3章11節「生還者たちの杯」
ヒュドラの亡骸が眠る湿地帯の村を、一行が後にしたのは、三日後のことだった。
討伐に参加した冒険者たちのうち、動ける者は負傷者の手当てや、亡くなった仲間たちの弔いに追われ、村は静かな、しかし重い空気に包まれていた。
白金等級パーティー『白銀のグリフォン』は、王国から派遣された軍と共に、ヒュドラの解体と後処理のために、その場に残ることになった。
出発の日の朝、ちょうど彼らが村を出ようとしていた時、学術都市モルデから派遣されたという、学者先生たちの調査団が到着した。
彼らは、戦闘の惨状などお構いなしに、ヒュドラの死骸の一部や、沼地の土壌を採取しては、熱心にメモを取っている。
その、どこか場違いな光景に、アキラたちは苦笑いを浮かべるしかなかった。
アキラたち「希望の園」は、他の金等級パーティーや、護衛対象であった聖職者たちと共に、一足先に王都への帰路についた。
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一行が中継都市ハーマルに到着すると、その噂はすでにギルドに届いていた。
ギルドに併設された酒場は、地鳴りのような熱気に包まれていた。
だが、それは特定の誰かを歓迎するというよりは、死地から生還した者たちが、生きている喜びを分ち合うための、荒々しい祝祭だった。
同じ戦場で死線を潜り抜けた金等級のパーティーのメンバーたちが、次々に彼らの元へとやってきた。
「おい、シルバーの! あん時、あんたらの魔法使い嬢ちゃんが火を吹いてくれなきゃ、うちの盾役はやられてたぜ! この一杯は俺に奢らせてくれ!」
「アキラとか言ったな。あの首を落とした一撃、見事だった。乾杯だ!」
アキラたちは、次から次へと背中を叩かれ、なみなみと注がれたエールの杯を、何度も何度も乾かした。
その熱狂の渦の中で、クララとサイモンは、いつの間にか姿を消していた。
早々に酔い潰れたサイモンを、クララがやれやれといった顔で引きずっていくのを、アキラは人混みの向こうに、ぼんやりと見ていた気がする。
「……少し、騒がしすぎるな」
アキラがうんざりしたように呟くと、隣にいたグッズが、にやりと笑った。
「だよな。少し、静かな場所に移動するか。グンターも、来るだろ?」
「ああ」
三人が喧騒を抜け出して向かったのは、町の裏路地にある、薄暗いバーだった。
カウンターに腰掛け、琥珀色の蒸留酒を口に運ぶ。
ようやく訪れた静寂の中で、三人は、先日の死闘を振り返っていた。
「……本当に、死ぬかと思った」
グンターが、しみじみと呟く。
「ああ。ヒュドラの首が飛んできた時、あれはもう受け流せないと思った。紙一重だったな」
アキラも、あの時の恐怖を思い出し、背筋が冷たくなるのを感じていた。
そんなシリアスな空気を吹き飛ばすように、グッズが、からりとした声で言った。
「まあ、生き残ったんだからいいじゃねえか。で、この後どうするんだ?」
「どうするって……宿に戻って寝るだけだろ」
アキラが不思議そうに答えると、グッズは呆れたように首を振った。
「馬鹿野郎。戦いでたぎった血は、どこかで冷ましてやる必要があるだろうが」
「冷ます……?」
きょとんとするアキラに、グッズはにやりと笑いかけた。
「せっかくハーマルに来たんだぜ? 王都の女とはレベルが違う、とびっきりの店があるんだ。知らないのか?」
「店……?」
「このハーマルはな、懐の暖かい商人相手の、王都よりも濃厚なサービスで有名な色街があるんだぜ。男なら、一度は経験しとくべきだ」
その、あまりに直接的な言葉に、アキラは思わず言葉に詰まる。
隣では、グンターが「ほう」と、興味深そうな声を漏らした。
王都でも何度かグッズと遊び歩いている彼も、ハーマルの店の噂は耳にしていたらしい。
「報奨金もたんまり入ったんだ。たまにはパーっとやらねえと、やってられねえだろ、こういう仕事は」
グッズは、以前キャラバンで立ち寄った際に一日中入り浸っていたというその店の話を、まるで吟遊詩人のように、面白おかしく、そして艶かしく語って聞かせた。
その巧みな話術に、アキラとグンターは、いつの間にか完全に引き込まれていた。
「……よし、行ってみよう」
アキラがそう言うと、三人は顔を見合わせ、悪戯を企む子供のように、にやりと笑った。
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そして、夜が白み始めた頃。
再び、あの静かなバーのカウンターに、三人の男の姿があった。
そこには、まるで魂が抜かれたかのように、だらしない、阿呆みたいな顔でニタニタしているアキラとグンターがいた。
「な、すごかっただろ?」
得意げに尋ねるグッズに、二人は、うんうんと、何度も何度も、こくこくと頷いた。
「……エルとは違う、あの柔らかな肌……」
アキラが、恍惚とした表情で呟く。
「エルの、はち切れんばかりの肌も好きだが、あの何とも言えないさわり心地は……」
「おい、アキラ。よだれ、拭けよ」
「……全てを包み込むような、あの心地よさが……」
隣では、グンターも同じように、どこか遠い世界へと旅立っていた。
「グンター、お前もだ」
こうして三人は、昇り始めた黄色い朝日を浴びながら、睡眠不足と、それとは全く別の理由でふらふらになりながら、パーティーの皆が待つ、同じ宿屋の、同じ部屋へと帰っていくのだった。




