第15話 拗ねた英雄と、俺の覚悟
# 第15話 拗ねた英雄と、俺の覚悟
廃村での生活、三日目の朝。
俺は朝一番で井戸から水を汲み上げていた。昨日よりは効率的になったとはいえ、それでも重労働だ。
「ふぅ……」
バケツを引き上げるたびに、腕が悲鳴を上げる。剣聖の力があっても、こういう地道な作業は楽にならない。
水を濾過し、煮沸し、ようやく飲料水として使えるようになる。その工程だけで、午前中が終わってしまう。
「レオン様、メリル様の分もお願いします」
エルフのシルフィが、申し訳なさそうに言う。
「メリル様、昨日から部屋から出てこられなくて……」
そういえば、メリルの姿を見ていない。昨日の夜から、崩れかけた家の一つに閉じこもっているらしい。
「分かった。俺が届けてくる」
木製のコップに水を注ぎ、メリルがいるという家に向かった。
扉をノックする。
「メリルさん、水を持ってきました」
返事がない。
「入りますよ」
扉を開けた瞬間――
ブオォォォン!
涼しい風が顔を撫でた。
「……は?」
目の前に広がっていたのは、信じられない光景だった。
崩れかけた廃屋の中に、まるで都会のホテルのような空間が広がっている。天井には照明が煌々と輝き、壁際では四角い箱がうなりを上げて冷気を吐き出している。
部屋の中央には、革張りのリクライニングベッドが置かれ、その横のテーブルには南国風のトロピカルジュースが汗をかいている。ストローには小さな傘まで刺さっていた。
そして、その快適空間の主は――
「……」
メリルは、俺の方を一瞥しただけで、すぐにそっぽを向いた。
明らかに不機嫌な顔。頬を膨らませて、わざとらしく窓の外を眺めている。
その表情を見た瞬間、俺の脳裏に昔の記憶が蘇った。
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孤児だった俺にも、一時期だけ相棒がいた。
捨て猫のクロ。真っ黒な子猫で、雨の日に段ボールに入れられて捨てられていたのを拾った。
馬小屋暮らしの俺には、猫を飼う余裕なんてなかった。それでも、同じ境遇の命を見捨てることはできなかった。
自分の食事を分けて、なんとか育てていた。クロは俺になつき、いつも膝の上で丸くなって眠っていた。
ある時、俺が3日間の荷物運びの仕事で街を離れることになった。クロを連れて行くわけにもいかず、仕方なく馬小屋に残して、隣の馬番に世話を頼んだ。
3日後に帰ってきた時、クロは俺を完全に無視した。
いつもなら「にゃー」と鳴いて飛びついてくるのに、プイッと顔を背けて、小屋の隅で丸くなったまま。
呼んでも来ない。撫でようとすると逃げる。完全に拗ねていた。
結局、俺がクロを抱きしめて、頭を撫でながら「ごめん、ごめんな」と謝り続けて、ようやく「にゃあ」と一声鳴いて許してくれた。
……その一週間後、クロは病気で死んでしまった。獣医に診せる金もなく、ただ看取ることしかできなかった。
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今のメリルは、まさにあの時のクロと同じだった。
「あの……メリルさん?」
「……」
返事なし。トロピカルジュースをストローでちゅうちゅう吸いながら、壁を見つめている。
部屋の隅では、見覚えのある黒い箱がブンブンと音を立てていた。自家発電機。おそらく、あの異世界の戦利品の一つだろう。
「水、置いておきますね」
「……」
無言。
でも、その横顔から伝わってくる感情は明確だった。
『なんで疑ったの?』
『私が敵だと思ったの?』
『ひどいよ、レオンちゃん』
言葉にしなくても、全部伝わってくる。
あの森で、俺は一瞬メリルを警戒した。味方か敵か分からず、剣を抜こうとした。その瞬間の感情を、メリルは敏感に感じ取ったのだろう。
「メリルさん、あの時は……」
「別に~」
ようやく口を開いたと思ったら、明らかに拗ねた声。
「レオンちゃんが私を信じてなくても、別にいいもん~」
トロピカルジュースをずずっと音を立てて吸う。わざとらしく大きな音で。
「300年ぶりの友達だと思ってたけど~、違ったみたいだし~」
ぐさっと胸に刺さる言葉。
「いいよ~、私は一人でも平気だから~。ほら、こんなに快適な部屋も作れるし~」
リクライニングベッドの角度を調整しながら、メリルは続ける。
「エアコンも、照明も、発電機も、全部一人で設置できるもん~。誰の助けもいらないもん~」
その声には、明らかな寂しさが滲んでいた。
俺は、クロとの思い出を振り返った。
あの時、もっと早く抱きしめてあげればよかった。もっと素直に甘えてあげればよかった。
後悔しても、クロはもういない。
でも、メリルはここにいる。
俺は決心した。
何も言わず、メリルに近づいていく。
「ちょ、レオンちゃん?」
メリルが戸惑ったような声を上げる。
俺は構わず、メリルに抱きついた。
「ひゃっ!?」
メリルが小さく悲鳴を上げる。
俺は彼女の腰に腕を回し、顔を胸に埋めた。柔らかくて、温かくて、いい匂いがする。
「ごめんなさい」
胸に顔を埋めたまま、俺は呟いた。
「メリルさんを疑って、ごめんなさい」
「レ、レオンちゃん……?」
「寂しい思いをさせて、ごめんなさい」
ぎゅっと抱きしめる力を強める。
「俺、メリルさんが大好きです。友達として、本当に大切に思ってます」
「……」
「だから、許してください。お願いします」
まるで、甘える猫のように。俺はメリルにしがみついた。
しばらく、エアコンの音だけが響いていた。
そして――
「もう、しょうがないなぁ~」
優しい手が、俺の頭を撫で始めた。
「レオンちゃんがそんなに謝るなら、許してあげる~」
メリルの声に、温かさが戻ってきていた。
「でも、今度疑ったら許さないからね~?」
「はい、もう絶対に疑いません」
「本当~?」
「本当です」
俺は顔を上げて、メリルを見つめた。
メリルは少し照れたような、でも嬉しそうな顔をしていた。
「レオンちゃんから抱きついてくるなんて、珍しいわね~」
「すみません、急に……」
「ううん、嬉しかった~」
メリルが俺の頭を両手で包み込む。
「レオンちゃんも、私のこと大切に思ってくれてるんだって分かったから~」
そして、いたずらっぽく笑う。
「でも、まるで甘えん坊の猫ちゃんみたいだったわよ~?」
「う……」
図星だった。実際、クロのことを思い出しながら抱きついたのだから。
「可愛いから、いいけどね~」
メリルが満足そうに微笑む。
「さて、仲直りも済んだし、この廃村をどうするか考えましょ~」
俺は現状を説明した。水の確保の困難さ、食料の不足、住居の問題。
「ふむふむ~」
メリルが考え込むような顔をする。
「私が魔法で全部解決してもいいけど~、それじゃレオンちゃんの成長にならないわよね~?」
「はい。できる限り、自分たちの力でやりたいんです」
「でも、最低限の手助けはするわよ~? 友達が困ってるのに、何もしないなんてできないもん~」
メリルが立ち上がり、指を鳴らした。
パチン!
すると、井戸から綺麗な水が勢いよく湧き出し始めた。
「地下水脈を少し調整したわ~。これで水の心配はないわよ~」
「ありがとうございます!」
「あと、これ~」
メリルがアイテムボックスから、見覚えのあるスマホを取り出した。
「廃村の再建方法とか、調べられるでしょ~?」
「そうですね! これがあれば……」
希望が湧いてくる。異世界の知識を使えば、効率的な村づくりができるはずだ。
「でも、私のエアコンは撤去しないわよ~?」
メリルがいたずらっぽく笑う。
「だって、暑いんだもん~」
「はは、もちろんです」
部屋を出ようとすると、メリルが俺の袖を引っ張った。
「レオンちゃん」
「はい?」
「さっきみたいに甘えてくれるの、たまにはいいわよ~?」
メリルが優しく微笑む。
「私も、レオンちゃんに頼られるの嬉しいから~」
「……はい」
顔が熱くなるのを感じながら、俺は頷いた。
部屋を出ると、綺麗な水が湧き出る井戸を見て、みんなが歓声を上げていた。
「すごい! 透明な水だ!」
「これなら濾過の必要もありません!」
活気が戻ってきた。メリルの機嫌が直っただけで、雰囲気が一変する。
やはり、メリルは太陽のような存在だ。
彼女が笑えば、周りも明るくなる。
彼女が拗ねれば、周りも暗くなる。
そして俺は、そんな彼女に甘えることも必要なのだと学んだ。
強がってばかりじゃダメだ。時には素直に、相手に寄りかかることも大切。
クロが教えてくれたことを、今度はちゃんと実践できた。
万年Fランクだった俺が、建国王の親友。
そして時々、猫のように甘える相手。
不思議な関係だけど、これが俺たちの形だ。
廃村での新しい生活。
騎士団という後ろ盾を失った今、本当の意味での冒険が始まる。
でも、メリルがいれば大丈夫。
お互いに支え合って、甘えて、甘えられて。
そんな関係を大切にしながら、前に進んでいこう。
スマホを片手に、新しい未来への第一歩を踏み出す。
きっと、上手くいく。
そう信じて、俺は廃村再建の計画を立て始めた。