1章13節「雨宿りの歌」
出発の朝は、雲一つない快晴だった。
ウンドレダル村の村人たちが、総出で広場に集まり、二人を見送っている。
村の農耕馬の一頭が引く、幌付きの簡素な荷馬車には、村長が工面してくれたなけなしの資金と、数日分の食料、そして村人たちからの餞別である干し肉や保存用の果物が、ぎっしりと積み込まれていた。
「アキラ様、エル。道中、くれぐれも気をつけてな」
村長が、父親のような優しい目で見送る。
隣に立つガルドは、ぶっきらぼうな口調で言った。
「アキラさんよ、妙なもんに首突っ込むんじゃねえぞ。エルさんを泣かせたら、承知しねえからな」
「分かっている」
明は、はにかみながら頷いた。
村人たちの温かい視線が、少しだけ気恥ずかしい。
エルは、そんな明の腕にそっと自分の腕を絡め、幸せそうに微笑んだ。
ガタガタと音を立てて、荷馬車は村の門を抜けた。
遠ざかっていく村人たちの姿が見えなくなるまで、エルはずっと手を振り続けていた。
やがて、森の道へと入り、二人の世界だけが残される。
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三日間の旅路は、アキラにとって、生まれて初めて経験するような、穏やかで満ち足りた時間だった。
灰色の日常では、旅行など夢のまた夢だった。
それが今、自分の腕で手綱を握り、隣には愛しい少女が微笑んでいる。
一日目は、そんな事実だけで胸がいっぱいだった。
時折、エルが手作りの干し肉サンドを彼の口元へ運び、彼はそれを照れながらも頬張る。
幌の下で、寄り添ってうたた寝をする。
そんな、何でもない一つひとつの出来事が、彼の心を温かいもので満たしていった。
夜になり、森の開けた場所で野営の準備を始めると、アキラの心はさらに躍った。
未来の都市部で育った彼にとって、自分の手で火をおこし、獲物を捌いて食事を作るという行為は、何もかもが新鮮で刺激的だった。
満天の星空の下、パチパチと爆ぜる焚き火の音を聞きながら食べる、少し焦げ付いた兎の肉は、これまで口にしたどんなご馳走よりも美味しく感じられた。
そして、夜の闇と、二人きりという状況が、彼らの理性のタガを静かに外していく。
幌の中に敷かれた毛布の上で、どちらからともなく互いを求め、肌を重ねる。
アキラの有り余る体力は、ここでも遺憾なく発揮された。
夜が更け、白み始める頃になっても、彼の情熱は衰えることを知らない。
明け方、彼の腕の中で眠るエルは、幸せそうに、しかしどこか満足げな疲労の色を浮かべていた。
その姿に、アキラは人間離れした自分の身体と、彼女の愛おしさの両方を、改めて実感するのだった。
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二日目、急な夕立に見舞われた。
二人は慌てて荷馬車の幌の中に逃げ込み、一枚の毛布にくるまりながら、過ぎ去っていく雨音を聴いていた。
肌寒いほどの空気の中で、互いの体温だけが温かい。
エルが、ふと、村に古くから伝わる恋の歌を、小さな声で口ずさみ始めた。
その素朴で、少しだけ物悲しいメロディは、不思議とアキラの心に染み渡った。
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三日目の昼下がり、森の木々が途切れ、視界が大きく開けた。
「……アキラ様、見てください!」
エルの弾んだ声に促され、アキラは丘の上から眼下を見下ろした。
そこには、これまで見たこともない光景が広がっていた。
高さ5メートルほどの、苔むした石壁にぐるりと囲まれた、小さな町。
石畳の道がまっすぐに伸び、その両脇には、瓦屋根の家々がひしめき合っている。
壁の外には広大な畑が広がり、多くの人々が働いていた。
未来のメガロポリスを知るアキラにとって、それはまるで歴史的なテーマパークのように映ったが、人口85人のウンドレダル村しか知らないエルにとっては、まさに大都会そのものだった。
「あれが、レールダル……」
アキラの呟きに、隣でエルが興奮したように声を上げた。
「はい! すごいですね、アキラ様! たくさん人がいて、お店もいっぱいあります!」
彼女の純粋な喜びに、アキラも自然と口元が緩む。
新しい剣と弓。
そして、この少女と二人で歩く、初めての町。
灰色の日常では決して味わえなかった、ささやかな、しかし確かな高揚感を胸に、二人は荷馬車を町の門へと進めた。




