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1.スーツの男

 ビビビビビと奇怪な呼び鈴が鳴った。最後の仕上げと腰を丸めテーブルを拭いていた手を止め、玄関へ向かった。鍵を外し扉を開けると、おんぼろマンションの玄関前に立ち尽くすには違和感のある、上品なグレーのスーツを着た男がいた。 


「どうぞ」と招き入れると、


「どうも」と男は頬を緩ませた。


 暗い台所からソファの置いてある明るい部屋へ案内すると、私はうしろから静かに付いて来ていた男にそっと寄り添い、背広の襟に頬を当てた。すると男は、長くてほっそり見えるけど引締った腕でぎゅっと私を抱いてくれた。


「なにしてたの」

 頭上で心地良い声がした。


「部屋を片付けてたんだけど、始めた時間が遅くて間に合わなかった。玄関は見るに耐えなかったでしょ」


「別に散らかっててもいいよ」と声を立てずに笑った。


 好きな人がやって来るたび、掃除機をかけるような日々こそが破滅への道になるのだろうか。

 勇気を出して下り坂に足を踏み入れてみたら、その坂は思っていた以上の急角度。途中でブレーキをかけることもできなければ、酷いことに地面がつるつると磨きかけられていて踏ん張りも利かず、転がり落ちるようにスピードはどんどん加速され、軽いめまいを覚える。


 終点に待っているのは、ぽっかりと穴の開いた暗闇なのだと思う。だけど、もしもだ。滑るだけ滑って下り坂がエンドレスに続き終着点というものがないのだとしたら。こんなに楽なことはない。滑り続けるだけなら、それは快感だ。


「早かったね、仕事は終わった?」


 私は抱きついたまま、(まき)さんを見上げた。


「――ああ、あったんだけど放ってきた。明日、朝一番に片付けることにするよ」


「大丈夫? それなら早く寝ないといけないんじゃないの?」


「まあ、大丈夫じゃないかな」


「無理して今日来なくてもよかったのに」


 そう言ったら憮然としたような顔をして、「いいの」とまた強く私の背中を抱きしめた。



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