第1話 万年Fランクの俺、洞窟で見捨てられる
## 第1話 万年Fランクの俺、洞窟で見捨てられる
「おい、レオン! 早くしろよ!」
パーティーリーダーのガルドが苛立たしげに叫ぶ。俺、レオン・フォレストは重い荷物を背負いながら、必死に洞窟の奥へと進んでいた。
薄暗い洞窟の中、湿った空気が肺に重くのしかかる。足元の水たまりを避けながら、俺は黙々と後を追った。
冒険者になって15年。俺はずっとFランクのままだ。
【ステータス】
名前:レオン・フォレスト
職業:荷物持ち(冒険者)
レベル:12
HP:234/300
MP:45/45
攻撃力:23
防御力:19
敏捷性:31
魔力:8
見ての通り、絶望的なステータスだ。同期の冒険者たちがBランク、Aランクと昇格していく中、俺だけは万年最下位。それでも俺は冒険者を続けてきた。他に生きる術を知らなかったから。
「ちっ、使えねぇな」
パーティーメンバーのレイラが舌打ちする。赤い髪を揺らしながら振り返る彼女は、確かに美人だが性格は最悪だ。
「まあまあ、荷物持ちがいないと困るだろ?」
もう一人のメンバー、ブロンが薄笑いを浮かべる。こいつの笑顔の裏には、いつも嘲笑が隠れている。
こいつらは臨時パーティーだ。俺みたいな底辺冒険者は、固定パーティーなんて組んでもらえない。毎回違うメンバーと、荷物持ちとして同行するだけ。報酬は彼らの10分の1。それでも、生きていくためには仕方なかった。
洞窟の奥から、地響きのような音が聞こえてきた。ドシン、ドシンと重い足音が、岩壁に反響しながら近づいてくる。
「やばい、大型モンスターだ!」
ガルドが青ざめる。額に浮かんだ汗が、松明の光を反射していた。
その時、洞窟の奥から巨大な影が現れた。
【鑑定】
鉄牙猪
ランク:A
HP:????
特殊能力:鋼鉄の牙、突進攻撃、狂戦士化
体長5メートルはある巨大なイノシシ。その牙は刃物のように研ぎ澄まされ、金属のような光沢を放っている。全身の剛毛は針のように逆立ち、赤く血走った目が、侵入者たちを睨みつけていた。
「に、逃げるぞ!」
ガルドが叫ぶと同時に、三人は一斉に踵を返した。
「お、おい! 待ってくれ!」
重い荷物を背負った俺は、すぐには動けない。ポーション、予備の武器、食料、野営道具。全部で50キロ近い荷物が、俺の動きを鈍らせる。
「悪いな、レオン! お前が時間稼ぎしてくれ!」
ブロンが振り返りもせずに叫ぶ。
「そうよ! どうせFランクなんだから、せめて最後くらい役に立ちなさい!」
レイラの冷たい声が洞窟に響く。
三人の姿が洞窟の曲がり角に消えた。俺はまた、捨てられた。
15年間で、何度目だろう。危険が迫ると、いつも俺が囮にされる。それでも生き延びてきたのは、単なる幸運だったのかもしれない。
グルルルル……
鉄牙猪が低い唸り声を上げながら、地面を蹄で掻く。突進の準備だ。岩盤に深い溝が刻まれていく。
(ああ、これで終わりか……)
でも、不思議と恐怖はなかった。むしろ、やっと楽になれるという安堵感すらあった。
鉄牙猪が突進を開始しようとした瞬間――
洞窟の入口から、何かが入ってきた。
いや、"何か"としか表現できない。
それは、膨大な魔力の塊だった。
ピンク色に輝く、圧倒的な魔力の奔流。まるで太陽が洞窟の中に入ってきたかのような、凄まじい存在感。俺の貧弱な魔力感知でさえ、その異常さは分かった。空気が震え、洞窟の壁から小石がパラパラと落ちてくる。
鉄牙猪が、ピタリと動きを止めた。
さっきまでの威圧的な態度はどこへやら、全身の毛が恐怖で逆立っている。
そして――
ブヒィィィィ!
まるで怯えた子豚のような情けない声を上げて、慌てて向きを変える。5メートルもの巨体が、転がるように洞窟の奥へと逃げようとしていた。
ピシュッ
一筋の光が、魔力の塊から放たれた。
極細のレーザーのような光線が、逃げる鉄牙猪の背中を貫く。正確に心臓の位置を。音もなく、まるで熱したナイフがバターを切るように。
ドサッ
鉄牙猪は、そのまま地面に崩れ落ちた。一撃。たった一撃で、Aランクのモンスターが絶命した。
魔力の塊から、小さなつぶやきが聞こえた。
「あら~、丁度いいわ~。今日のお昼はイノシシ料理にしましょ~。角煮かしら? それともステーキ?」
のんきな声だった。まるで市場で肉を選んでいるかのような。
魔力の塊は、倒れた鉄牙猪に近づいていく。そして、信じられない手際の良さで解体を始めた。
まず、巨大な牙を魔法で引き抜く。続いて、ナイフも使わずに毛皮が剥がれていく。肉は部位ごとに空中で切り分けられ、特に脂の乗った背肉と、柔らかそうなヒレ肉は念入りに選別されていた。
「ふふ~、これで当分はお肉に困らないわね~。チョコちゃんも喜ぶかしら~」
楽しそうな鼻歌まで聞こえてくる。『お料理行進曲』とかいう、どこかで聞いたことのある古い歌だった。
内臓も丁寧に取り出され、使える部分だけが選り分けられる。心臓、肝臓、腎臓。全てが宙に浮いたまま、見えない手で処理されていく。
解体を終えると、魔力の塊はそのまま洞窟の出口へ向かおうとした。
俺の存在など、まるで気にしていないかのように。いや、最初から視界に入っていないのかもしれない。
(このまま、行かせていいのか?)
助けてもらったのに、お礼も言わずに見送るなんて。
でも、あの圧倒的な存在に声をかける勇気が……
(いや、ダメだ!)
15年間、ずっと臆病者だった。だから万年Fランクなんだ。危険から逃げ、強者に媚び、いつも日陰で生きてきた。
今度こそ、勇気を出さなければ。せめて、人として最低限の礼儀くらいは。
「あ、あの!」
震える声で、俺は叫んだ。
魔力の塊が、ピタリと止まった。
「助けていただいて、ありがとうございました!」
俺は重い荷物を下ろし、地面に膝をついて深々と頭を下げた。額が冷たい岩に触れる。
「本当に、本当にありがとうございました! あなたがいなかったら、俺は死んでいました!」
しばらく、沈黙が続いた。
洞窟の中に、水滴の落ちる音だけが響く。
そして――
シュウウウウ……
魔力の塊が、少しずつ薄れていく。まるで朝霧が晴れるように、ピンク色の光が収束していく。
そして、その中から一人の女性が姿を現した。
ピンク色の長い髪が、腰まで流れている。2メートル近い長身で、30代後半くらいの美しい顔立ち。意外なことに、エプロンを着けていて、まるで買い物帰りの主婦のような格好だった。腰には包丁やまな板を入れた道具袋まで下げている。
「え……?」
女性は困惑したような表情で、俺を見下ろしていた。エメラルドグリーンの瞳が、不思議そうに瞬く。
「私に……お礼?」
「は、はい! 命の恩人です!」
女性の瞳が、驚きに見開かれる。
「怖く……ないの?」
「怖い?」
「だって、私……」
女性は自分の手を見つめる。手には、先ほど解体したイノシシの血がついていた。
「普通の人は、私の魔力を感じただけで……みんな逃げちゃうもの」
その声には、深い寂しさが滲んでいた。
その時、洞窟の入口から呻き声が聞こえてきた。振り返ると、そこには――
「が、ガルド!?」
逃げたはずの三人が、洞窟の入口で倒れていた。全員が泡を吹いて、白目を剥いている。まるで強烈なショックを受けたかのように、体が小刻みに痙攣していた。
「あ……」
女性が申し訳なさそうに呟く。
「ごめんなさい~。お昼ご飯の材料探しに夢中で、魔力を抑えるの忘れてて……でも、死んでないから大丈夫よ~。2、3時間もすれば目を覚ますわ~」
お昼ご飯の材料探し。つまり、最強クラスの魔法使いが、ただ食材を探しに来ただけだったのか。
「でも、あなたは平気なのね~」
女性が不思議そうに俺を見つめる。首を傾げる仕草が、妙に可愛らしい。
「魔力が低すぎて、逆に影響を受けないのかしら……まるで、嵐の中の木の葉みたい」
なんとも情けない理由だった。弱すぎて、相手にもされていないということか。
「あの、お名前を教えていただけませんか?」
「名前……?」
女性はきょとんとした表情を見せた。
「300年ぶりかも……誰かに名前を聞かれるなんて」
300年。その長い時間、彼女はずっと一人だったのだろうか。
そして、少し照れたような笑みを浮かべた。頬がほんのりとピンク色に染まっている。
「メリル。メリル・スターアニスよ~」
「俺はレオン・フォレストです! 本当にありがとうございました!」
もう一度頭を下げる。
「ふふ……」
メリルが小さく笑った。その笑顔は、春の陽射しのように温かかった。
「変な人ね~。私にお礼を言うなんて。普通はみんな、怖がって逃げちゃうのに」
そして、急に目を輝かせた。まるで素敵なアイデアを思いついた子供のように。
「そうだ! レオンちゃん!」
「ちゃん!?」
「今日のお昼、一緒に食べない~? せっかくイノシシも獲れたし~」
予想外の申し出に戸惑う。
「いえ、そんな……恐れ多いです」
「やだやだ~! 絶対一緒に食べて~!」
急に子供のような口調になるメリル。両手をぶんぶんと振りながら、駄々をこねる。
「300年ぶりなの~! 誰かと一緒にご飯食べるの~! いつも一人で食べてて、味気ないの~!」
その瞳には、純粋な喜びと、長年の孤独が生んだ切実な願いが混じっていた。
断る理由なんて、なかった。むしろ、断ったら罰が当たりそうだった。
「分かりました。ご一緒させていただきます」
「やった~!」
メリルは嬉しそうに飛び跳ねた。その瞬間、また魔力が溢れ出し、洞窟全体が振動する。
「あ、ごめんなさい~。嬉しくて~」
慌てて魔力を抑えるメリル。
「じゃあ、私の家に行きましょ~! イノシシの角煮作るわ~! あとステーキも! スープも作っちゃう~!」
メリルが俺に近づいてきた。
「え、あの……」
「飛んで行った方が早いわよ~」
次の瞬間、俺の体がふわりと持ち上げられた。
「うわっ!」
気がつくと、メリルに抱きかかえられていた。まるで子供を抱っこするように、俺の体を軽々と抱き上げている。
「きゃー! すみません!」
顔が真っ赤になる。30歳を過ぎた男が、女性に抱っこされるなんて。
「大丈夫よ~。あなた軽いし~」
メリルはケロッとした顔で言う。
「それに、この方が安定するでしょ? 初めて空を飛ぶ人は、怖がって暴れちゃうことがあるから~」
確かに、しっかりと抱きかかえられていると安心感はあるが……
「じゃあ、出発~!」
洞窟の出口から、一気に空へと飛び出した。
「うおおおお!」
眼下に広がる森が、みるみる小さくなっていく。風が顔を打ち、髪が激しくなびく。
「きゃはは~! 久しぶりに誰かを運ぶの楽しい~!」
メリルの楽しそうな笑い声が、風に乗って響く。
気絶した三人を放置したまま、俺たちは青空を飛んでいく。
万年Fランクの俺が、食材探しに来た最強の女性と出会ってしまった。
でも、300年間一人で食事をしていたという彼女の寂しさを思うと、せめて今日くらいは一緒に食事をしてあげたいと思った。
メリルの温かい腕に抱かれながら、俺の新しい冒険が始まった予感がした。