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3章13節「支える者の苦悩」


アキラが、ヒュドラ討伐の依頼で王都を発ったあの日。

彼は私の不安を拭うように、優しく笑って言いました。


「大丈夫。ただの護衛任務だ。前線で戦うようなことはないから」


私は、その言葉を信じて、彼を送り出しました。


 


でも、数週間が過ぎた頃、ギルドの酒場は遠い南の地での戦いの噂で持ちきりになりました。

「討伐隊は、半壊したらしい」「生きて帰れる者は、半分もいないだろう」。


そのたびに、私の心は落ち着かなくなりました。


アキラの強さを、私は誰よりも信じています。

でも、それと同じくらい、彼の人の好さも知っているのです。


困難に陥っている仲間たちを、彼が見捨てられるはずがない。

きっと、厄介なことに首を突っ込んでいるに違いない、と。


それでも、彼ならばきっと大丈夫。


そんな、何の根拠もない信頼だけを胸に、私は彼の帰りを待ち続けました。


 


そして、依頼に出てから一ヶ月半が過ぎた、ある日の昼下がり。


ギルドからの知らせで、討伐隊が帰還したと聞き、私はいてもたってもいられず、家の外で彼の帰りを待ちました。


やがて、見慣れた、しかし旅の疲れを滲ませた一行の姿が通りの向こうに見えた時、私は自分が何を叫んだのかも覚えていません。


ただ、夢中で彼の胸に飛び込んでいました。


「……ただいま、エル」


帰ってきた。

私の夫は、ちゃんと、生きて帰ってきてくれた。


その温もりと、匂いを確かめるように、私はただ、子供のように泣きじゃくりました。


 


その夜、久しぶりに二人きりになった部屋で、アキラは今回の冒険の様子を、目を輝かせながら、面白おかしく話してくれました。


聖職者たちの護衛任務だったはずが、いつの間にか最前線で戦うことになったこと。

金等級のパーティーですら歯が立たなかった、ヒュドラの圧倒的な力。


「……それでな、クララの奴が、<<ツインマジック・ファイヤーボール>>を撃ち込んだら、ヒュドラの奴が初めて本気で痛がってな!」


彼は、まるで武勇伝を語る吟遊詩人のように、身振り手振りを交えて戦いの様子を再現してみせます。

私を、楽しませようとしてくれている。


その気持ちは、痛いほど分かりました。


でも、彼の言葉が雄弁になればなるほど、私の心は逆に、冷たい恐怖に包まれていったのです。


(……金等級の人たちが、死んでいった……?)


一歩間違えれば、今、私の目の前で笑っているこの人も、もうこの世にはいなかったのかもしれない。


そのどうしようもない事実に、せっかく止まったはずの涙が、また溢れ出してきました。


「……エル?」


私の様子に、アキラは慌てて言葉を止めます。


「ごめんなさい。あなたが無事で、本当に、本当に嬉しいの。でも、怖くて……」


「……すまん」


アキラは、何も言わずに、私を優しく抱きしめてくれました。


その腕の力強さが、彼がまだここにいるという、何よりの証でした。


 


□■□■□■


 


それから、アキラの日常は、少しずつ忙しくなっていきました。


ヒュドラ討伐の功績は、ギルドの中でも確かな実績として認められているようでした。


依頼を終えた後、そのままギルドの酒場で、グッズさんやグンターさんと飲んでから帰ることが、目に見えて増えたのです。


今まで、あんなに真面目に毎日まっすぐ帰ってきていたのですから、たまの息抜きは必要です。

それに、グッズさんが一緒なら、羽目を外しすぎることもないだろう、と。


私も、そう思っていました。


 


やがて、アキラは商人や貴族の方々との食事に、夜、呼ばれるようになりました。


「希望の園」の名が、ギルドの外にも広まっている。

その事実は、私にとっても誇らしいことでした。


でも、彼の帰りは、日に日に遅くなっていきました。


ある夜などは、日付が変わる頃に、グッズさんに担がれるようにして帰ってきました。


「悪いな、エル。今日はみんなで飲みすぎちまった」


グッズさんはそう言って頭を掻くと、アキラをベッドに運び込み、すぐに帰っていきました。


 


そして、また別の夜。

アキラは、貴族様との会食から、一人で帰ってきました。


「ただいま、エル。すまん、遅くなった」


彼は、疲れた顔でそう言うと、私の頬に優しく口づけをし、すぐにベッドに倒れ込むようにして、穏やかな寝息を立て始めました。


夫の穏やかな寝息だけが響く部屋で、私の心には、言いようのない不安が募っていったのです。


私は、音を立てないようにそっとベッドを抜け出すと、マントを羽織り、夜の闇の中へと踏み出していました。


向かった先は、グッズさんのアパートでした。


 


「……よう、エル。どうしたんだ、こんな夜更けに」


彼は、突然の来訪に驚きながらも、私を部屋へと招き入れてくれました。


「ごめんなさい。でも、どうしても、聞きたくて……。最近のアキラのこと、何か知っていますか?」


グッズさんは、私の真剣な表情に何かを察してくれたのでしょう。

いつもの冗談めかした態度を消し、真摯な目で頷いてくれました。


「……まあ、座れよ」


 


彼は、ヒュドラ討伐以来、アキラの周りで起きていることを、ゆっくりと、丁寧に説明してくれました。


私たちのパーティーの評判が上がり、アキラと食事をしたがる有力者が後を絶たないこと。

彼が、パーティーのリーダーとして、その全てに対応しようと、必死になっていること。


「……あいつは、真面目だからな。リーダーとしての付き合いも大事だって、張り切ってるのさ。おかげで、俺たち下の人間は、面倒事がなくて助かってるけどな」


グッズさんは、どこか誇らしげに、しかし少しだけ呆れたように言いました。


「ギルドの上層部にも、あんまり面倒な頼み事が回ってこねえようには、俺から話は通してるんだが、こればっかりはな」


 


そして、彼は私を諭すように、優しい声で言いました。


「アキラは、これからもっとランクを上げて、有名になる。そうなれば、断れない食事の席も、お酒の席も、もっと増えるだろう。エルとしては、寂しいかもしれねえが、あいつを支えてやってくれ。……まあ、そういう席が苦手で、アキラに押し付けてる俺が言えることじゃねえんだけどな」


そう言って、彼は自嘲気味に笑いました。


 


その言葉は、私の心を少しだけ軽くしてくれました。

でも、不安が完全に消えたわけではありません。


その夜も、私は彼の胸の中で、アキラには言えない愚痴を、たくさん聞いてもらいました。


旅の道中で始まった私たちの秘密の関係は、こうして、王都での日常の一部になっていたのです。



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