第5話 嘆きの迷宮に挑んだ俺、見えない監視者に出会う
# 第5話 嘆きの迷宮に挑んだ俺、見えない監視者に出会う
朝8時、騎士団本部の正門前。
俺は新しい装備に身を包み、緊張しながら待っていた。オリハルコンの剣が朝日を反射して輝いている。
「レオンちゃ~ん!」
メリルが手を振りながらやってきた。今日は珍しく、ピンクと白を基調とした美しい鎧を身に着けている。
「メリルさん、その鎧……」
「あ~、これ? チョコちゃんに『ダンジョンに行くなら、ちゃんとした格好で』って怒られちゃって~」
でも、チココの姿はどこにもない。
「あれ? チココ様は?」
「お仕事で忙しいんだって~。だから二人で行きましょ~」
「二人だけですか!?」
「大丈夫よ~、私がいるんだから~」
確かにそうだが、記録係もいないのか。まあ、建国王の証言があれば十分か。
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嘆きの迷宮は、王都から半日の距離にある巨大な地下迷宮だった。
入口は古代遺跡のような石造りで、不気味な魔力を放っている。
「じゃあ、行きましょ~」
メリルがスキップするように迷宮に入っていく。緊張感のかけらもない。
1階層目から20階層目まで、俺は順調に魔物を倒していった。
ゴブリン、オーク、リザードマン。神速剣術と剣気開放を使い、全て瞬殺する。
「すごいじゃない、レオンちゃん~!」
メリルは戦闘には一切参加せず、楽しそうに見守っているだけだ。
30階層を超えると、魔物のランクが跳ね上がった。
ミノタウロス、キメラ、そして――
「リビングアーマー!」
Aランクの魔物が、通路を塞ぐように立っている。
以前なら恐怖で動けなかっただろうが、今の俺は違う。
「剣気開放!」
青白く輝く剣で、鎧の関節を正確に斬り裂いていく。
ガシャン!
リビングアーマーが崩れ落ちた。
40階層、50階層と進むにつれ、俺の実力も確実に上がっていく。ユニークスキルが、実戦を通じて成長しているのが分かった。
そして、59階層。
目の前に、巨大な石の扉があった。扉には3つの円形のくぼみがあり、その上に古代文字が刻まれている。
「なんて書いてあるんだろう」
「『三人の勇者、共に歩めば道は開かれん』だって~」
メリルがあっさりと読み上げる。
「つまり、3人同時にこのくぼみを踏まないと開かないってことですね」
俺は扉を見上げてため息をついた。
「残念ですが、引き返しましょう。俺たち2人じゃ開けられません」
「何言ってるの~? 3人いるじゃない~」
メリルがきょとんとした顔で言う。
「え? でも、ここには俺とメリルさんしか……」
「もう~、いつまで隠れてるの~?」
メリルが誰もいない空間に向かって話しかけた。
「やれやれ」
ため息と共に、空間が歪み、一人の女性が姿を現した。
身長160センチほどの小柄な体格。黒い軽装の鎧に身を包み、腰には複数の短剣を下げている。引き締まったアスリートのような体型で、胸は……まあ、スレンダーだ。
「チココ様から監視役を頼まれてるんだから、バラさないでくださいよ」
パールヴァティと呼ばれた女性が、面倒くさそうに肩をすくめる。
「だって、昨日からずっといるんだもん~」
メリルがけろっとした顔で言う。
「チョコちゃんの部屋から出た時から、ずーっと後ろについてきてたでしょ~?」
「気づいてたのかよ」
「それに、チョコちゃんったら隠蔽魔法の軍用サインで合図出してたし~」
メリルが指をくるくる回しながら続ける。
「『レオンが危険な思想を持っていたら、トイレに行った時にでも後ろから絞め殺せ』って書いてあったわよ~」
「ちょっと待って!」
俺は青ざめた。
「絞め殺すって!?」
「やれやれ、チココ様も心配性だよな」
パールヴァティが苦笑いを浮かべる。
「建国王の友達を、そう簡単に殺せるわけないだろ」
「でも、レオンちゃんなら大丈夫でしょ~?」
メリルが俺の頭を撫でる。
「だって、こんなに優しい子だもん~」
「初めまして、レオン・フォレストです」
俺は改めて挨拶した。
「パールヴァティ・ラーメンジー。ロイヤルパラディンで、一応忍者クラスだ」
値踏みするような目で俺を見る。
「へぇ~、本当にFランクから剣聖になったんだ。面白いじゃない」
ロイヤルパラディン。騎士団の中でも最上位の階級。冒険者基準ならSSランクに相当する、化け物クラスの実力者だ。
「しかも隠密特化の忍者クラスでしょ~? レオンちゃんが気づかないのも無理ないわ~」
「忍者って、あのレアな複合職の!?」
「そ。諜報、暗殺、破壊工作、単独任務。何でもこなすよ」
パールヴァティが扉を見る。
「で、これを3人で踏めばいいんだな?」
「そうみたいね~」
俺たちは、それぞれのくぼみの前に立った。
「せーの、で踏むぞ」
「はーい」
「分かりました」
「せーの!」
ドン!
3人同時にくぼみを踏むと、扉がゆっくりと開き始めた。重い石がこすれる音を立てながら、奥への道が現れる。
その瞬間――
ゾクッ
凄まじい魔力が、奥から溢れ出してきた。
「これは……」
「やばいな」
パールヴァティが警戒態勢を取る。
「建国王様、これ本当に新人に任せる案件か?」
「大丈夫よ~。私がいるから~」
のんきなメリルの声とは裏腹に、俺の全身が震えていた。
この魔力、今まで感じたどの魔物とも違う。まるで深淵を覗き込んだような、底知れない恐怖。
「行きましょ~」
メリルが先頭を切って進む。
俺とパールヴァティは、顔を見合わせてから後に続いた。
最下層への階段を下りると、そこは巨大な空間だった。
天井は見えないほど高く、床は鏡のように磨かれている。そして、その中央には――
「なんだ、あれは……」
巨大な水晶が浮かんでいた。
いや、水晶の中に何かが封印されている。人型のシルエットが、うっすらと見える。
「古代の封印か」
パールヴァティが呟く。
「それも、相当やばいやつだ」
水晶が、脈動するように光り始めた。
ピキッ
小さな亀裂が入る。
「まずい! 封印が解けかけてる!」
パールヴァティが叫ぶ。
だが、メリルは相変わらずのんきな顔をしていた。
「あら~、ちょうどいいタイミングね~」
「ちょうどいい!?」
ピキピキピキ!
亀裂が広がり、水晶が砕け散った。
中から現れたのは――
美しい女性だった。
銀色の長い髪、透き通るような白い肌、そして虚ろな金色の瞳。まるで人形のような、非現実的な美しさ。
しかし、その美しさとは裏腹に、放つ魔力は凄まじかった。
「やっと……やっと自由に……」
女性が呟く。その声は、鈴を転がすような美しさと、深い怨念が混じっていた。
「300年……300年も封印されていた……」
そして、俺たちに気づいた。
「人間……! また私を封印しに来たのか!」
殺気が爆発的に膨れ上がる。
「死ね! 全員死ねぇぇぇ!」
女性の手から、黒い魔力弾が無数に放たれた。
「危ない!」
俺は反射的に前に出て、剣を構える。
「剣気開放・円月!」
剣を円を描くように振るうと、青白い障壁が生まれた。魔力弾が次々と障壁に激突し、爆発する。
ドォン! ドォン! ドォン!
「ほぅ、やるじゃない」
パールヴァティが感心したような声を上げる。
「でも、これくらいなら――」
次の瞬間、パールヴァティの姿が消えた。
いや、消えたのではない。あまりにも速すぎて、俺の目が追いつかなかったのだ。
「遅い」
気がつけば、パールヴァティは女性の背後に回り込んでいた。短剣が銀色の軌跡を描く。
しかし――
カキィン!
「なっ!?」
パールヴァティの短剣が、見えない障壁に阻まれた。
「愚かな……私に刃物が通じると思ったか?」
女性が振り返りざまに腕を振るう。凄まじい衝撃波が、パールヴァティを吹き飛ばした。
「くっ!」
パールヴァティは空中で体勢を立て直し、壁を蹴って着地する。
「やれやれ、厄介な相手だな」
「私の名はアルテミシア! 300年前、人間どもに封印された魔族の姫だ!」
アルテミシアと名乗った女性が、憎悪に満ちた声で叫ぶ。
「今こそ復讐を……全ての人間を滅ぼしてやる!」
巨大な魔法陣が、アルテミシアの足元に展開される。
「これはまずいわね~」
メリルが初めて真剣な表情を見せた。
「上級攻撃魔法『滅びの星』。当たったら、この迷宮ごと吹き飛ぶわよ~」
「なんだって!?」
俺は慌てて前に出る。これを止めなければ――
「神速剣術・瞬閃!」
最高速度で接近する。アルテミシアの詠唱を中断させるために。
しかし、アルテミシアは不敵に笑った。
「無駄だ」
詠唱しながら、片手で俺の剣を受け止める。素手で、オリハルコンの剣を。
「なんて硬さだ……!」
「300年も封印されて、力は落ちているが……人間ごときに負けはしない!」
もう片方の手で、俺の腹を殴りつける。
ドゴォ!
「がはっ!」
竜鱗の鎧越しでも、内臓が潰れるかと思うほどの衝撃。俺は吹き飛ばされ、壁に激突した。
「レオンちゃん!」
メリルが心配そうな声を上げる。
「詠唱完了……滅びよ、人間ども!」
魔法陣から、巨大な黒い球体が生まれる。それは不気味な唸りを上げながら、ゆっくりと上昇していく。
「やれやれ、仕方ないか」
パールヴァティがため息をつく。
「対アノマリーグレネード・特級」
腰のポーチから、小さな球体を取り出す。
「それって……」
「騎士団の秘密兵器さ。魔力を強制的に霧散させる」
パールヴァティがグレネードを投げる。
黒い球体に命中した瞬間――
バチバチバチ!
激しい電撃のような光が走り、黒い球体が不安定になる。
「な、なに!? 私の魔法が……!」
アルテミシアが動揺する。
その隙を、俺は見逃さなかった。
「今だ!」
壁を蹴って跳躍する。全身の魔力を剣に集中させる。
「剣聖奥義……!」
頭に浮かんだ技の名前。それは、剣聖だけが使える究極の技。
「天地開闢!」
剣が、まばゆい光を放つ。まるで太陽のような輝き。
一閃。
光の剣が、アルテミシアの障壁を、魔法を、全てを切り裂いた。
「ぐあああああ!」
アルテミシアが苦痛の叫びを上げる。
しかし――
「ふふふ……人間にしては、やるじゃないか」
致命傷のはずなのに、アルテミシアは笑っていた。
「だが、私は不死身……この程度では……」
傷口が、見る見るうちに再生していく。
「次はこちらの番だ」
アルテミシアの瞳が、妖しく光る。
その瞬間、俺の体が動かなくなった。
「魅了……!?」
「ふふ、可愛い剣聖さん。私の下僕になりなさい」
意識が朦朧とする。このままでは――
パンッ!
突然、軽い音がして、アルテミシアの額に小さな穴が開いた。
「え?」
アルテミシアが、信じられないという表情で振り返る。
そこには、人差し指を銃のように構えたメリルが立っていた。
「ごめんね~。レオンちゃんに手を出すのは許せないの~」
「ば、馬鹿な……建国王……!?」
アルテミシアの体が、光の粒子となって崩れ始める。
「また……また封印される……! 覚えていろ、人間ども……!」
最後の叫びを残して、アルテミシアは完全に消滅した。
静寂が戻る。
「はあ、はあ……」
俺は膝をついて、荒い呼吸を整える。
「レオンちゃん、大丈夫~?」
メリルが駆け寄ってきて、俺を抱きしめる。
「あのくらいで死んじゃダメよ~。もっと強くなってもらわないと~」
「すみません……まだまだ、力不足でした」
「ううん、すごく頑張ったわ~。Sランクモンスターを相手に、あそこまで戦えるなんて~」
パールヴァティも近づいてくる。
「確かに、新人にしては上出来だ。でも、油断は禁物だぞ」
「はい」
俺は立ち上がり、崩れた水晶の破片を見つめる。
今回は、メリルがいたから助かった。でも、いつまでも頼りっぱなしではいけない。
もっと強くならなければ。本当の意味で、剣聖と呼ばれるに相応しい実力を身につけなければ。
「さあ、帰りましょ~。今日の晩ご飯は、お祝いの豪華ディナーよ~」
メリルが嬉しそうに言う。
「ダンジョン攻略成功のお祝い~!」
「やれやれ、能天気だな」
パールヴァティが呆れたように言うが、その表情は柔らかい。
俺たちは、崩れかけた最下層を後にした。
帰り道、俺は考えていた。
アルテミシアは最後に「また封印される」と言った。つまり、完全には倒せていない。
そして、300年前の封印。それを行ったのは、おそらく――
「メリルさん」
「なあに~?」
「300年前、魔族を封印したのは……」
「あ~、それはね~」
メリルが振り返り、いつもの笑顔を見せる。
「また今度、ゆっくり話すわ~。今は、レオンちゃんの成長をお祝いしましょ~」
その笑顔の奥に、何か深い感情が隠れているような気がした。
建国王メリル・スターアニス。
彼女の過去には、まだまだ多くの秘密がありそうだ。
でも、今はそれでいい。
俺はまだ、彼女の隣に立つには弱すぎる。
もっと強くなって、いつかは対等な友達として、彼女の過去も、全てを受け止められるようになりたい。
そう決意しながら、俺は夕日に染まる迷宮の出口へと向かった。