満月の夜の洞窟で
夏の夜半。
寝室にそっと入ると、並べて敷いた布団の上で家族はみんな寝入っている。
私は開けっ放しの遮光カーテンを半分しめて、全開だった窓も半分しめる。
窓際で大の字になった幼児の横にしゃがみこみ、おなかにタオルケットをかけてから、何気なく窓の外を見上げる。
はるかに高い夜空には、銀盤みたいに明るい満月。
思わず心を動かされ、きれいだなあと眺めていたとき、ふいに不思議な感覚が訪れた。
あれ?
私、以前もこんなふうに月を見上げていなかった?
ずっとずっと、昔の昔。
こんなふうに子どもたちの横にすわって、月を仰いでいなかった?
そこはこの部屋ではなく、この家ではなく、この時代ですらもない。
見上げているのも、今の自分とはちがう。
月明かりが差し込んでくる、小さくて静かな洞窟。
その入り口近くに腰をおろした一人の女性が、私の脳裏にふっと浮かぶ。
彼女の視線に同化して、左を見ればすやすや眠る家族たち。
右側の空を振り仰げば、皓々と光る丸い月。
夜空は果てしなく澄んでいて、あたりはひたすら静まり返り、心はとても落ち着いている──。
自慢じゃないけど、私はミステリアスな体験をしたためしがありません。
霊感はまったくないし、第六感が働いたと感じたこともなく、何かを予知したり夢で見たりといった神秘的な感覚も皆無です。
小説のネタにできるようなものは何もない、実に現実的な毎日を送っているわけですが……。
そんな私にとって唯一の不思議体験といえるのが、この月と洞窟の記憶なのでした。
体験といっても、一枚の絵画のようにワンシーンだけの記憶です。
それにそもそも、本当に記憶かどうかはわかりません。
テレビや映画や、それこそ絵画で見たものの名残りなのかもしれないし。
でも。
そんな記憶が自分の中にあったとしても、それほど不思議な話じゃないと思うのです。
だって、どんな人でもはるかに時をさかのぼれば、祖先たちが暮らしていた太古の世界に行きつくはずなんだから。
どんな人でも。
どんな女性でも、あるいは男性でも。
どんな大人でも、あるいは子どもでも。
この世に生まれ出たすべての命は、さかのぼった先に、必ずその源を持っている。
さかのぼれない命はなく、源のない命なんて存在しない。
遺伝子だとかゲノムとか、はたまたDNAだとか。
目には見えないものを語る、難しい言葉の数々は、あまりぴんとこないけど──。
あのとき小さかった子どもたちは、成長してすっかり大きくなりました。
でも、子育て中に出会った不思議な記憶は、私の中でずっと消えずに残っていて。
今でも時々、ふわりと立ち昇ってくるのです。
そう、夜半の寝室で空を見上げて、月がとてもきれいだと気づいたときに。
はるかな昔、今の私とはちがう誰かが、こうして月を見上げていたはず。
電気もなくガスもなく、機械など何ひとつなかったあの世界で。
パソコンもなくスマホもなく、Wi-Fiが飛び交うことなどけしてなかった、あの静寂の世界で。
ただ自分が生きることと、自分の家族を守ることだけを思いながら、月の光を浴びていたはず。
満月の夜の、あの洞窟で。
日常にとけこんでいる雑感のひとつなのですが、文章にしてみると、なかなか大げさになってしまいました。
スピリチュアルな話ではありませんので、ご安心くださいませ。
書くつもりは全然なかったのに、突然タイトルが降ってきたため思わず……。
とにかく毎晩暑いので。
静かな夜風が気持ちいいイメージで、軽く楽しんでいただけるとうれしいです。
お読みいただき、ありがとうございました。