第14話 圧倒的な力と、真の友情
# 第14話 圧倒的な力と、真の友情
森の中を必死に逃げていた。少女リリアナを背負い、生き残ったドラゴンとエルフたちを引き連れて、騎士団の追跡から逃れようと樹々の間を駆け抜ける。
その時だった。
ドスン!
目の前の地面に、空から何かが落ちてきた。
土煙が舞い上がり、小さなクレーターができている。その中心に立っていたのは――
ピンク髪の……メリルだ。
いつものエプロン姿で、まるで買い物帰りのような格好。だが、その存在感は圧倒的だった。
……敵か、味方か分からない。
俺は咄嗟に少女を下ろし、一旦距離を取った。
「みんな、下がって」
メリルは何も言わない。ただじっと俺を見つめている。
拗ねるような、不満そうな顔。頬を少し膨らませて、明らかに機嫌が悪そうだった。
しばらく、息が詰まるような沈黙が流れる。
風が木々を揺らす音だけが、静寂を破っていた。
そして――メリルの表情が変わった。
少しイジワルな顔。悪戯を思いついた子供のような、危険な光が瞳に宿る。
瞬間、全身の毛が逆立った。本能が叫んでいる。
戦わないといけない。
俺は剣を抜き、メリルに向かって踏み込んだ。神速剣術を発動させ、最高速度で――
その瞬間だった。
膨大な魔力が全身を包む。
いや、包むという表現では生ぬるい。押し潰される。存在そのものを否定される。まるで深海の底に沈められたような、息もできない圧力。
俺は、あの感覚を思い出した。
……最初にメリルさんに出会った瞬間の感情。
洞窟で、まだ彼女が魔力の塊でしかなかった時。いつでも自分を排除できる絶対的な存在との対峙。
彼女が望めば、俺はいつでも消える。
それは悪意ですらない。太陽が朝露を蒸発させるように、巨人が気づかずに蟻を踏むように、ただ圧倒的な力の差がそこにある。
対話でも、戦いでも、捕食でも、娯楽でもない。
ただただ避けられない消失。
存在の差。
メリルという太陽の前では、俺はただの影。彼女が少し力を漏らしただけで、俺という存在は霧散してしまう。
次に感じたのは、頭を撫でられる感触だった。
ぽん、と優しく。
一瞬で、あの恐ろしい魔力が嘘のように消えた。
気が付くと、俺は膝をついていた。オリハルコンの剣は手から落ち、地面に転がっている。
そして――下半身に、生温い感覚。
失禁していた。
「レオンちゃん」
メリルの優しい声が降ってくる。
「チョコちゃん、すっごく怒ってたわよ~」
頭を撫でる手は、子供をあやすように優しかった。
「でも、私はレオンちゃんの味方をすることに決めたの~」
震える体で、なんとか顔を上げる。メリルは、いつもの笑顔を浮かべていた。
「どっちも間違ってないもの。チョコちゃんには騎士団のみんながいるけど、レオンちゃんには私しかいないからね~」
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メリルに助け起こされた俺は、震える足でなんとか立ち上がった。
「さて、どこに逃げるつもりだったの~?」
「都市連合の領地まで……」
「あら~、それは無理ね~」
メリルがあっさりと首を振る。
「都市連合だって、騎士団を敵に回してまで亡命者を受け入れないわよ~。政治ってそういうものなの~」
確かに、その通りだ。少女の父親は都市連合寄りだったが、正式な同盟関係があったわけではない。
「じゃあ、どうすれば……」
「そうね~、とりあえず安全な場所を探しましょ~」
メリルが全員を見回す。
「みんな、掴まって~」
全員がメリルに掴まると、景色が高速で流れ始めた。森を越え、川を渡り、誰も住まない荒野を進む。
30分ほど移動した後、メリルが立ち止まった。
「ここなら良さそうね~」
目の前には、朽ち果てた集落があった。崩れかけた家屋が十数軒、雑草に覆われた広場、干上がった井戸。明らかに何年も人が住んでいない廃村だ。
「ここに住むんですか?」
少女のリリアナが不安そうに呟く。
「大丈夫よ~。みんなで協力すれば、きっと素敵な村になるわ~」
メリルは楽観的だが、現実は厳しい。
「まず、水を確保しないと」
俺は干上がった井戸を覗き込んだ。底は見えないほど深いが、水の気配はない。
「地下水脈が枯れてるのかな」
ドラゴンのルーナが鼻を利かせる。
「いえ、水の匂いはします。ただ、かなり深いところに」
「じゃあ、掘るしかないか」
俺は剣聖の力を使って、井戸の底を掘り始めた。岩盤を砕き、土を掻き出す。しかし、いくら掘っても水は出ない。
日が傾き始めた頃、ようやく湿った土が現れた。
「もう少しだ!」
さらに掘り進めると、ついに水が湧き出してきた。濁った泥水だが、これでも貴重だ。
「やったわ!」
エルフのシルフィが歓声を上げる。
しかし、喜びも束の間。この水を飲料水にするには、濾過と煮沸が必要だ。薪を集め、火を起こし、水を沸かす。単純な作業だが、道具も設備もない状態では困難を極めた。
「領主様、薪が足りません」
「石で囲いを作らないと、風で火が消えてしまいます」
次から次へと問題が発生する。
リーンハルト領では、騎士団が井戸を整備し、上下水道まで完備していた。薪も定期的に供給され、調理場も完璧に整っていた。
あの時は、それが当たり前だと思っていた。
「レオンちゃん、大丈夫~?」
メリルが心配そうに覗き込む。
「ええ、なんとか」
夜になって、ようやく一杯の飲み水を確保できた。濾過した水を全員で分け合う。一人当たり、コップ半分程度。
「明日は、もっと効率的な方法を考えないと」
俺は崩れた家の中で、今後の計画を立て始めた。
水の確保、食料調達、住居の修繕、防衛体制……やることは山積みだ。
しかも、騎士団の支援なし。商人ギルドとの繋がりもない。金も、人手も、何もない。
本当のゼロからのスタート。
「レオンさん」
リリアナが俺の袖を引っ張る。
「私たちのせいで、こんなことに……」
「気にするな。これは俺が選んだ道だ」
俺は優しく微笑んだ。
でも、内心では不安でいっぱいだった。
チココが整えてくれた環境が、どれほど恵まれていたか。騎士団という後ろ盾が、どれほど心強かったか。
今更ながら、痛感していた。
メリルは隣で、のんきに鼻歌を歌っている。彼女なら、魔法で何でも解決できるだろう。でも、それに頼りきってはいけない。
俺は、自分の力で皆を守らなければならない。
廃村の夜は静かで、星だけが煌々と輝いていた。
新たな生活が、ここから始まる。
騎士団を裏切り、全てを失った今、本当の意味での冒険が始まったのかもしれない。
万年Fランクだった俺が、どこまでやれるか。
不安と期待を抱きながら、俺は固い地面に横たわった。