3章3節「初仕事の成果と報酬の現実
王都の朝は早い。
パーティー結成の翌日、アキラと新しい仲間たちは、それぞれ宿で朝食を済ませると、約束通り早朝からギルドの酒場に併設された食堂に集まっていた。
「……ふわぁ……眠い……」
クララが、上品に手で口元を隠しながら、小さな欠伸を漏らした。
「クララさん、昨夜はあまり眠れませんでしたか?」
一番年下のサイモンが、心配そうに尋ねる。彼は神学校での習慣が身についているのか、朝から背筋がしゃんと伸びていた。
「ええ、少しだけ。ベッドが変わると、どうも寝付けなくて」
クララはそう言って微笑んだが、その目元には微かな隈が残っている。
グンターは、そんな二人を横目に、黙々と水を飲んでいた。
「さて、と!」
全員が揃ったのを見計らって、グッズがパン、と手を叩いた。
「腹も膨れたことだし、早速、俺たちの記念すべき初仕事を探しに行こうぜ!」
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朝の冒険者ギルドは、夜とは違う、仕事前の緊張感と活気に満ちていた。
屈強な冒険者たちが、巨大な掲示板の前で、今日の依頼を品定めしている。
「いいか、みんな。俺たちはまだ銅等級だ。このランクで受けられる依頼ってのは、正直、大したもんじゃねえ」
グッズは、掲示板に張り出された羊皮紙を指差しながら、新人たちにギルドの現実を教えた。
「薬草採集、荷物運び、どっかの貴族の庭掃除……。見ての通り、ほとんどが雑用だ。だが、俺たちの狙いは違う」
彼の指が、掲示板の隅にひっそりと張り出された、一枚の依頼書を捉えた。
「これだ。『地下下水道にて、ジャイアント・ラットの討伐を求む』」
「ジャイアント・ラット……ですか?」
サイモンが、少しだけ不安そうな顔をした。
「ああ。銅等級の依頼にしちゃあ、珍しい討伐系だ。討伐依頼は、普通は鉄ランクからだからな。だが、こういう地味な討伐をきっちりこなしていくのが、ギルドでの評価を上げて、早くランクアップするための近道なのさ。どうだ、アキラ?」
「俺は、構わない」
アキラが頷くと、他のメンバーも異論はないようだった。
早速依頼書を受付に持っていくと、手続きは滞りなく完了した。
「ジャイアント・ラットは、中型犬くらいの大きさのネズミだ。一体一体は弱いが、繁殖力が強くてな。放っておくと、あっという間に下水道が奴らの巣窟になっちまう。そうなると、病の元だし、何より清掃夫たちがメンテナンスに入れなくなるんで、街としても早めに潰しておきたいってわけだ」
下水道へ向かう道すがら、グッズが依頼の背景を説明してくれた。
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やがて、一行は、人気のない路地の奥にある、鉄格子のはまったマンホールの前にたどり着いた。
グッズが慣れた手つきで鍵を開けると、むわり、と湿ったカビと汚水の匂いが立ち上ってくる。
「さて、と。んじゃ、行きますか」
クララが、すっと前に進み出た。
「―――闇を照らす永遠の光よ、我らの道を示せ。<<コンティニュアル・ライト>>」
彼女が詠唱を終えると、アキラたちの剣や、彼女自身の杖の先が、ぼう、と柔らかな光を放ち始めた。
暗く、狭い螺旋階段を下りていく。
足元は、常にぬるりとした感触があり、気をつけないと滑りそうだ。
クララの魔法が照らし出す先には、どこまでも続く、薄暗い石造りの通路が伸びていた。
「……うわっ!」
その時だった。先頭を歩いていたクララが、不意にバランスを崩し、短い悲鳴と共に足を滑らせた。
ちゃぽん、という水音と共に、彼女の足が汚水の中に浸かる。
「大丈夫か、クララさん!」
一番近くにいたサイモンが、慌てて彼女に駆け寄ろうとして――
彼もまた、ぬるりとした床に足を取られ、盛大に尻餅をついた。
「わ、わわわ!」
その騒ぎに、闇の奥から、無数の赤い光点が現れた。
「……来たぜ!」
グッズの鋭い声が響く。
だが、パーティーはすでに混乱の極みにあった。
盾役であるはずのグンターは、仲間を助けようとして中腰になったまま、狭い通路で体勢を立て直せずにいる。
クララは、汚水に浸かった足に気を取られ、魔法の詠唱ができない。
サイモンは、尻餅をついたまま、迫りくるネズミの群れに顔を引きつらせている。
「ちっ、仕方ねえ!」
アキラとグッズは、顔を見合わせると、同時に前に飛び出した。
だが、彼らの前には、立ち往生している仲間たちがいる。
「邪魔だ、どけ!」
「ひいっ!」
狭い通路で、五人の身体が窮屈にひっしめき合う。
その間を、ジャイアント・ラットたちが素早い動きですり抜けていく。
「こんの、ちょこまかと!」
アキラの剣が空を切り、石壁に当たって火花を散らした。
グッズは、なんとか数匹を仕留めるが、敵の数は減らない。
その時、誰かが不用意に蹴飛ばした石が、壁の穴を塞いでいたゴミの山を崩した。
次の瞬間、その穴の中から、討伐対象ではない、ただのネズミが、文字通り津波のように溢れ出してきた。
「「「うわあああああああ!」」」
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もはや、戦闘どころではなかった。
クララとサイモンの悲鳴を合図に、パーティーは算を乱して、今来た道を駆け戻る。
足元を埋め尽くすネズミの群れと、ぬるぬるの床に悪戦苦闘しながら。
結局、体勢を立て直し、残りのジャイアント・ラットを殲滅し終えたのは、それから一時間以上も後のことだった。
戦いが終わり、五人は、誰からともなく、その場にへたり込んだ。
全員、頭の先からつま先まで、汚水と泥にまみれている。
「……はは……」
誰からともなく、乾いた笑いが漏れた。
「……ははは、なんだこりゃ。ひでえ初仕事だな」
グッズの言葉に、全員が声を上げて笑い出した。
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下水道の出口には、王都の賢者が作ったという、清潔な水が絶え間なく流れる水道があった。
アキラたちは、まるで生まれ変わったかのように、その冷たい水で全身の汚物を洗い流す。
グッズは、戦闘中も器用に立ち回っていたおかげか、それほど汚れてはいなかったが、他の四人の惨状は見るに堪えないものだった。
「いやあ、ひでえもんだ。まるで、下水の中から生まれてきたみたいだな、お前ら」
グッズの軽口に、もう誰も怒る気力も残っていない。
びしょ濡れの五人は、討伐の証拠であるジャイアント・ラットの尻尾の束を革袋に詰め込むと、とぼとぼとギルドへの帰路についた。
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夕暮れ時のギルドは、仕事を終えた冒険者たちの熱気で満ちていた。
そんな中、水浸しで、いまだに微かな汚水の匂いを漂わせる一行の姿は、当然のように注目の的となる。
「おい、見ろよ。あそこの新人ども、ずぶ濡れじゃねえか」
「はは、どうした、夕立にでも遭ったのか?」
周囲から投げかけられる、悪意のない、しかし容赦のないからかいの声に、新人である三人は顔を真っ赤にして俯いた。
アキラもまた、気恥ずかしさにどうしていいか分からない。
ただ、グッズだけは、そんな野次にも臆することなく、胸を張って言い返した。
「うるせえな、野次馬ども! こちとら、お前らが嫌がる汚ねえ仕事で、きっちり街に貢献してきた帰りだ! 敬意を払え、敬意を!」
その堂々とした態度に、周りの冒険者たちも「へっ、威勢がいいな」と、面白そうに笑うだけだった。
受付で依頼の完了を報告し、討伐の証拠を提出すると、報酬として銀貨の入った小さな革袋が手渡された。
その、あまりにも軽い重み。
パーティーは、その場で解散となった。
グンター、クララ、サイモンは、それぞれの安宿へと、疲れ切った足取りで帰っていく。
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「ただいま、エル」
宿屋の部屋に戻ると、エルが心配そうな顔で出迎えてくれた。
「おかえりなさい、アキラ。ひどい恰好……。大丈夫だったの?」
「ああ、まあな……。それより、見てくれ!」
アキラは、その日の成果である革袋を、子供が初めてのお使いを成功させたかのように、誇らしげに、そして満面の笑みでエルの前に差し出した。
「これが、俺たちの初めての報酬だ!」
革袋からこぼれ落ちたのは、銀貨がわずかに八枚。五人で分けた、アキラの取り分だった。
「まあ、すごいわ! これが、アキラが冒険者として、自分の力で稼いできた、初めてのお金なのね。お疲れ様」
エルは、心からの笑顔で、素直に夫の功績を讃えた。
その純粋な喜びに、アキラの心は満たされた。
彼は、妻が喜んでくれたという事実だけで、今日の全ての苦労が報われた気がしていた。
その夜。アキラは、心身ともに疲れ果てていた。
エルが用意してくれた夕食を食べ終えると、ベッドに倒れ込むようにして、すぐに大きないびきをかき始めた。
エルは、夫の穏やかな寝顔を、しばらく黙って見つめていた。
そして、テーブルの上に置かれた、八枚の銀貨に視線を落とす。
(……銀貨八枚)
この宿の代金は、一晩で銀貨十枚。
それに、日々の食費。
駆け出しの頃は大変だって、覚悟していなかったわけじゃない。
でも、こうして現実を目の当たりにすると、やっぱり胸が苦しくなる。
このままでは、アキラが村で一年かけて稼いだお金が、あっという間に底をついてしまう。
その先にあるのは、「砂嵐」から受け取った、最後の虎の子。
(……大丈夫。まだ、大丈夫よ)
彼女は自分に言い聞かせる。
アキラの前では、決して不安な顔は見せられない。
彼は、ただでさえ初めてのリーダーという重圧と、慣れない都会での生活に、必死で戦っているのだから。
だが、一度芽生えた不安は、夜の静寂の中で、じわじわと彼女の心を蝕んでいく。
(本当に、大丈夫なの……?)
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エルは、音を立てないようにそっとベッドを抜け出すと、マントを羽織り、宿屋の部屋を後にした。
向かった先は、グッズが借りているという、街の少し外れにあるアパートの一室だった。
「……よう、エル。どうしたんだ、こんな夜更けに。アキラは?」
グッズは、突然の来訪者に驚きながらも、彼女を部屋へと招き入れた。
「……アキラは、疲れて、もう眠っています」
エルは、俯いたまま、か細い声で言った。
そして、堰を切ったように、これまで胸の内に溜め込んでいた不安を、吐き出した。
今日の依頼のこと。
報酬が、あまりにも少なかったこと。
このままでは、生活が立ち行かなくなるのではないかという、現実的な恐怖。
彼女は、アキラには見せられない、素直な弱さを、この男の前でだけは、見せることができた。
グッズは、そんな彼女の話を、ただ黙って、優しく聞いていた。
「……そっか。まあ、最初はそんなもんだ。銅等級なんて、ギルドからの『お試し期間』みてえなもんだからな」
彼は、落ち込むエルを安心させるように、力強く言った。
「だが、心配すんな。アキラの腕は、本物だ。今日みたいな地味な依頼でも、きっちりこなしていけば、ギルドの評価は必ず上がる。そうすりゃ、大した時間がかかる前に、あいつは絶対にランクを上げて、もっと稼げるようになる。俺が、保証する」
その、どこまでも頼もしい言葉。
エルの瞳から、こらえていた涙が一筋、こぼれ落ちた。
「……っ、ごめんなさい。私……」
「馬鹿野郎、謝るなよ。あんたが、アキラのために必死なのは、誰よりも俺が一番分かってる」
グッズは、そう言うと、震える彼女の肩を、そっと、しかし力強く抱き寄せた。
「大丈夫だ。俺が、絶対にあんたたちを食わせてやるから」
その温かさが、張り詰めていたエルの心の糸を、ぷつりと切った。
彼女は、彼の胸に顔を埋め、子供のように声を殺して泣いた。
グッズは、ただ黙って、彼女の背中を、優しく、何度も撫でていた。




