第26話(最終話) 弱者の結束と、新たな始まり
# 第26話(最終話) 弱者の結束と、新たな始まり
目を覚ますと、見慣れた天井ではなく、豪華な天蓋付きベッドの装飾が目に入った。
体中に包帯が巻かれ、まだ鈍い痛みが残っている。特に胸の辺りは、呼吸するたびにズキズキと痛んだ。
でも、生きている。
「レオンちゃん!」
目の前には、心配そうな顔で俺を覗き込むメリルがいた。その瞳は真っ赤に腫れていて、ずっと泣いていたことが分かる。
「よかった~、目を覚ましたのね~」
メリルの手が、そっと俺の頬に触れる。その手は、微かに震えていた。
「もう、死んじゃうかと思った……」
涙がポロポロとこぼれる。建国王が、俺のために泣いてくれている。
「すみません、心配かけて」
「謝らないで……」
メリルが俺の手を両手で包み込む。
「レオンちゃんが頑張ってくれたから、みんな無事なのよ」
部屋の奥を見ると、チココがパールヴァティの治療をしていた。聖騎士の純白の光が、彼女の体を包み込んでいる。
驚いたことに、爆発で負った火傷の跡まで、きれいに消えていっている。焦げた髪も元通りになり、砕けた骨も完全に修復されている。流石は騎士団長、回復魔法の腕前も超一流だ。
「うっ……」
息をしようとして、激痛が走った。肺を深く膨らませることができない。まだ折れた肋骨が肺に刺さっているらしい。
「ああ、レオンちゃん、大丈夫!?」
メリルが慌てて俺の胸に手を当てる。温かい魔力が流れ込んでくるが、痛みは変わらない。
「私の回復魔法じゃ、ダメみたい……」
メリルが困ったような顔をする。
「母さん、どいて」
チココが振り返り、俺に向けて手をかざした。聖騎士特有の、神聖な白い光が俺の体を包む。
スッと、呼吸が楽になった。肺に刺さっていた骨が、ゆっくりと元の位置に戻っていく感覚。裂けた肺の組織も、見る見るうちに修復されていく。
「さすがですね、チココ様」
「だから、様はいらないって」
チココが肩をすくめる。しかし、その表情はどこか疲れているように見えた。
「母さんも『人に頼る強さ』とやらを覚えたら?」
皮肉っぽく言いながら、俺の治療を続ける。
「聖騎士の僕の方が、回復魔法は得意だよね」
「そうだったわね~」
メリルが少し恥ずかしそうに頬を染める。
「レオンちゃんを見習わないと~。一人で何でもできるって思い込んじゃダメね~」
---
治療が終わると、チココが俺の前に立った。その表情は複雑だ。怒りと、呆れと、諦めと、そして少しの敬意が混じっている。
「レオン、よくもやってくれたな」
声には非難の色が濃い。当然だ。騎士団を裏切り、さらには騎士団の幹部を倒したのだから。
「……すみません」
「謝罪はいらない」
チココが手を振る。
「そして」
表情が少し和らいだ。
「よくここまで辿り着けたね。正直、驚いてる」
「どういうことですか?」
俺が聞き返すと、チココは窓の外を指差した。
「ちょっと面白いことが起きてる。まず、これを見て」
チココが魔法で空中に映像を投影した。そこには、リーンハルト領の光景が映し出されている。
領主館の前に、大勢の人々が集まっていた。みんな、手に手に何かを持っている。
「『レオン様を返せ!』『不当な弾圧反対!』」
プラカードを掲げて、シュプレヒコールを上げている。その数、優に300人を超えている。
「イリーナが止めようとしたらしいけど」
映像の中で、イリーナが必死に群衆を説得しようとしていた。
『皆さん! 騎士団に逆らうのは危険です! どうか冷静に!』
『冷静になんかなれるか!』
薬草農家のジャックが声を荒げる。
『レオン様は俺たちのために戦ってくれたんだ! 今度は俺たちがレオン様のために立ち上がる番だ!』
『そうだ! そうだ!』
群衆から賛同の声が上がる。
映像が切り替わり、今度は廃村……いや、もう立派な村になっている場所が映った。
「こっちも、すごいことになってる」
村の中心で、カインが演説をしていた。
『レオン様なしに、我々の今はない! 水を与え、食料を確保し、仕事を作ってくれた!』
『騎士団が何だ! 俺たちには、レオン様への恩がある!』
村人たちが、次々と署名をしている。老人も、女性も、子供まで。
「両方合わせて、500人以上の署名が集まった」
チココが別の羊皮紙を取り出す。
「しかも、ただの署名じゃない」
内容を見ると、そこには恐ろしいことが書かれていた。
『我々は、レオン・フォレスト様が解放されるまで、一切の経済活動を停止する』
『薬草、水晶、蜂蜜、その他全ての特産品の出荷を拒否する』
『騎士団及び商人ギルドとの取引を、無期限で凍結する』
「本当に実行されてる」
チココが頭を抱える。
「商人ギルドから、もう50通以上の苦情が来てる」
---
さらに驚くべき映像が映し出された。
森の中で、モリビトの戦士たちが道を封鎖している。倒木を並べ、縄を張り、完全に通行を妨害していた。
『ここは通さん』
モリビトの若い戦士が、騎士団の斥候に告げている。
『レオン殿は、我が部族の恩人だ。子供の命を救い、アカツキタケの在処を教えてくれた』
『道を開けろ! 騎士団の命令だ!』
『騎士団? 知らんな。ここは森だ。森の掟に従え』
長老も映像に映った。
『レオン殿への不当な扱いは、モリビト全体への侮辱と見なす』
『我々は小さな部族だが、森の道は知り尽くしている。迂回路など、存在しない』
騎士団の部隊が、仕方なく引き返していく様子が映った。
「これだけじゃない」
チココが次の映像を出す。
商人ギルドの支部で、ゲオルグが他の商人たちと話し合っていた。
『水晶製品の供給が止まった今、我々も考えるべきだ』
『レオン殿は、公正な取引相手だった。騎士団より、よほど信用できる』
『商人ギルドとして、正式に抗議すべきでは?』
商人たちが、次々と頷いている。
---
「でも、一番の問題はこれだ」
チココが最後の映像を見せた。
王都の街中。貴族たちが、不満そうに話している。
『入浴剤が手に入らない! どういうことだ!』
『ローヤルゼリーも品切れよ! 私の美容法が!』
『騎士団は何をしている! すぐに解決しろ!』
貴族たちの不満が、王宮にまで届いているらしい。
「そして」
チココが映像を消した。
「パールヴァティの悪政も、各地に広まってる」
別の報告書を見せる。そこには、ガルムント領の惨状が細かく記されていた。
『種族差別の横行』『騎士の規律崩壊』『領主代行の職務放棄』
「これ以上は、騎士団の評判がガタ落ちだ」
チココが深いため息をつく。
「正直、お手上げだよ」
---
「それだけじゃないだろう」
俺は核心を突いた。これだけでは、世界最強の騎士団が屈服する理由にはならない。
チココの表情が、さらに複雑になった。
「……鋭いね」
窓の外を見ながら、静かに語り始める。
「一番の問題は、母さんが完全にレオンさんに惚れてしまったことだ」
メリルが真っ赤になる。
「ちょ、チョコちゃん!」
「事実でしょ」
チココが振り返る。その瞳には、深い諦めが宿っていた。
「はぁ、騎士団としても、息子としても、母さんを失うわけにはいかないよ」
その言葉の重みが、ずしりと胸に響いた。
建国王は、騎士団の精神的支柱。彼女なしには、騎士団の正当性も、求心力も保てない。
そして何より、チココにとっては、たった一人の母親。
「昨日、母さんと話したんだ」
チココが疲れた顔で続ける。
「『もしレオンちゃんに何かあったら、私、騎士団を出て行く』って」
「母さん!」
「本気だったでしょ?」
メリルが俯く。否定はしない。
「『チョコちゃんも大人になったし、もう私がいなくても大丈夫でしょ』とか言われて」
チココの声に、苦笑いが混じる。
「『300年も一緒にいたんだから、そろそろ親離れしなさい』だってさ」
---
チココが俺を真っ直ぐ見つめた。
「レオン・フォレスト」
「はい」
「君の勝ちだ。完敗だよ」
その言葉に、重みがあった。騎士団長としての、そして息子としての敗北宣言。
「僕は、騎士団を作ることに夢中で、母さんを一人にし過ぎた」
自嘲的な笑みを浮かべる。
「最強の組織を作れば、母さんを守れると思ってた。でも、母さんが本当に欲しかったのは……」
メリルを見る。
「力じゃなくて、温もりだったんだね」
メリルの瞳に、涙が浮かぶ。
「チョコちゃん……」
「いいんだ、母さん」
チココが優しく微笑む。
「母さんが幸せなら、それが一番だ」
---
そして、チココは姿勢を正した。騎士団長としての威厳を取り戻す。
「レオン・フォレスト」
「はい」
「君を、ガルムント領の領主代行に任命する」
懐から、立派な任命書を取り出す。騎士団の紋章が刻まれた、正式な書類だ。
「そして」
もう一つ、別の書類を取り出す。
「建国王メリル・スターアニスの、正式な護衛騎士に任命する」
護衛騎士。それは、建国王の側に仕える、特別な地位。
「でも、それだけじゃない」
チココの表情が、さらに厳粛になった。
「レオン、いや……」
深呼吸をしてから、宣言する。
「ロイヤルパラディン・レオン!」
その言葉に、部屋の空気が変わった。
ロイヤルパラディン。騎士団の最高位。SSランクに相当する、伝説の称号。
「騎士団長として命じる」
チココの声に、複雑な感情が込められている。
「母さんを支えてやってくれ」
そして、自嘲的に笑った。
「はぁ、色々と手に入れ過ぎたせいで、息子としても君に負けた」
---
その言葉の意味を、俺は理解した。
チココは全てを手に入れた。騎士団長の地位、圧倒的な力、民衆の尊敬、歴史に残る功績。
でも、その過程で失ったものがある。母親との時間。家族としての温もり。息子として、母親に甘える機会。
対して俺は、何も持っていなかった。力も、地位も、金も、何もない。
だからこそ、純粋にメリルの友達になれた。対等に接し、一緒に笑い、時には甘えることもできた。
「僕は強くなりすぎた」
チココが呟く。
「母さんを守れる力を手に入れたけど、母さんに守ってもらう弱さを失った」
メリルが立ち上がり、チココを抱きしめた。
「違うわよ、チョコちゃん」
優しく頭を撫でる。
「あなたは立派よ。私の自慢の息子」
「母さん……」
「でもね」
メリルが俺を見る。
「私も、恋をしちゃったの。300年ぶりに」
その言葉に、胸が熱くなった。
---
しばらくして、パールヴァティが目を覚ました。
「……ぅ」
ゆっくりと体を起こし、自分の体を確認する。傷一つない、完全な回復。
「あー、負けた」
第一声が、潔い敗北宣言だった。
「はぁ、完敗だな」
腰から短剣を外し、俺に差し出す。リリアナの後継者の証。
「これは、あんたのもんだ」
「いえ」
俺は首を振った。
「これは、リリアナ様のものです」
パールヴァティが少し驚いたような顔をした後、苦笑いを浮かべた。
「最後まで、ブレないんだな」
立ち上がり、俺に向かって歩いてくる。
そして、右手を差し出した。騎士同士の握手。
「ロイヤルパラディン・レオン」
その呼び方に、まだ慣れない。だが、パールヴァティの瞳には、同格の騎士への敬意が宿っていた。
「同じロイヤルパラディン同士仲良くしてくれ。もうこんな目に合うのはコリゴリだ」
「こちらこそ」
パールヴァティが相棒を見る目でこちらに微笑んだ。
---
数日後、俺は正式にガルムント領主代行に就任した。
リリアナが短剣を持って、就任式に立ち会ってくれた。シルフィ、ルーナ、そして廃村から駆けつけてくれた仲間たちも。
「レオン様!」
リリアナが涙を流しながら抱きついてきた。
「心配しました……! でも、信じてました!」
「ありがとう、リリアナ」
短剣を正式に返還する。ガルムント家の誇りが、正当な後継者の手に戻った。
カインが深々と頭を下げる。
「レオン様のおかげで、我々は今も生きています」
「今度は、俺たちがレオン様の力になります!」
村人たちが口々に言う。その言葉が、何よりも心強い。
モリビトの長老も来ていた。
「レオン殿、いや、領主様、これらもよろしく頼むぞ」
にやりと笑う。
「今後とも、よろしく頼む」
イリーナも駆けつけてくれた。
「レオン様、ご無事で何よりです」
そして、小声で付け加える。
「実は、ストライキを止めようとしたんですが……民意には逆らえませんでした」
その言葉に、思わず笑ってしまった。
---
最初の仕事は、差別禁止令の発布だった。
「ガルムント領において、全ての種族は平等である」
領主館のバルコニーから、集まった領民たちに告げる。
「人間、エルフ、獣人、ドワーフ、その他全ての種族に、同じ権利と機会を保証する」
エルフや獣人たちから、歓声が上がった。
次に、騎士団の綱紀粛正。
「規律を失った騎士は、騎士にあらず」
パールヴァティが、俺の隣で厳しい表情を見せる。ロイヤルパラディンとしての威厳が、騎士たちを圧倒する。
「今日から、訓練を再開する。酒と賭博に溺れた者は、即刻除隊だ」
騎士たちが、慌てて姿勢を正す。
経済振興策も発表した。
「リーンハルト領、廃村、モリビトとの交易を活発化させる」
「関税は最小限。自由な商売を奨励する」
「差別なき雇用を実現する」
商人たちが、期待に満ちた表情で頷いている。
---
夜、領主館の執務室。
山積みの書類と格闘していると、メリルがお茶を持ってきてくれた。
「レオンちゃん、休憩~」
「ありがとうございます」
ロイヤルパラディンになっても、メリルとの関係は変わらない。いや、むしろ公式な立場ができて、より自然に一緒にいられるようになった。
「大変ね~、領主様は~」
「でも、やりがいがあります」
窓の外を見る。夜の街に、灯りが点々と輝いている。
エルフの職人が、遅くまで工房で働いている。獣人の子供たちが、安心して道を歩いている。人間たちも、他種族と普通に会話している。
少しずつだが、確実に変わり始めている。
「レオンちゃん」
メリルが隣に立つ。
「ありがとう」
「え?」
「私を、一人にしないでくれて」
その言葉に、胸が熱くなる。
「こちらこそ」
俺も窓の外を見ながら言う。
「メリルさんがいなかったら、今の俺はいません」
手と手が、自然に重なる。
「ねぇ、レオンちゃん」
「はい」
「私、もう寂しくないよ」
メリルが幸せそうに微笑む。
「だって、レオンちゃんがいるもん」
その笑顔を見て、俺も自然と微笑んだ。
---
数日後、チココから手紙が届いた。
『母さんをよろしくね。それと、ロイヤルパラディンとしての責務も忘れずに頑張って!
P.S. 今度、ムウナを連れて遊びに行く。義兄上』
最後の一言に、思わず吹き出してしまった。
「何かいいことでも?」
ドアをノックして、パールヴァティが入ってきた。
「訓練の時間だぞ」
最近は、毎日のように模擬戦をしている。同格のロイヤルパラディン同士、お互いに高め合える貴重な相手だ。
「チココからの手紙です」
「へぇ」
興味深そうに覗き込む。
「義兄上、か。まぁ、間違ってないな」
にやりと笑う。
「建国王の旦那様なら、確かに団長の義兄だ」
「ちょ、そういう関係じゃ!」
「今はな」
パールヴァティが肩をすくめる。
「でも、時間の問題だろ」
そう言って、訓練場への道を歩き始める。
「さあ、行くぞ。今日こそ、お前の技を盗んでやる」
「望むところです」
ロイヤルパラディン同士の訓練。それは、お互いを高め合う、最高の時間だった。
---
その夜、メリルと領主館の屋上で星を眺めていた。
「レオンちゃん」
「はい」
「幸せ?」
「もちろんです」
即答すると、メリルが嬉しそうに笑った。
「私も、すっごく幸せ」
そして、俺に寄りかかってくる。
「300年間、ずっと一人だったけど」
「もう、そんな寂しい思いはさせません」
「うん」
メリルが俺の腕に抱きつく。
「約束よ」
「はい、約束します」
ロイヤルパラディンとして、護衛騎士として、そして……
いつか、もっと特別な関係として。
満天の星空の下、俺たちは静かに寄り添っていた。
弱者が強者を倒し、孤独な魂が結ばれ、新しい未来が始まる。
これは、そんな物語。
万年Fランクの俺と、最強の建国王の、これからも続いていく冒険譚。
【完】




