30.電信柱のような人
結果オーライとはいえ、あんなゾウが鼻をつまらせたような歌芸を披露してしまうとは。心の奥底では、久しぶりに薪さんと話せたことで、よほど動揺していたのだろう。
後から聞いた話によると、コニーがいつもと違って、必要以上に薪さんに絡んでいたのは、薪さんのいったいどこに既婚者らしい雰囲気が隠されているのか、探るためだったらしい。
しかしどうやら、家庭人らしい匂いを嗅ぎ取ることはできなかったようだ。それはそうだろう。仕事中でもそれ以外でも、朴訥としていて、穏やかで、マイペースで、その自由な立ち振る舞いからは、奔放で気ままな独身生活を連想する(そんな風に感じるのは私だけだろうか)。
それにまだ結婚したばかりだし、所帯染みてなくても、全然不思議じゃない。
売り場を離れて、エプロンの肩紐を直しながら、廊下の角を曲がる途中。正面から薪さんが歩いてきた。薪さんはエプロンを外していた。”あっ”と、胸の内で声を上げた私を、薪さんは一瞥したあと、そのまま問題は何もないかのように、廊下を通り過ぎて行き、見えなくなった。
あの人は電信柱のような人。腰を屈めてくれないことには、どう無理したって手が届くのかどうか。
【了】




