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時唄県双瀧郡うすば町涸瀧山(3)


 夜になって、杉原さんのポケットの携帯が鳴りだすのを聞く。笛吹ちゃんは杉原さんの遺体に入り込んで応答しようとするけれど、死んで何時間か経っているからだろう上手く筋肉が使えないようだ。瞼もあかないようだから喉を締めて口から音を出すということもできないのだろう、笛吹ちゃんはさっさと諦めて這い出る。携帯は鳴り続ける。

 それは杉原さんが帰ってこないことを不審に思ったご家族による電話だったのだろう、少しして警察と救急隊が来る。杉原さんはこの山に行くことを伝えていたのだ。私や笛吹ちゃんみたいに頻繁に夜明けまで怪談を確かめるため外出するタイプの子ではないから、今日も夜には帰る予定だったのだろうか。

 パトカーと救急車が農道の電信柱の傍に停められ、涸瀧山の捜索が始まった。

 杉原さんの遺体は山の入口ですぐに見つかったが、この山で複数人が死んでいることなんてしょっちゅうだから最初から予定されていたのか、杉原さん関係の手続き処理をするメンバー以外で、他に遺体がないかどうかの確認も開始された。

 十人ほどの警察官が山を登り始めた。あくまでもふたり組かける五ではなく十人組ですよと主張するかのように身を寄せ合っていた。木々の隙間を照らしたりかき分けたりしながら捜していたが、十人で常に一緒にいる必要があるから、基本的に山道から外れようとはしなかった。あるいは山道を真っ直ぐ歩いて、見つからなければ十人で山林のなかに入って捜索する予定なのかもしれない。どうあれ、絶対にふたりきりになってはいけないという怪談のせいで、普通の山狩りよりずっと手間がかかることになりそうだった。

 でも実際には手間はかからなかった。笛吹ちゃんがリーダー格の警察官に乗り移って拳銃を抜いて自分の心臓を撃たせた。

 発砲音。

 どよめき。

 中年警官は白目を剥いてうつぶせに斃れた。笛吹ちゃんは即座に遺体から離れて集団の最後尾にいた警官に乗り移り、音が小さいようにそうっと拳銃を抜いて目の前の警察官の首に銃口を押し付け、撃つ。斃れる。状況を認識される前に二発目を撃ちたかったようだけれど、反動のせいなのか無理みたいで、最後尾警官は小太りの警官に抑えつけられる。笛吹ちゃんは小太りの警官に乗り移って最後尾警官の頭に銃を突き付けてドカン。白目を剥いて死ぬ。

「何なんだよ!」と誰かが叫ぶ。「聞いてねえよ!」

 笛吹ちゃんは他の警察官が連絡を取ろうとしたタイミングで乗り移り小太りの警官を殺し、それを見て連絡を取ろうとした者に乗り移ってさっき乗り移った人を銃殺する。

 もう警官の人数が五人になってしまう。

 私は観測するばかりで動けない。罪のない警察官を殺して幽霊にしていく笛吹ちゃんは間違っていると思う。でも警察官は生きている者の正義であって死んでいる者の正義ではない。幽霊を守ることはできないし、そんな業務は課せられていない。だからって殺していいんだろうか?

「やめろ!」と、最初に死んだリーダー格の中年警官の幽霊が笛吹ちゃんを取り押さえようとするけれど、笛吹ちゃんはその前に別の警官に乗り移る。「畜生!」と中年警官は自分の身体に戻ろうとするが、それはどうやらできないみたいだった。

 生きている警官に乗り移ってどうにかするしかないんだろうけれど、そんなことできるはずがないのだ。目には目を、で他人を躊躇いなく犠牲にできるほど生きている者は冷たくない。死にたてでも、魂からまだ体温が抜けていない。

 他の警官たちもそんな感じで、まごついている彼らの前でまたひとり亡くなる。四人になる。すぐに三人になる。

 笛吹ちゃんは三人のうちひとり、背の高い警官に乗り移り、転がっている遺体から拳銃を貰う。そして山道を降りる。その場には警官ふたりだけが残される。

 和子と洋子がやってきて、警官の身体を使った勝負が始まる。

 いちにのさんで始まったそれはガンマンの決闘のようでもあって、銃を容赦なく撃ちあい避けあいながら距離を縮め、銃創で殴ったり警棒でぶっ叩いたりする。八人の遺体を踏みつけたり潰したりしてもお構いなしに。銃弾が切れると転がっている遺体から早い者勝ちで、笛吹ちゃんが持ち切れなかった銃をもらって撃ちあった。

 暗い山林に銃声が響く。山道の入り口のほうにも凶音は届いていて、救急隊員たちや待機の警官がどこかに連絡をしている。そしてそこに背の高い警官がやってくる。何が起こっているのか訊こうとした警官が胸を撃たれる。救急隊員たちも次々と撃たれて、もちろん取り押さえようという努力はするけれど無駄だ。笛吹ちゃんは、警官の身体を容赦なく使い倒す。人間を躊躇なく殺していく。逃げようと走り出したパトカーが銃弾でタイヤを割られて回転して、二秒後に救急隊員の車も同じように発進から破裂が起こって回転して、同じ方向に逃げようとしていたから同じ電柱にぶつかる。電柱がその衝撃で折れて救急車を虐げる。

 凄惨な事故に目もくれず笛吹ちゃんは銃を撃ち、銃を撃ち、銃を撃ち、弾切れになったら逃げようとしている警官の後頭部にぶん投げて、次の銃で追い打ちのように後頭部を撃つ。

 笛吹ちゃんいったいどこでそんな射撃の腕を、と思ったけれど、よく見るとときどき外している。笛吹ちゃんはただ、そういう失敗とかもどうでもいいのだ。とりあえず口封じができればいいだけで。

 笛吹ちゃんは他の警官がいなくなったところで車に近づく。逃げても無駄だと思ったのだろう、車内で生き残っていた人が降伏の意思を示す。目もくれず、笛吹ちゃんは給油口を開けてガソリンをまく。これから何が起こるのかみんなわかっているが、じゃあどうすればいいのかはわからない。

 硬直状態の生き残りが乗る車から、ガソリンの臭気から距離を取って、笛吹ちゃんは操っている警官のポケットにあったライターと煙草をためつすがめつ確認する。中身もオイルもある。

 火のついたタバコを、警官の肉体の身体能力を活かして車にぶん投げる。

 爆発。

 それを眺める笛吹ちゃんは恐れるでも笑うでもなくて、なんだか不機嫌そうにぼうっとしていた。

 救急隊員も警官も全滅して、じゃあその背の高い警官を殺すのかと思いきや、笛吹ちゃんはそうせずに、銃を補充しながら山に戻る。爆発の音を聞いた誰かが通報するだろうから、しばらく背の高い警官の身体を道具として使っていくことにしたのだろうか。

 和子と洋子の勝負はもう終わっていて、今度は和子が勝ったみたいだった。



 私はどうして、ただ黙って傍観しているのだろう?

 できることなんてないから。そうかもしれない。少なくとも私は笛吹ちゃんのように、あるいは和子と洋子のように他人の身体を借りて殺し合いをするなんてことはできない。残酷なことをしたくないし、それに和子が私の身体を使っていたとき私に痛みがなかったということは、私の痛覚の信号は和子が引き受けていたと考えていいはずだ。私には銃で撃たれる感覚を味わいながら他人を殺すことなんてできない。

 なんで? 自分がしんどいから何もしない、って言っていていいフェーズなの? 私は笛吹ちゃんに止まってほしいんじゃないの? 杉原さんが殺されたとき、非難していたのは気分でしかなかったの?

 私は笛吹ちゃんに怯えてしまっている。私と同じ経験をして、私と違う境地にさっさと至って、惨たらしいことを起こせる笛吹ちゃんが怖い。除霊されたくないから、という理由でこんなにもたくさんの人間を積極的に殺せるなんて理解ができない。誰も傷つけない道を選ぼうとしない笛吹ちゃんがおぞましい。

 そして私はわからない。笛吹ちゃんを止めることが正しいのか、笛吹ちゃんが抱いている怒りや不平感の発散を止めていいのかどうか、わからない。止めたほうがいいんだと思う。止めたいと思っている。けれど、死んでも尚、生きている人間としてのルールに縛ることは本当に正しいのだろうか? そもそも正しさってなんだろう、それってつまりみんなが傷つかずにできるだけ多くの人が豊かでいられるように生きていくためのものであって、傷つき奪われた死人にとってその正しさは必要なものなのだろうか?

 と考えて立ち止まっているけれど、立ち止まるために考えているということはないだろうか? 立ち往生をするために迷っているのではないだろうか? 少しでも決断までを引き延ばしてしまおうと?

 でも本当にわからないのだ。私がこんなに優柔不断なのに、どうして笛吹ちゃんはああも思い切れるんだろう? 私とあんまり変わらない経緯で死んだはずなのに。ただの性格の違い? でも倫理観としては割と合う友達だったはずなのだけれど。

 ……わからないことは動かない理由にならない。

 というところに考えが到達し、私は動く。

 そのとき、たしか洋子が乗り移っていたほうの警官の幽霊がぼやく。

「わけわかんねえよ。何が起こったんだよ。死んだのかよ俺。なんでなんかまだ痛えんだよ」

 え?

 私はその警官に事情を聞く。それから和子に乗っ取られた警官も捜して話を聞いて、理解する。

 笛吹ちゃんと、和子と洋子はどこだ?

 とりあえず和子だけ見つけて、事情を説明すると和子は怒った様子で洋子を捜そうとするが、ひとまず笛吹ちゃんを優先してもらうよう頼みこむ。

 和子は涸瀧山の構造にすっかり慣れているので、休み場所になりそうなところを次々と当たる。笛吹ちゃんは切り株の上で見つかる。背の高い警官の姿で座っている。

「笛吹ちゃん」私は言う。「もうやめて。生きている人を殺さないで」

「……除霊されたくないし、それに」笛吹ちゃんは警官の低い声帯で喋る。「無事に生きてるやつ、見かけると、苦しんで死なないなんて、まだ生きてるなんて不公平だって思う」

「あのね、笛吹ちゃん。それなんだけど聞いてほしくて」

「やだ。いつまで生きてるやつの道徳を押しつける気だよ。死んでるのに法律を、共同体を維持するための倫理を、どうして守る必要があるんだ? どうして散々な目に遭ったのに、勝手なことくらいしちゃいけないんだよ? あんたいつまで、自分が可哀想じゃないと思い込み続けるんだ」

「聞いて!」私は叫ぶ。「笛吹ちゃん、笛吹ちゃんが怒るべきは生きてる人じゃない!」

「……誰に怒れって言うわけ。心霊スポットなんかに足を踏み入れた自分自身か?」

「洋子だよ」と和子が言い、頭を下げる。「でも、わたしの責任でもある。気づけなかった、いままで。いつのときからそんなことしてたのか、知らなかったけど……巧妙に隠されてたんだ」

「……は?」

「どうやら洋子は他人を乗っ取るとき、痛覚とか、乗っ取り先の他人が感じるようにしていたみたい」和子は言った。「でもわたしは、自分のほうに感覚が来るようにしていた。そうするように勝負のルールとして最初から決めてあったから。だけど洋子はそのルールを破って、痛みを無視して戦っていたんだ」

 そここそが、不公平だったんだ。



 私と笛吹ちゃんは同じ苦しみのなかで死んだというわけではない、という話だ。あれだけの苦痛を、暴力を、一方的に与えられながら死んだのであれば、そりゃあ、性根も歪むというものだった。私なんかよりずっと、被害者としての実感があっただろう。それに他の幽霊によると、死ぬときの痛みは幻肢痛のように引きずるものみたいだ――そんなことになったら、生きている人を恨むようになっても、おかしくはない。

 順当に狂っただけだったのだ、笛吹ちゃんは。

 洋子が、ずるをしていたせいで。

 でも股間を殴られて悶えてなかった?

 と思って確認したところ、その苦しみも笛吹ちゃんにがっつり行っていて、洋子のほうは悶えるポーズを取っていただけのようだった。

 こすいなあ……。

 ということで捜索が始まり、双子の勘かすぐに見つかった洋子を、和子と笛吹ちゃんのふたりがかりでボコボコにしているとき遠くのほうからサイレンが聞こえる。

 同時に、気を失っていたらしき背の高い警官が音で目を覚ます。

 絶叫して嘔吐するのを見て、背中を擦ってあげたいなと思う。

 でもそれより、私にできることはある。

 やりたいことがある。

 和子と洋子と笛吹ちゃんに許可を取るべきか迷ったけれど、まあいいや、と私は背の高い警官に乗り移って、サイレンを頼りに山を下る。三人とも酷いんだからもう気を遣ってられない。

 うん。私だって私なりに怒っているのだ。

 山道で遺体を踏まないように歩いていると、登ってきた警官の集団と目が合う。

 私イン高身長警官はパトカーで署まで連行される。幽霊の話をして、乗っ取りの話をする。笛吹ちゃんのやったこと、和子と洋子がやってきたことについて説明する。つまり大量殺人や車の爆破などの諸々は笛吹ちゃんという幽霊がやったことであり、高身長警官は何も悪くないんだと釈明する。

 もちろん信じてくれない……と思いきや、涸瀧山の怪奇については地元警察にとってはメジャーだからか、何人か信じてくれる。捜査チームが否定派と肯定派に分かれて面倒くさそうで申し訳ないが、とりあえず除霊師を呼んでもらうところまで話を進めることができる。

 除霊が行われる。涸瀧山の幽霊は誰もいなくなる。

 さよなら笛吹ちゃん。

 それから、ふたりきりで山を登ってみる実験などが行われるが、殺し合いは発生せず登りきる。

 何度も試すが和子も洋子も笛吹ちゃんも何もしない。どこかから覗いているということもない。

 この世界から心霊スポットがひとつ消えたのだ。

 とりあえずここまでが私のやりたいことだったので高身長警官を開放する。恐らく精神病院に入院したりなんだり色々とあるんだろうけれど、それは私が乗り移った状態でやっても意味のないことだ。

 罪の意識とかやっちゃった感覚のフラッシュバックとかあるんだろうけれど、まあ、頑張れ。生きてるんだから。

 で、静かになった涸瀧山に残ってぼんやりと過ごしていると、だんだんここにいることすらどうでもよくなっていき、やがてどこにいるのかすらわからなくなっていき、なにもわからなくなる。

 時唄県双瀧郡うすば町涸瀧山は、そんなふうにあっさりと、ただのつまらない山になる。




ありがとうございました!明日も何か投稿します。

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