第6話 何もなかった俺、人生最大の転機を迎える
# 第6話 何もなかった俺、人生最大の転機を迎える
嘆きの迷宮から出ると、夕暮れの光が目に眩しかった。
そして、出口には意外な人物が待っていた。
「おかえり、母さん」
チココが腕を組んで立っている。その表情は――なんというか、呆れと諦めと怒りが混じったような複雑なものだった。
「チョコちゃ~ん!」
メリルが嬉しそうに駆け寄ろうとするが、チココは片手を上げて制止した。
「ちょっと待って。まず聞かせてもらうよ」
チココの視線が俺に向けられる。鋭い青い瞳に射抜かれて、背筋が凍る思いだった。
「なんで五体満足で外に出て来てるの?」
「え?」
予想外の質問に戸惑う。
「普通はさ、一回目は痛い目を見てもらって、危険なら引き返すことを学んでもらわないといけないんだよ」
チココがため息をつく。
「それが冒険者の鉄則。痛みを知らない奴は、いずれ取り返しのつかない失敗をする」
「でも~、レオンちゃんは優秀だから一番下まで行きました!」
メリルが胸を張って言う。まるで自分のことのように誇らしげだ。
「一番下?」
チココの眉がピクリと動いた。
「まさか、59階層の扉を? あそこはSランク以上が3人いないと開かないはずだけど」
「開いたわよ~」
「は?」
チココの顔が青ざめていく。
「ちょっと待って。あの扉の奥には、300年前に封印した魔族が――」
「魔族とも戦ったわよ~」
メリルがあっけらかんと答える。
「ちょっと力不足だったけどね~」
チココが頭を抱えた。そして、怒りの矛先を別の方向に向ける。
「パールヴァティさん!?」
隠れていたパールヴァティが、ひょこっと姿を現す。
「やあ、チココ様」
「やあ、じゃないよ! 何やってんだお前!!」
チココが珍しく声を荒げた。普段の冷静な騎士団長とは別人のようだ。
「新人をいきなり魔族と戦わせるとか、正気か!?」
「いや、だってさ……」
パールヴァティが困ったように頭を掻く。
「メリル様に頼まれて断れるわけないだろ」
そして、上目遣いでチココを見る。
「なぁ、許してくれ」
「許すわけないだろ!」
チココがパールヴァティの頭を掴んで、ぐりぐりと拳を押し付ける。
「報告書10枚! 反省文20枚! そして夜勤当番1ヶ月追加だ!」
「ひぃ~! それだけは勘弁してくれ~!」
パールヴァティが情けない声を上げる。ロイヤルパラディンの威厳も何もあったものじゃない。
「チョコちゃん、そんなにいじめちゃダメよ~」
メリルが二人の間に割って入る。
「それより、レオンちゃんは次何すればいいの?」
チココは深呼吸をして、なんとか冷静さを取り戻した。
「そうだな……普通ならAランクから順番に依頼をこなしていくんだけど」
チココが考え込むような表情を見せる。
「騎士団でも冒険者ギルドでも、Sランクの任務はぽっと出の、それもソロの人に出せないんだよね」
「なんで~?」
「信頼と実績がないから。いくら実力があっても、いきなり重要任務は任せられない」
確かにその通りだ。昨日までFランクだった俺が、いきなりSランクの仕事をもらえるはずがない。
「何より経験値を積んでもらわないといけないし、正直、順番待ちになってるんだよね」
チココが苦笑いを浮かべる。
「Sランクの依頼は数が少ないから、ベテランたちが取り合いになってる」
「じゃあ、どうすれば……」
俺が口を挟むと、チココが振り返った。
「そうだな……小隊でも率いてみる? 騎士団には訓練が必要な新兵がたくさんいるから」
「小隊?」
「10人から20人程度の部隊を指揮する。戦闘訓練、任務遂行、部下の管理。リーダーシップを学ぶにはいい経験になる」
なるほど、確かに勉強になりそうだが――
「そんなのレオンちゃんに相応しくないわ!」
メリルが両手を振って反対する。
「小隊なんて、ちまちました仕事じゃダメ~!」
「じゃあ、母さんは何がいいと思うの?」
「うーん……」
メリルが人差し指を唇に当てて考え込む。その仕草が妙に可愛らしい。
そして、ぱっと顔を明るくした。
「そうだ! どっかの領地を任せてあげなさい!」
「は?」
チココと俺が同時に声を上げた。
「領地経営よ~。1人で経営をこなせて、1人で戦闘もできるのよ~」
メリルが得意げに胸を張る。
「レオンちゃんなら絶対できるわ~」
「いや、待って。領地経営って、そんな簡単な――」
チココの言葉を、メリルが遮る。
「大丈夫~! レオンちゃんはスキル枠が空いてたから、私が入れ替え放題だし~」
「入れ替え放題?」
チココが眉をひそめる。
「どうせ軽めのスキル3~4個が限界でしょ? 人間の脳には限界があるんだから」
その時、俺は重要なことを思い出した。
「あの、実は……」
二人の視線が俺に集まる。
「俺、元々スキルを持っていませんでした」
一瞬の沈黙。
そして――
「は?」
チココが素っ頓狂な声を上げた。
「ちょっと待って。元のレベルでも10ちょっとあったよね?」
「レベル12でした」
「なら、何らかのスキルがいくつか覚えてたはずだよ。『荷物整理』とか『体力増強』とか、基礎的なやつでも」
俺は首を横に振った。
「生まれつき何も覚えなかったんです。スキル欄は完全に空白でした」
「そんなことが……」
チココが信じられないという表情で俺を見つめる。
「だから荷物持ちをやらされてたんです。戦闘スキルどころか、補助スキルすら覚えられない欠陥品だって」
15年間、ずっと言われ続けた言葉。欠陥品。出来損ない。スキルなしの役立たず。
「レオンちゃんは特別なの!」
メリルが急に叫んだ。
「スキル枠が完全に空いてるから、入れ替え放題なの~!」
「まさか……」
チココが何かに気づいたような顔をする。
「母さん、それって『白紙の器』?」
「そうよ~! すっごく珍しいの~!」
白紙の器。初めて聞く言葉だった。
「どういうことですか?」
「簡単に言うと」
チココが説明を始める。
「普通の人間は生まれつきスキル枠に制限がある。容量も決まってるし、適性も決まってる。剣士の適性がある奴は剣術系スキルを覚えやすいけど、魔法は覚えにくい」
「はい」
「でも、ごく稀に『白紙の器』と呼ばれる人間が生まれる。スキル枠に一切の制限がない。つまり――」
「どんなスキルでも覚えられるし、入れ替えも自由ってこと~!」
メリルが嬉しそうに続ける。
「1000年に1人いるかいないかの逸材よ~!」
俺は呆然とした。欠陥品だと思っていた自分が、実は超希少な才能の持ち主だったなんて。
「でも、なんで今まで気づかなかったんだろう」
チココが首を傾げる。
「白紙の器なら、もっと早く頭角を現してもおかしくない」
「それはね~」
メリルが俺の頭を撫でる。
「きっと、誰も教えてくれなかったのよ。スキルの覚え方も、成長の仕方も」
確かに、孤児だった俺には師匠もいなかった。他の冒険者たちは、役立たずの俺に構う暇なんてなかった。
「それに、経営スキル持ってる人が足りないみたいなこと、さっき騎士団で聞こえてたわよ~」
メリルがにやりと笑う。
「ちょうどいいじゃない~」
チココは観念したようにため息をついて、懐から地図を取り出した。大陸全土が描かれた詳細な地図だ。
「分かったよ。領地経営か……」
地図を広げて、じっくりと眺める。そして、ある一点を指差した。
「ここならいいよ」
俺は地図を覗き込む。王都から東に300キロほど離れた場所。山と森に囲まれた小さな領地。
「リーンハルト領?」
「人口300人程度の小規模領。没落貴族が管理していたけど、先月亡くなってね。今は暫定的に騎士団が管理してる」
チココが説明を続ける。
「特産品は木材と薬草。あと、輸出用の染料作物と、領民の食料用の小麦を作ってる」
「300人……」
正直、ほっとした。いきなり大都市を任されるよりは、ずっと現実的だ。
「しかも、ここは商人ギルドのキャラバンルート上にある」
チココが地図上で道筋をなぞる。
「王都から東の港町に向かうキャラバンが、必ずここで休憩する。宿屋と食堂があって、そこの収入も結構なもんだよ」
「なるほど」
「騎士団領だから防衛の心配はない。モンスターが出たら騎士団が対処するし、盗賊なんて騎士団領に入ってこない」
チココが指を折りながら続ける。
「面倒な税務処理は騎士団が代行してるし、商人ギルドとの交渉も既に済んでる。輸送ルートも確立されてるから、新しく開拓する必要もない」
「つまり?」
「君は純粋に、領地の生産性を上げることだけに集中できるってことさ」
パールヴァティが補足する。
「前の領主は怠け者だったから、効率化の余地は山ほどあるはずだよ」
「例えば?」
「収穫物の3割は腐らせてたし、木材も適当に切って適当に売ってた。薬草なんて、雑草と一緒くたにして価値を落としてたらしい」
チココが苦笑いする。
「だから君がちょっと工夫すれば、すぐに収益は倍増するはず。面倒な障害は全部取り除いてあるから、思う存分、経営手腕を発揮してくれ」
「周辺の領地との関係は?」
俺が心配そうに尋ねると、チココは手を振った。
「ああ、それも心配ない。東隣は騎士団の直轄領、西は商人ギルドの管理地、北は王立の森林保護区、南は無人の荒野だ」
「つまり、領地争いとか水利権の問題とか、そういう面倒な隣人トラブルは一切ない」
パールヴァティが付け加える。
「前の領主が死んだ時も、誰も領地を狙ってこなかった。それくらい平和な場所さ」
「むしろ問題は、平和すぎて前の領主が努力を怠ったことだね」
チココが肩をすくめる。
「だから君には、純粋に内政に専念してもらいたい。生産効率を上げて、品質を改善して、新しい特産品を開発して……やることは山ほどある」
「先に送ったパラディンも優秀だから、まあ上手く使ってあげて」
「パラディン?」
「ああ、エルフのイリーナ・シルバーリーフ。生真面目だけど、実力は確かだよ」
エルフの騎士か。どんな人なんだろう。
「でも、いきなり領主なんて……」
不安が募る。昨日まで馬小屋暮らしだった俺が、いきなり300人の生活を預かるなんて。
「大丈夫よ~!」
メリルが俺の両手を握る。
「今から経営スキルを覚えさせてあげる~!」
「え、今から?」
パン!
またも背中を叩かれた。
今度は違う種類のエネルギーが流れ込んでくる。剣術の時のような激しさではなく、じわじわと脳に染み込んでいくような感覚。
【スキル習得】
・領地経営 LV.5
・会計管理 LV.5
・人材育成 LV.5
・交渉術 LV.5
・危機管理 LV.5
「うわ……知識が……」
税制、予算管理、人事、外交、防衛。ありとあらゆる経営知識が、一気に頭に流れ込んでくる。
「これで基礎は完璧~!」
メリルが満足そうに頷く。
「あとは実践で覚えていけばいいわ~」
「やれやれ、相変わらず無茶苦茶だな」
パールヴァティが呆れたように言う。
「でも、面白そうじゃん。Fランクから領主様か」
「明日、リーンハルト領に向けて出発しよう」
チココが決定を下す。
「準備期間も必要だろうから、今夜はゆっくり休んで」
「はい!」
俺は背筋を伸ばして答えた。
万年Fランク冒険者から剣聖になり、そして今度は領主に。
人生の変化が激しすぎて、まだ実感が湧かない。
でも、不思議と恐怖はなかった。
メリルという心強い味方がいる。チココという理解者もいる。
何より、俺自身が変わったのだ。もう、昔の臆病で弱い自分じゃない。
「じゃあ、帰ってお祝いパーティーよ~!」
メリルが俺の手を引っ張る。
「レオンちゃんの新しい門出をお祝いしましょ~!」
「ちょ、ちょっと、メリルさん!」
引きずられるように歩きながら、俺は夕焼け空を見上げた。
明日から、俺は領主になる。
300人の命を預かる、責任ある立場に。
障害は全て取り除かれ、純粋に領地を発展させることに集中できる環境。
これは俺にとって、またとないチャンスだ。
前の領主が放置していた問題を、一つずつ解決していこう。
効率を上げ、品質を高め、新しい価値を生み出していこう。
この新しい力と、信じてくれる人たちがいる限り、俺はどんな困難も乗り越えていける。
そう信じて、俺は新たな一歩を踏み出した。