2章9節「王都への道」
ハーマルでの滞在四日目の朝は、穏やかなものだった。
その日、グッズは珍しく顔を見せなかった。アキラとエルは、朝食を終えると、自然と手を繋いで町の賑やかな通りへと繰り出した。二人きりで過ごす、久しぶりの時間だった。
エルの黒髪には、アキラが先日贈った、小さな花の髪飾りが可憐に揺れていた。
「やっぱり、よく似合うな」
アキラがそう言うと、エルは嬉しそうにはにかんだ。
「えへへ。ありがとう」
彼女は、道端で売られていた、木の実を飴で固めた素朴な菓子を買い、その半分をアキラの口へと運んだ。その、何でもないやり取りの一つひとつが、アキラにとっては宝物のように感じられた。
二人は、これから始まる長い旅のために、新しい水袋や、保存の利く干し肉などを買い足しながら、町での最後の穏やかな時間を楽しんだ。
□■□■□■
五日目の朝、三人は再び慣れ親しんだ商人のキャラバンに合流した。
「よう、アキラ! 昨日はどこ行ってたんだよ」
グッズが、いつものように陽気な声でアキラの肩を叩く。
「ああ、エルと町を見て回っていた。またよろしくな、グッズさん」
「おうよ!」
グッズは、アキラの肩を力強く叩いた。その笑顔は、どこまでも頼もしかった。
ハーマルを出発し、王都へと続く主要街道の旅は、これまでの辺境の道とは全く異なるものだった。
街道はよく整備され、他のキャラバンや、貴族のものらしき立派な馬車とすれ違うことも増えてくる。道の両脇には、どこまでも続く豊かな穀倉地帯が広がり、その風景は穏やかで、牧歌的でさえあった。
この地域は王国の中心部に近く、比較的治安も良いため、モンスターの襲来は滅多にない。そのため、キャラバンに属さず、個人で旅をする者たちの姿も多く見られた。
□■□■□■
旅が順調に進むにつれて、夜、焚き火を囲む時間は、彼らにとって未来を語るための、かけがえのないものとなっていた。
ある夜、グッズが、いつもの冗談めかした口調を少しだけ改め、アキラに問いかけた。
「なあ、アキラ。王都に着いて、ギルドに登録した後、具体的にどうするつもりなんだ?」
「どうする、と言われても……。どこか、人手の足りていないパーティーにでも入れてもらおうかと思っている」
アキラの素朴な答えに、グッズは即座に首を横に振った。
「そりゃあ、考えもんだな。いいか、アキラ。既存のパーティーってのは、人間関係が出来上がっちまってる。新入りは、面倒な雑用ばっかりやらされるのがオチだ。お前みたいな腕利きが、変な連中と組んで燻っちまうのは、もったいねえよ」
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
グッズは、にやりと笑って、一つの解決策を提示した。
「だからよ、アキラ。お前がパーティーを作ればいいんだ。お前がリーダーだ」
「俺がリーダーなんて、無理だ」
アキラは、元サラリーマンとしての気質から、即座に尻込みする。
「馬鹿野郎、心配いらねえよ。戦闘はお前がやれ。面倒なギルドとの交渉や、仲間集めは、この俺が全部支えてやるからさ」
その力強い言葉に、アキラは心を動かされた。だが、まだ躊躇いが残っている。
「グッズさんのパーティーは、どうしたんだ?」
その問いに、グッズは少しだけ遠い目をして答えた。彼の所属していたパーティーは、一年前の冒険でリーダーが再起不能の怪我を負い、解散していた。それ以来、彼は貯えを切り崩しながら南部を気ままに旅し、金が尽きれば簡単なソロ依頼で糊口をしのいでいたのだと。
「俺には、王都に、腕はいいのに色々と訳ありで燻ってるメンバーの心当たりがある。それに、やる気のある新人を勧誘したっていい。アキラ、お前が旗頭になれば、きっと面白いパーティーができるぜ」
その夜、アキラが先に眠りについた後も、エルとグッズは静かに語り合っていた。
そして翌日、エルはアキラの背中を、完璧な形で後押しした。
「私、グッズさんの話、いいと思うわ。アキラがリーダーなんて、すごく素敵じゃない!」
親友の力強い後押しと、愛する妻の屈託のない応援。アキラの心は、固まった。
□■□■□■
最後の宿場村であるサンドネス村を過ぎると、旅の終わりはもう間近だった。
キャラバンの中の誰もが、どこかそわそわとした空気を漂わせ始める。
そして、ハーマルを出発して二十日が過ぎた、ある日の昼下がり。
なだらかな丘を越えた、その瞬間。
「……見えた」
誰かが、そう呟いた。
その声に促され、アキラとエルは、息を飲んだ。
遥か前方、地平線の彼方に、巨大な壁が見える。これまで見てきたどんな町の壁よりも高く、長く、そして白く輝いている。その壁の中心には、天を衝くかのように、巨大な城がそびえ立っていた。
王都、スタヴァンゲル。
公称人口五千人。だが、その威容は、アキラの想像を遥かに超えていた。未来世界の建築物を知る彼ですら、その荘厳さには、ただただ圧倒されるしかなかった。
「……すごい……」
エルは、感嘆の声を漏らし、アキラの腕をぎゅっと握りしめた。その瞳は、憧れと、期待と、ほんの少しの不安できらきらと輝いている。
キャラバンが、ゆっくりと王都の門へと近づいていく。
アキラは、隣に立つ、愛する妻の横顔を見つめた。
そして、その向こうで、同じように興奮した顔で自分たちに笑いかける、最高の親友の顔を見た。
彼は、この世界に来て初めて、心の底から、未来への確信を抱いていた。
(ここからだ)
この場所で、俺たちの物語は、本当に始まるのだ。
アキラは、エルの手を強く握り返した。その手の中にある温もりと、胸の奥から込み上げてくる熱い高揚感だけが、世界の全てだった。




