1章14節「初めての町、暮らしの支度」
レールダルの町は、石壁に囲まれていた。
高さは三メートルほどだろうか。長い年月を経て苔むしたその壁は、ウンドレダル村の粗末な木の柵とは比べ物にならない、確かな守りを感じさせるものだった。
「わあ……!」
町の門をくぐった瞬間、エルの瞳が、これまで見たこともないほど大きく見開かれた。
普段は静かなウンドレダル村で暮らす彼女にとって、この人口五百人の町は、まさに大都会そのものだった。
石畳の道が一本まっすぐに伸び、その両脇には、鍛冶屋、パン屋、宿屋、そして用途の分からない様々な商店がひしめき合っている。
行き交う人々の多さ、響き渡る喧騒、様々な店から漂ってくる未知の匂い。
その全てが、彼女の心を躍らせていた。
一方、アキラの目には、その光景はまったく違って映っていた。
未来のメガロポリスを知る彼にとって、この町はまるで歴史的なテーマパークのようだ。
活気はあるが、どこまでも小さく、原始的な集落。
だが、隣で目を輝かせるエルの純粋な喜びに、彼もまた自然と口元が緩むのを感じていた。
「よし、まずは武器だな」
アキラは、通りの向こうから聞こえてくる、リズミカルな槌の音を目指して、真っ直ぐに歩き出そうとした。
だが、その腕を、エルがそっと掴んで制止する。
「アキラ様、お待ちください。その前に、まずはお金を準備しないと」
「金? 村長さんからもらったじゃないか」
「はい。でも、村にあるお金は、あれがほとんど全部なんです。きっと、新しい剣や弓を買うには、少し足りないと思います」
エルは、アキラにこの世界の現実を、優しく、しかしはっきりと説明した。
ウンドレダルのような開拓村では、貨幣経済はあまり浸透しておらず、日々の暮らしは物々交換が中心なのだと。
アキラは、自分の考えの浅さに気づき、少しだけ気恥ずかしくなった。
「じゃあ、どうするんだ?」
「ふふ。大丈夫です。そのために、これを積んできたのですから」
エルは悪戯っぽく笑うと、荷馬車に積まれた荷を指差した。
そこには、村で採れた薬草や保存食用の干し肉、そして、最も価値があるであろう、アキラが仕留めたイノシシの見事な毛皮が積まれている。
「まずは、村のみんながいつもお世話になっているお店に行って、これを買い取ってもらいましょう」
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二人はまず、エルが言う、古びた交易所へと向かった。
年季の入った木の扉を開けると、様々な香辛料と、革製品の匂いが混じった、独特の空気が鼻腔をくすぐる。
「おう、エルじゃないか。どうしたんだい、こんな時期に。いつもは秋の収穫が終わってからだろう?」
店の奥から現れた、人の良さそうな髭面の店主は、エルの顔を覚えていたようだった。
「こんにちは、ゲイルさん。今日は、特別なんです」
エルは、店主の問いに臆することなく、隣に立つアキラを誇らしげに指し示した。
「こちらはアキラ様。村の新しい仲間で、とても腕の立つお方なんです。その方の武具を揃えるために、今日は村のものを売りに来ました」
エルはそう言うと、荷馬車からイノシシの見事な毛皮を広げて見せた。
店主のゲイルは、その傷一つない完璧な毛皮に、プロの目で感嘆の声を上げる。
「……それに」
エルは、少しだけ頬を赤らめ、照れたように、しかしはっきりと付け加えた。
「……私の、旦那様になる人なんですよ」
「……なっ!?」
予期せぬエルの大胆な宣言に、アキラの方が真っ赤になってうろたえた。
ゲイルは、そんな二人の様子を面白そうに眺めると、「へっ、そいつはめでてえな」と豪快に笑い、毛皮を少しだけ色を付けて買い取ってくれた。
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十分な資金を手にした二人は、次いで鍛冶屋へと向かった。
アキラがゴブリンとの戦いで鹵獲したボロボロの剣や、オーガが使っていた巨大な斧を屑鉄として売り払い、わずかながら資金の足しにする。
鉄の匂いと、火花の散る薄暗い店内。
壁には、様々な種類の剣や斧が並べられている。
アキラは、店に並ぶ高価な鋼の剣や装飾の施された弓に目を奪われたが、エルの現実的な助言もあり、予算内で最良の選択をすることになった。
頑丈で実用的な鉄の剣を一本。
村で使っていたものより格段に強力な硬い木の強弓と、鉄の矢じりがついた矢を二十本。
そして、新品には手が出ないため、状態の良い中古の皮鎧。
それらを揃えると、手にした資金は半分近くにまで減っていた。
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武具を揃え、最大の目的を果たした二人は、町で一番美味しいと評判の料理屋で、ささやかな祝宴をあげることにした。
村では決して食べられない、香辛料の効いた温かい猪肉のシチューと、焼きたての柔らかい白パンに舌鼓を打つ。
「美味しいですね、アキラ様」
「ああ、美味いな」
満ち足りた心地で食事を終え、アキラは当然のように口を開いた。
「さて、今夜の宿を探すか」
しかし、その言葉に、エルが申し訳なさそうに眉を下げた。
「……あの、アキラ様。お金が……」
彼女がそっと見せた革袋の中には、銀貨が数枚と、銅貨が数えるほどしか残っていなかった。
宿に泊まれば、明日の食費すら危うい。
その現実を前に、アキラはしかし、少しも落胆しなかった。
むしろ、おかしさがこみ上げてきて、思わず笑ってしまった。
「なんだ、そんなことか。なら、いつものように外で寝ればいい。その方が、二人きりになれるしな」
彼は、もはや野営を苦とは感じていなかった。
むしろ、それこそが、この世界での自分たちの暮らしなのだと、ごく自然に受け入れている。
エルは、そんなアキラの言葉に、心底安堵したように、そして愛おしそうに微笑んだ。
二人は食料だけを買い足し、町の門が閉まる前に、外の森へと、その夜の寝床を探しに向かった。
それは、彼らにとって、これから始まる新たな日常の、ほんの始まりに過ぎなかった。




