2 少年の依頼
凄腕の鍛治師と聞けば、長年の経験を積んだ高齢の男だと想像していた少年は、目の前にいる青年が探し求めていた鍛治師だと知り絶句した。
この工房がある職人街と呼ばれる街の鍛治師に軒並み断られ、唯一直せるかもしれないと教えられたのがこの鍛治師であり、それがこんなに若いとは思いもしなかった。
職人にはこだわりがありそのプライドが頑固さを作っているとからと、職人に頑固者が多いのも少年は理解している。
そのせいで度々、お客とケンカになってしまうこともよくある話ということも。
だから、この工房にきたときに腹を立てていた冒険者がいても互いの意見の食い違いなのだとすぐに察することができた。
ただ、お客を余計に怒らせたり、他のお客を巻き込んだりするのはどうかとは思うが。
少々不安は残るが可能性があるなら帰る訳にもいかない。
「ふーん、壊れた剣をねぇ。まずは見せてくれ」
少年の絶句にはみじんも興味がないのか気がついていないのか、特に気にする様子もなく鍛治師は話を進めるべく口を開いた。
「あ、はい」
少年は腰につけた少し大きめの布袋から一振りの折れた長剣を取り出すと鍛治師に見せるために渡した。
受け取った鍛治師が剣の観察を始めると、木箱に入っていた男の子は鍛治師のそばに来て一緒に剣を眺めていた。
「うはっ、こんなん久しぶりに見た」
テンションを上げた鍛治師は預かった剣を角度を変えたりして見入っていて、その間に男の子は少年に横たわった机や椅子を起こすのを手伝ってもらい客人だと少年に水を出していた。
「ありがとう。それで、直るでしょうか」
不安そうに尋ねた少年の声が聞こえていない鍛治師の背後に回った男の子は、背伸びをしてお盆を振りかぶると鍛治師の頭目掛けて振り下ろした。
「――ってぇ!なーにすんだ」
「見積もり」
客の声を聞けと視線を鍛治師から少年に移動させてから男の子はため息をついて、短い毛のついたトレイを少年の元にに運んだ。
鍛治師はトレイに剣を乗せると少年の目の前にある机に置いて、自身は少年の対面に座った。
「あー、はいはい。そうな、これだと大金貨ってとこ」
「だ、大金貨……」
少年は落胆した声を出す。
庶民の暮らしなら金貨でさえ耳にする機会すらない。
例えば城下あたりの庶民の基準で、大人2人子供2人の4人暮らしであれば過剰な贅沢をしなければ銀貨3枚で一年は暮らしていける。
もっとも一度にそんな金額を手に入れる機会は庶民にはなく、専ら日々の暮らしでは銅貨しか使われない。
大金貨という大金となれば庶民が一生働いても決して貯められる金額ではないのだ。
「諦めんのは早いぞ、少年」
「え?」
「ルーグ、あれ持って来て」
鍛治師が男の子を呼ぶと、すでに大きな紙を手にして、それを少年の方に向けている。
「もう持ってきてる」
「さっすがー」
料金についてとだけ大きく書かれた紙をルーグが床に落とすと、絵が描かれた紙か出てくる。
どうやら紙芝居のようになっているらしい。
イラストは武器、ドラゴンらしきもの、それぞれの下に山積みにされた金貨、両手を頰に当て青ざめた人が描かれている。
「これが今の料金。んで、条件はあるけど金貨100枚まで値下げることが出来るんだよ。ルーグ」
「はいはい」
ルーグがまた紙を床に落とす。
すると今度はドラゴンを倒して素材を掲げている冒険者が描かれていて、先ほどの絵から素材分の金貨が引かれている。
「自分で素材を取ってくれば、費用は安く出来るってわけ。扱いの難しい素材は技術料も高くなるけど」
「それはありがたい話ですけど……」
大金貨よりは金貨100枚と言われた方がまだ払える可能性は高くはなるが、庶民が普通に暮らしていては届くのことのない額である。
「ってわけでぇ、冒険者やってみない?ついでに金も貯まるしな」
「……冒険者」
ルーグが紙を落とす。
今度は右から順に弱いモンスターから強いモンスターが描かれていて、その下にはそれ合わせてグレードアップしていく武器か描かれている。
「時間がかかってもいいってんならだけど」
「……どれくらいかかりますか。その、目安でいいんですけど」
「ん、なんかワケあり?」
コクリと少年が頷く。その顔は焦っているようにも見える。
「はい。故郷近く山で眠っているグリフォンが2年ほどで目覚めるので、出来ればそれまでにと……」
「ほー、グリフォン」
鍛治師は心底楽しそうに復唱をして、顎に手を当ておおよその時間を検討する。
「心得があるとして普通の天才ででも3年、才能がありゃ8年か。正々堂々やるつもりならな」
「凡人なら……」
「無理だと思うよ」
呟く少年の言葉をバッサリと切るルーグに、鍛治師は言葉を選べと視線を向けると、ルーグはその言葉をそのまま返すとニッコリと笑ってみせる。
「グッ、やるなルーグ。でも1人で挑むわけでもないんだろ」
「え、えと、はい。でも、動ける人はほとんどいなくて」
「ほー、素人の寄せ集めでやるっきゃないのか」
そりゃ大変だと納得したように頷く鍛治師は他人事のようにしていると、ルーグが口を開いた。
「冒険者に依頼は出せないの」
「それは――」
少年が何か言い出そうとすると、鍛治師がそれを思い切り遮って喋り出した。
「ばっかやろう、ルーグ。田舎の住人じゃどう足掻いても相応の報酬なんてだせっこねぇ!弱いモンスターがはびこるとこに冒険者も寄ることもない、国の兵士なんかにも放置される!」
鍛治師は早口でまくし立てて立ち上がると、イスに片足をダンっと乗せて息を吸い込むと締めの言葉を叫んだ。
「つまり、自分でやるっきゃねぇんだよ!」
ひどい言いぐさではあるが反論出来るだけの材料も少年にはなく、実際それは事実だ。
冒険者が立ち寄るような場所であったなら、依頼を出さずとも素材が欲しい冒険者が倒してくれることも期待できたかもしれないが、とてもそんなこと期待出来るようなところではないのだ。
「なるほど。でもさ、剣の素材って――」
「おっ、成長したな。そ、グリフォンの爪が素材の一つ。つまりぃ、直したきゃ倒すしかねぇってわけよ」
ルーグが使われている素材が分かるようになったことに感動をする鍛治師は、剣を直したければグリフォンを倒す必要があるという。
出来ればグリフォンを倒すために直したいのだがそう上手くはいかないようだ。
「………………」
何も言えずにいる少年に鍛治師は頬杖をついてやる気のなさそうにこぼす。
「ま、冒険者やった方が危険か」
故郷にいれば命の危機は一度だけで済むのだからと鍛治師は続けた。
自ら危険に突っ込んでいく冒険者は、冒険に行くたびに命を危機に晒すのだ。初心者ほど危うくあっけなく、再びその姿を見ることは叶わなくなる。
少年は祖父の剣をジッと見つめて手のひらを固く握りしめると、強い意思を込めた声で言った。
「やります、冒険者」
少しでもグリフォンを倒す可能性があるのならと、何より祖父の剣が直せるのならと少年は決意を滲ませていて、鍛治師はその覚悟に口角を釣り上げたのだった。
ルーグ
鍛冶屋を手伝う男の子。
従業員ではないが、店にいるので作業に没頭する鍛冶師の代わりに客の相手をすることもある。
基本的に鍛冶師に対してだけは厳しいが、懐いているため遠慮がないだけである。