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マリア様に背を向けて

 夜の礼拝堂というものは、厳かな昼間と違って、どこかおどろおどろしいものだ。

「……趣味の悪い場所ですよね、ほんと」

 ステンドグラスから辛うじて月明かりが差し込み、礼拝堂を照らしていた。

 築何年になるのか。明治の中頃に作られたと聞く礼拝堂は、中世ロマネスクとゴシック様式が混在した不思議な建築である。話によれば、市の歴史的建造物に指定されているとも。どうあれ、無数の宗教画や彫刻が刻まれた室内は過剰もいいところだろう。

 少しだけ通常の礼拝堂と違う点をあげるとするならば、祭壇の奥に飾られているのがマリア像であることか。

 これはどうやら、この女学院を作った学院長の要望だったという。——曰く、生徒たちは聖母に見守られ健やかに育って欲しいと。

 もっとも、そんな祈りを他所に、堂々と悪魔が侵入していたのだが。

「シスターグレイは……まだ来てないんですか」

 時間は既に、零時を回っていた。

 魔色は少し悩んでから、長椅子に腰かける。それから、マリア像を無感情に見上げた。

「私たちの世代じゃ、貴方はただの歴史上の人物ですよ、聖母サマ」

ぼうとステンドグラスに視線を移す。

 キリストの誕生から、聖人たちの様相まであらゆるものが月明かりに浮かび上がっていた。呆れて魔色は天井を、壁を、そして諦めたように床を見る。どこを見ても、悪魔には逃げ場なんてなかった。

無音の礼拝堂に、魔色のため息は随分と大きく聞こえたらしい。

「おや、先に来ていましたか」

 魔色を呼び出した張本人が、遅れて現れたらしい。

 革靴の乾いた足音が魔色の背後から徐々に近づいてきた。

悪魔(わたしたち)は確かに時間には厳しいですけど。それにしても遅いです」

「失礼、同僚を撒くのに苦戦してたのです」

 シスターグレイの修道服は、血まみれだった。まるで、殺し合いでもしたように。

「……どういうことですか?」

「それは……っと、魔色ちゃん、こちらに」

 ひょいと魔色をシスターグレイは抱きかかえて走り出した。

「ちょ、ちょっとグレイさん?」

 答えず、シスターグレイは凄まじい速さでマリア像の裏側へと滑り込む。同時に、礼拝堂の扉が乱暴に開け放たれた。

「ここにいるはずだ。探せ」

 礼拝堂に、数人の足音が反響した。

 どうやら、シスターグレイが言っていた『同僚』というのは彼らのことらしい。

 魔色の呼吸音すらしそうだった礼拝堂は、シスターグレイを探している男たちの声や足音によって、騒がしくなっていた。

「むぐ……グレイさんここ、大丈夫なんですか?」

「静かに。見つかっちゃうのです」

 魔色の不安を他所に、男たちの捜索は淡々と進んでいた。まず、告解室を見た。次に、オルガンの裏を見た。そして、礼拝堂の影という影をしらみつぶしに調べた。

 だが、飄々とシスターグレイは魔色の口を塞ぎながら目を瞑っていた。

「?先輩、マリア様の後ろって調べましたっけ」

「あん?あーそういえば調べてなかったな」

 ぽりぽりと先輩と呼ばれた神父は頭をかきながらマリア像へと歩き出した。その右手には、シスターグレイと同じ拳銃が握られている。

 マリア像の前に、そしてゆっくりと横へ。

 徐々に近づいてくる足音に、魔色の心臓は跳ね上がる。シスターグレイはただ、魔色の口を強く塞いだ。

 いよいよ、神父がマリア像の裏を調べようとした瞬間、魔色は魔術を起動した。

 魔色とシスターグレイが、影と同化する。この世からいなくなってしまえとさえ、想いながら。

 その甲斐あって、神父には見つからなかったらしい。

「先輩、裏口が開いてました。逃げたみたいです」

「……そうか。ま、こんな場所にゃいねぇよな。急ぐぞ、逃げられる訳にはいかねぇ」

 ほんの近くまで来ていた人の気配は、あっさりと離れていった。そして、次々と礼拝堂の中にあった人の気配は消えていく。

「間一髪、だったのです」

 全身から力が抜けたように、魔色とシスターグレイは寝転がった。

「はあはあ、はあ……グレイさん、さっきの人」

「気まぐれに見逃してくれただけでしょう。或いは、本当に見つからなかったのか」

 そんな訳がない。魔色には、分かっていた。あの神父の目は、間違いなく魔術で偽装した自分を捉えていたことを。

「彼、私の同期なのです。温情ですかね」

「あんな筋骨隆々な男と、貴方が、ですか?先生と生徒って言われても納得ですけど」

「言ったでしょう、わたしは十歳から悪魔祓いをしていたと。そういうことですよ」

「ああ、そういう。言葉の綾じゃないんですか」

 一瞬、ムッとした顔を見せたシスターグレイだが、すぐに神妙そうな顔で魔色に言った。

「まあ、どうあれ無事に取引ができそうです」

「取引、ですか」

 たった二文字。けれど、そのたった二文字で、魔色の中のスイッチが切り替わった。起き上がり、シスターグレイの真っ赤な瞳を覗き込む。

「『商談とは、悪魔にとって、最も馴染み深い戦場である』。この意味を悪魔祓いの貴方が分かった上で言っているのであれば、続きを聞きましょう」

「当然、知ってるのです。互いの魂を秤に乗せる愚行だと」

「ビジネス、ですよ」

「どちらでも。本題に関係ないのです」

 本当に興味がないのか、シスターグレイは袖から一枚の羊皮紙を取り出した。

 瞬間、魔色は理解する。彼女は、本気で悪魔と契約するつもりなのだと。コトが露呈すれば破門だけではすまないだろう。

「私が貴方に求めるのは、ただ一つ」

 魔色は一言一句聞き逃さないよう、耳を傾ける。

「私の卒業まで、私のことを彼らから隠してほしいのです」

「へ?」

 思わず、魔色の口からは変な声が漏れた。

「えっと、魔術を手に入れるとか、嫌な奴を呪い殺すとか、そういうのではなく?」

「ええ。わたしのことを貴方の魔術で偽装し続けてほしいのです」

「………………ちなみに、対価は?」

「死後の魂と、貴方の現世での活動を見逃すこと」

「それって私に選択肢ないじゃないですか!」

 暗に、シスターグレイは言っているのだ。応じなければ殺すと。

 勝ち誇ったように、ニヤリと笑いながらシスターグレイは魔色の紫の瞳を覗き込んだ。

「返答は?」

「一つ、質問します」

 慎重に、魔色は言葉を選ぶ。一歩間違えれば死にかねない。

「どうぞ。大事なのです、事前のすり合わせは」

「なぜ、私を見逃すんですか」

 そう。シスターグレイにはこの取引に何ら利益はない。彼女は、魔色の魔術の一切を求めなかった。彼女は、魔色の知識の一切を求めなかった。それは、たった一年のために、今後の全てを捨てたようなものだ。

 そんな取引を、魔色は聞いたことがない。

「……有り体に言ってしまえば、私が追われる身だからです。色々、やりましたから」

魔色は、ここまで複雑な感情の籠った『色々』という言葉を、知らない。

「それにほら、神様も言うでしょう?善行を重ねれば天国にいけるって。自己犠牲の精神ってやつなのです」

 どこまでが本当なのか。ヘラりと自嘲気味に嗤ったシスターグレイを、魔色は気持ち悪そうに睨んだ。

「……どのみち、私に選択肢なんて、ないんですよね」

「ええ。断れば殺しますし、了承すれば貴方にはせいぜい瞬きする程度の時間で莫大な利益が得られるのですから」

 それは、悪魔側が仕掛けるはずのものだ。声にならない声で、魔色は叫んだ。

 まるでお膳立てされたような取引は、どこまでも気持ちの悪いものだった。

「悪魔を、バカにして……」

 いっそ、ここで死んでやるのも悪くはない。そう思ってもう一度、魔色はシスターグレイを見つめた。全身血まみれで、好戦的に笑っている悪魔祓いが目の前に。けれど。

 ――貴方も、怖いんですか。

 震えていた。年端のいかない少女は、悪魔を前に怯えていた。

「……ああ、そういえば日曜日に風見と出掛けるんでした」

 わざとらしく、魔色は呟いた。

「ペンを」

 悪魔はただ、一言。少女の殻から、コウモリのような羽が姿を見せる。側頭部からは、山羊の角を。瞳は紅に、爪は長く、鋭く、美しく。

ああ。それは、魔色と名乗った悪魔の本当の姿なのだろう。

 悪魔の握る羽ペンが、淡く輝いた。

 美麗な字で悪魔は名前を記していく。魔色という偽名ではない、本当の名前を。

「貴方も」

 悪魔とシスターの手が、混じり合う。

 汚い字で、シスターも名前を記した。悪魔祓いになるときに捨てた、本当の名前を。

 両者の名前が刻まれた羊皮紙が、ふわりと浮かび上がる。そして、両者の左胸に、紋様を刻み込んだ。

 悪魔の契約。黒魔術の行使者。決して、天国へと行けぬ者の証。

「これで、わたしたちは共犯者……です」

「そんな表情で契約した人、見たこと無いですよ」

 悪魔は、実に悪魔らしい顔で、哂う。


 ‹›


「あの……」

「ん、どうかしたのですか?」

 寮に戻ってきた魔色は、自室の前で振り返った。

「なんで貴方が私の部屋までついて来てるんですか!」

「廊下ではお静かに。もう深夜なのですよ?」

「あ、すみません。ってそうじゃなくて」

「だって、別の部屋では偽装できないのです」

「……夜も偽装する前提なんですか」

「ええ。実際、夜中に襲撃を受けてるのですよ。必要でしょう?」

 ニコリとシスターグレイは笑った。魔色は確信する。己の負けを。

「あぁ、せっかくの一人部屋が……」

「はやくお部屋に入れてください。誰かと共同生活するって、夢だったのです」

 呑気な少女の催促に、魔色はため息で応じた。


 翌朝。遅刻ギリギリに教室へと滑り込んだ魔色とシスターグレイを、風見は視界に捉えた。

「おやおや、あの優等生な魔色ちゃんが今日は遅刻ギリギリですかな?」

「私だって、寝坊する日くらいありますよ」

 ニヤニヤと風見は邪推する。

「へぇシスターグレイと同時に来たのはたまたま、と」

「ええ。何も無かったわ」

 魔色は気が付かない。そう言い切った自分の顔が、若干ひきつっていることに。

「そうなのです。わたしを魔色ちゃんが寝かしてくれなかっただけですから」

「ちょ、グレイさん⁉」

 おそらく魔色は、誰も見たこと無いような顔をしていたことだろう。

シスターグレイが自堕落してない…?この後する、はず

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