなく休息を取ることにした。


 


どれほどの時間が過ぎただろうか。

遠くから、複数の人間の話し声が聞こえてきた。アキラは、咄嗟に剣の柄に手をかける。だが、その声には聞き覚えがあった。


「―――アキラさん!?」


茂みをかき分けて現れたのは、(シルバー)等級パーティー「砂嵐」のリーダー、ガンサーだった。彼の後ろには、エリックやリアたち、そして、村で雇ったのであろう、屈強な若者たちが十人ほど続いている。


「ガンサーさん! どうして、ここに……」


アキラが驚きに声を上げる。だが、ガンサーの目は、アキラたちの、ただ事ではない満身創痍の姿に釘付けになっていた。泥と血にまみれ、装備はところどころ溶解し、立っているのがやっとという有り様。


「一体、何があったんだ!?」


 


説明は、後回しだった。


ガンサーは、自分たちがゴブリンが遺跡の外へ逃げ出さないよう、入り口を封鎖するために村から来たことを手短に説明すると、すぐに若者たちに指示を出し、動けない「希望の園」のメンバーを担がせ、麓の村まで無事に送り届けてくれた。


 


村で待機していたモルデの調査団は、アキラたちの帰還に安堵の表情を浮かべたが、その姿を見て、すぐに顔をこわばらせた。


「ゴブリンどもは、どうなったのですかな?」


リーダーである初老の学者が、いら立たしげに尋ねる。


「……ええ、それは、なんとか。ですが、その後で、少しばかり厄介なものに出くわしまして」


アキラは、疲労困憊の身体で、事の顛末を報告した。ゴブリンの掃討後、床が崩落し、地下の未知の領域で、災害級魔獣サラマンダーと遭遇、これを討伐した、と。


「……隠し通路? ……サラマンダー?」


学者は、何を言っているのか理解できない、といった顔をした。他の研究者たちも、顔を見合わせている。


「証拠なら、あります」


アキラはそう言うと、懐から、討伐の証として持ち帰った、サラマンダーの尾の先端、三十センチほどの部位を、テーブルの上に置いた。それは、まだ微かに熱を帯び、赤黒い輝きを放っている。


その瞬間、学者たちの間に漂っていた疑念の空気は、一変した。


一人の若い研究者が、震える手でその尾を拾い上げ、鑑定用のルーペで覗き込む。


「……間違い、ありません。サラマンダーの尾です。この大きさ……成熟した、かなりの大型個体ですぞ!」


「なんと! 精霊獣と遭遇しただと!?」


リーダーの学者の叫びを合図に、調査団は、尋常ではない興奮と熱狂の渦に包まれた。


 


「早く、現場へ案内していただかねば!」

「しかし、彼らはこの通り、満身創痍だ。しばらくは休ませるべきだろう」


学者たちの間で、議論が始まる。アキラたちは、そんな彼らの熱狂を、どこか他人事のように眺めていた。


その夜、待ちきれない一部の学者たちが、アキラたちの元へとやってきた。治癒魔法の心得があるという者は回復魔法をかけ、薬学に詳しいという者は、何やら怪しげな匂いのする、どろりとした緑色の回復薬を、半ば強引に一行に飲ませていく。


(……なんだ、これ……)


アキラは、その薬の、言いようのない後味に顔をしかめた。クララだけは、一番被害が軽かったこともあり、「わたくしは、もう大丈夫ですので」と、巧みにそれを飲むのを避けていたが。


 


□■□■□■


 


翌朝。


怪しい薬が効いたのか、一行は、異常なほど体調が回復していた。むしろ、普段より元気なくらいだ。目が、妙に冴えている。


「よし、では早速、サラマンダーの元へ案内していただきましょうかな!」


学者たちの、有無を言わさぬ圧力に、一行は頷くしかなかった。


 


再び、あの遺跡へ。


今度は、護衛として「砂嵐」のメンバーも同行してくれる。三つのパーティーと調査団は、万全の態勢で遺跡の奥へと進んでいった。


崩落した穴から地下へと降り、例の大広間へとたどり着くと、サラマンダーの巨大な亡骸は、先日見たままの姿で横たわっていた。


「おお……! おおおおおおっ!」


その光景を目の当たりにした学者たちは、学術的な興奮のあまり、狂喜乱舞し、すぐに亡骸の調査を始めてしまった。


 


「―――さて、アキラ殿」


リーダーの学者が、興奮で顔を赤らめながら、アキラに向き直った。


「この、極めて貴重なサンプルは、我々モルデの調査団が、責任をもって持ち帰らせていただく。もちろん、討伐されたあなた方には、相応の対価をお支払いしよう」


それは、断ることのできない、半ば強制的な申し出だった。だが、提示された金額は、十分なものだった。


 


全ての任務を終え、調査団を遺跡に残した「希望の園」と「砂嵐」は、麓の村へと戻った。


その夜、二つのパーティーは、久々の再会と、生還を祝して、村の酒場で盛大な祝宴を開いた。


「いやあ、しかし、驚いたぜ、アキラさん。まさか、サラマンダーまで倒しちまうとはな!」


ガンサーの豪快な笑い声が、酒場に響き渡る。


アキラは、ただ照れくさそうに笑いながら、エールを呷った。


長い戦いが終わり、今はただ、この頼もしい仲間たちとの再会を、夜が更けるのも忘れて楽しんでいた。




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