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糞からはじまる恋

作者: 月這山中

「うんこみたいだね、石崎って本当に」

 その一言で僕は恋をした。




 山田せつなはVtuber・夢咲セツナの中の人だ。僕……石崎良太の事務所に所属している。

 僕は真相を確かめるために、会議室で彼女にたずねた。

「なんでボイスチャットっていうか、あんなことをしたの」

「したかったから」

 答えになっていない。

 彼女の隣のマネージャーはすっかり青ざめた顔で黙り込んでいる。

「みんなの努力が全部振り出しどころかマイナスだ。そのことについて言うことはないのかね」

「すみませんでしたぁー反省してますぅー」

「誠意が感じられないが、まあいい」

 僕は寛大な態度を崩さず、セツナの心を開こうとする。

「ストレスかな」

「じゃあそれでいいや」

「じゃあってなんだい」

 なかなか本音は伺えない。

 彼女はしびれを切らしたように立ち上がった。

「帰るわ」

 扉を後ろ手に強く閉める。

 マネージャーが頭を机にこすりつけた。なだめながら僕は次の一手を考えていた。


『だからさぁ! マジで例のゲームこの世から消えてほしい! 変に人気出てるのも嫌だし! クソ解釈不一致!』

 問題の音声を聴き返している。

 このボイスチャットが始まる直前の雑談配信で「好きなゲームは?」の質問に答えたあたり、彼女の逆鱗に触れたコメントがある。

〔ウンコファンタジー〕

〔ウンファンはまじで神ゲー〕

〔わかる〕

 ウンコファンタジー。糞便をテーマにしたRPGで、若手配信者の間で流行っている。彼女はゲームの名前すら言いたくなかったらしいが、ボイスチャットに出て来る要素からこれだと推測はできる。

 彼女はうんこという言葉自体が嫌いなわけではない。他のうんこが重要になるゲームにはしっかり食いついてプレゼン中も大真面目な顔で連呼していた。あれは生粋のうんこ好きだ。

 正直言って、彼女は有望株だ。

 セクハラじみたコメントにも冷静に対処できる。共感を呼ぶ配信ができる。礼儀正しく視聴者への感謝も忘れない。この弱小事務所の柱になれる実力がある。

 新曲のレコーディングは順調に終わってMVの準備も始まっている。

 発表しないまま引退は惜しい。


 動画サイトには炎上関連の切り抜き動画が上がっている。

【夢咲セツナ、某ゲームに罵詈雑言】

【ウンファンアンチ爆誕】

 有名掲示板の関連スレッドでも彼女の噂が絶えない。

〔夢咲セツナってウンコ嫌いなのな〕

〔違うぞ ウンファンだけだぞ許せないのは〕

〔泣けるだろウンファンは なにがダメなん?〕

〔ウンコ食ってる時にウンコの話してんじゃねーよ〕

 僕はスマホを閉じて、目を押さえた。


 ウンコファンタジーの作者とのリモート対談が叶った。

「いえいえ、夢咲セツナさんに言及してもらえたことでかえってDL数が持ち直しまして、感謝したいくらいです」

 作者である大穴コウジは画面の向こうで頭を下げた。

「真に申し訳ありませんでした。それで、ウンコファンタジーという作品についてなんですが」

「ウンファンは、この世の役に立たないウンコが主人公なんです」

 大穴は真面目な顔で言った。

「ウンコという底辺からのし上がって伝説の勇者になる。そのカタルシスこそが主題です」

「なるほど」

 頷く。夢咲以外で作品のPRを続けることを約束し、通話を終えた。


「社長、夢咲セツナさんと連絡が取れません」

 マネージャーからの第一声はそれだった。酷く焦った様子だった。

「しばらくそっとしておきなさい」

「もしものことがあったら」

「彼女なら大丈夫だ」

 僕は言いながら外出の準備をする。

 マネージャーを落ち着かせるようなことを言っておきながら、一番心配してるのは僕だ。

「せつな……」

 僕は呟いて扉を開ける。

 彼女のマンションへと辿り着く。

 インターホンを鳴らす。カメラレンズに向かった時、僕はプリントを届けに行ったあの日を思い出す。

「僕だ。入ってもいいかな」

『……どうぞ』

 ドアのロックが解除された。開かれた扉の向こうに、パジャマ姿のままの彼女が居た。

「せつな、マネージャーさんが心配してる」

「……わざわざ社長が出向いてくれてありがとう」

「大穴コウジと話したよ」

 ドアが閉まりそうになる。僕は手を挟まれながら、それを止める。

「彼はひどいな」

「……お茶でも飲んでく?」

 彼女はうつむいたままだった。


 山田せつなと僕は高校の同級生だった。

 その頃から明るくて男子の前でも平気で下ネタを言って、クラスの中心だった。彼女がいじめを受けていたなんて最初は信じられなかった。だけどある日ぱったりと学校へ来なくなって、その事実を受け止めるしかなくなった。

「うんこが、世の中の役に立たないわけないじゃん」

 プリントを届けに行ったあの日、パジャマ姿のまま彼女は泣き出したんだ。

「うんこ女って、うんこ女って言われたの」

「ひどいな」

「何の役にも立たない、そんな意味でうんこを使わないでほしい」

「怒るの、そこなんだ」

 せつなの母方の祖父は畜産と農業をやっていたという。

 幼い頃祖父の家に預けられていた彼女は、農業に強い関心があった。

「発酵させれば畑を肥やして美味しい野菜を作ってくれる。うんこは素晴らしいものなのに誰もわかってくれない」

 僕は彼女の言葉を、一言一句覚えている。


「僕はわかってるよ。うんこは素晴らしいものだって」

「嘘つき」

 紅茶を置いてせつなは座卓の前に座った。胡坐をかこうとして、足を揃える。

「野良仕事だってしたことないひょろひょろのくせに、粋がんないでよ」

「今度の配信でうんこの話をしてほしい」

 僕は鞄からプレゼン資料を取り出す。以前から温めていたもの。

「正気?」

「勿論。せつなにしかできない」

「ボイスチャットで大炎上したところなんですけど」

「それはうんこのせいじゃない。でもこのまま消えたら誤解されたままだ」

 僕は頭を振る。

「悔しいだろ」

 彼女の目を見る。疲れているが、情熱は消えていない。

 人々に、自分を伝えたいという情熱。

 資料の束が受け渡された。


新しい配信が予約された。

タイトルは【うんこの話をさせてください】

〔うんこの話?〕

〔うんこの話???〕

〔狂ったかイシザキプロ〕

〔ウンコの話してんじゃねーよ〕

 当然の反応だ。

 書き込みは無視して同時接続数を確認する。今までの三倍、いや四倍五倍まで増えていっている。

 配信がはじまる。

『こんばんこ! みんなうんこしてる!?』

〔いきなり知らん挨拶すな〕

〔せつなちゃんうんこの話するの?〕

『今日言いたいのはね、みんなうんこを誤解してる! はいデータをどん! 肥料高騰による野菜高騰の問題を救ううんこ!』

〔なに?〕

〔農大の講義か何か?〕

〔うんこの代弁者 大便だけに〕

『うんこはみんなの生活に欠かせないものなんです。わかってくれたかな?』

〔わからないけどわかった〕

〔わかりました(恐怖)〕

『わかってくれて嬉しい……みんなも、トイレでうんこに出会ったら別れの挨拶してね』

〔してるの? 別れの挨拶〕

〔してるんだ〕

〔さすがにしない〕

『しろや』

〔わかりました(恐怖)〕

〔こっわ〕

〔うんこの過激派〕

〔(ウンコ)ノシ〕

『見て! うんこが手を振ってるよ! かわいいねぇ!』


 彼女がそのコメントを拾って反応した途端、コメント欄がうんこの絵文字で埋め尽くされた。

 それは勝利を示していた。


『ありがとう、みんな。うんこがこんなに……ありがとう……』

〔うんこで感激して泣く人初めて見た〕

〔おいコメント欄いじめるなよ〕

〔うんこ拾ったのはこの人なんですけど〕

 僕はスマホを閉じた。




「ありがとう、社長」

 事務所の屋上で煙草をふかしていると、せつなに見つかった。

 彼女は髪を風に流してコーヒー缶を両手で包んでいる。

「なんだか痒いな。昔みたいに石崎って呼んでくれ」

 僕は頬を掻いて素直に言った。

 彼女はパーカーのポケットから桃ジュースを取り出して、僕に投げ渡す。

「石崎、ありがとう」

 言い直して、彼女はコーヒーを飲む。

「いいや。今回は君の功績が大きい」

 ジュースのプルタブを起こす。カシュ、と短い音がして桃の香りが漂ってくる。

 一口。煙草の煙をかき消すように、甘い液体が喉を通っていく。

「君が居たからあの企画は成功した。君がいままで頑張ってくれてたから回復できた。君が……」

「それでも石崎がいなかったら私はちいさく枯れてたよ。栄養不足のにんじんみたいに」

 彼女は笑っていた。

「肥料がないと野菜は大きく育たないんだ。小さく育つのが自然な姿だなんて言う人もいるけどさ、野菜だっておいしく食べられてほしいに決まってんじゃん」

 品種改良を繰り返して人間の手入れ無しでは種を存続させられなくなった存在。野菜も家畜も、人間と寄り添って生きて来たのだ。それを今更自然の姿に戻そうなんてするほうが勝手な放任だと、彼女は言いたいのだろう。

 せつなは笑いながら僕を見つめた。

「うんこみたいだね、石崎って本当に」

 その一言で僕は恋をした。

 いままでは、同情と打算の混ざった感情だったのに。

「君も、まるでうんこみたいだよ」

 僕は答えた。



  了


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