1.隣人は愛した方がいいが、壁ドンは聞いてない
放課後の教室で、少女は顔の良いシスターに迫られていた。教室端、壁際で。
女性にしては比較的高身長な少女を、小柄なシスターは逃さぬよう、下から右腕を壁に押し付ける。いわゆる壁ドンである。少女の首筋に息がかかりそうなほど、二人の顔は近く、少女の黒髪と、シスターの灰色の髪が混じり合っていた。
もう少し詳しく語るのなら、壁ドンの衝撃でコンクリ製の壁はひび割れ、迫られている少女——魔色という名の悪魔のお腹には、武骨な拳銃が突き付けられているのだが。
「あの、グレイさん?私、あんまりアブノーマルなプレイは好きじゃないんですが……」
「気にしないでください。これは貴方の逃亡を防ぐことだけが目的なのです。それに私はアブノーマルなプレイが結構好きですし」
サラりと無表情のままシスターは危ないことを零した。
おそらくは魔色も逃亡を防ぐために壁ドンされる日が来ようとは思いもしなかったのだろう。いや、誰だって想像できまい。そもそも壁ドン自体が死語である。
「さて、魔色……悪魔さん。貴方は如何なる目的で神学校に?ここがどういう場所かは悪魔の貴方が一番詳しいでしょう?」
「さ、さいとしぎん?……ひぃ!」
直後、真横にあった掃除用具入れがグシャグシャになった。
「シスターって奇跡とか使うものじゃないんですか⁉」
「筋肉とチャカならもっと早く殺せるのです。では、もう一度問いましょうか」
真横の白い細腕から逃げるように、魔色は地を仰いだ。
何故なら、彼女は悪魔である。天を仰ごうものなら天使がすっ飛んでくるのだ。
けれど、どれだけ仰ごうが祈ろうが、薄情な悪魔たちが助けに来るはずもなく。
「貴方は何をしにこの神学校へ?回答次第では協定に従い、地獄へ強制送還するのです」
数秒、魔色は考えた。嘘をつくため、ではなく、彼女が神学校に潜入している理由があまりにも情けないものであるが故に。知られれば、一生モノの恥になるのは確定だった。
おそらくは、魔色の中でもっとも速く頭を回転させていたことだろう。
「十秒以内に返答がいただけないようでしたら、問答無用で強制送還ですよ」
が、シスターにとってそんな事情、知らんこっちゃない。
押し黙る魔色にぐりぐり洗礼済みの拳銃を押し付けるのみである。自己申告の通り、アブノーマルなプレイもイケるらしい。
「じゅーう、きゅーう、はーち、なーな……」
遂に魔色は観念した。この世の終わりみたいな顔をして、涙目になりながら蚊の鳴くような声で告白する。
「あの、その………………悪魔学校で留年しちゃいそうで」
「 」
「あの、グレイさん?」
虚を突かれたように、シスターは固まっていた。それから数秒が経ち。
「ぷっ……あはははははは!留年、留年ですか!あのFランしか存在しない地獄の悪魔学校で、留年って!クククあはは!何したらそんなこと起こるんですか!」
シスターは当然のようにゲラゲラと笑い始めた。
「悪魔生で一番恥ずかしかったんですよ⁉そんな笑わないでくださいよぉ……」
――ほんと、ほんとお願いだから笑わないで欲しい。
遂には壁ドンすら忘れて、シスターはお腹を抱えて転がりはじめた。
ゲラゲラと笑うシスターの横で悪魔は頭を抱えて泣き出した。
なぜ。なぜ、こんなことになってしまったのか。
魔色は地を仰ぎながら、今朝のことを思い返していた。
‹›
「では、入ってくれ」
三年の春。気が付けばなっていた最上級生の憂鬱さを噛みしめながら、春の空を見ていた魔色にとって、聞き流していた女教師の言葉は唐突だった。
けれど驚く暇すら与えず、ガラリと建付けの悪いドアが開き、小柄な少女現れる。
「……」
見え隠れする灰色の髪と、幼くも美しい顔立ち。蛇のように真っ赤な瞳さえなければ、万人が天使と見紛うことだろう。
何よりも特異なことは、修道服を着ていることだった。ここが神学校であったとしても、修道服を着ている生徒など、一人だっていないのだ。
更に奇妙なことに、彼女は大きなシャチのぬいぐるみを脇に抱えていた。あまりも堂々としているのだから、クラスメイトは皆、自分の不備をまず、疑った。
そんな少女もしばらく教室を見渡し、先生の視線で自己紹介を思い出したらしい。
「初めまして。生憎、名前と呼べるものがありませんので、偽名ですがシスターグレイと呼んでほしいのです」
ニコリと笑って、鈴を転がすようなきれいな声で少女は言った。
ドッと教室がざわめいた。いくら神学校といえど、ここにいるのは思春期の子供である。偽名を名乗るシスター、なんて非日常に驚かないはずもないだろう。
「魔色、偽名だって!ねえ、偽名!」
魔色の前に座る風見も、目を輝かせていた。魔色と彼女はもうかれこれ五年は同じクラスのはずだが、今も魔色は風見のゴシップ好きに共感できなかった。
憂鬱な気分で俯き、腕の間から魔色は転校生を見た。なんたって、偽名を名乗るシスターなんて禄なもんじゃないと決まってるのだから。
が、不幸というものは一度陥れば大抵死体蹴りが続くようで。
「あー席、席は……あの後ろのほうでそっぽ向いてる魔色って女の隣に座ってくれ」
いい加減な女教師の言葉に思わず魔色は起き上がった。目印にはさぞ丁度よかったことだろう。
魔色は悟った。不自然な隣の空席がこの少女のためだったのだと。それから思わず神への悪口を百個ほど考えて吐き捨てた。言おうものならほんとに天使が飛んできてしまう。
そんなしょうもないことを魔色が考えてる間に、品の良い歩き方でシスターグレイは隣に座っていた。
「よろしくお願いしますね。えっと」
「……魔色、魔色勇魚。魔色でも、勇魚でも好きに呼んでください」
「そう。じゃあ、魔色ちゃんで」
面のいい顔でニコリと笑って、シスターグレイは隣に座った。
『ね、魔色ちゃん。なんで転校生は偽名なんだと思う?』
退屈なホームルームが続く中、ひっそりと前の席から渡されたメモにはそんなことが書かれていた。
魔色にとっては疫病神以外の何者でもないのだが、娯楽に飢えた思春期の少女にとっては、シスターグレイという存在は格好の話題だったようで。
『さあ?本人に聞いてみたら?』
半ば投げるように、前の席の親友にメモを渡し、魔色は再び俯いた。
魔色にとって、何故偽名を名乗っているのかなんてどうでもいい話だった。
しかし。ふと、魔色の中にいる猫がむくりと起き上がった。好奇心の化身みたいなソレは、にゃあと鳴いて魔色に一つの疑問を残してどこかへと消えた。なにしろ猫である。
厄介な疑問を残したものだと、魔色は脳内で舌打ちする。けれど、確かに気になるのは事実であり。疑問を、もう一度、反芻する。
「シスターグレイさん?はその、なんでこんな学校に転校を?」
「へ?」
昼休みも終わりかけ、ようやくはけた人だかりの中心人物こと、シスターグレイは魔色の質問に、素っ頓狂な顔を晒した。
「えーっと、通ってる私が言うのも変だけど、この学校、古臭いですから」
地方のよくある神学校だ。老朽化は進み、大した実績もなく、そのくせ校則はやたらと厳しい。毎年減り続ける生徒に、熱意のない教師。評判は落ち続けるのみである。
進学するとして、大抵の場合は真っ先に除外されるような場所だ。
それが、聖ハビエル女学院。昨年、中等部が廃止になった学校の名前だった。
当然、堂々とシスターを名乗るような人間であれば、この学校の評判でさえ、把握しているはずである。
故にこそ魔色は気になった。なぜ、この学校に?
「……ふふ、だからこそ、なのですよ」
平静を取り戻したシスターグレイはなんてこともなく、静かに笑った。
「それは……どういう」
「わたし、サボるのが大好きなので」
魔色の耳元で、シスターグレイは小さくささやいた。
「それと、わたしのことはグレイと呼んでほしいのです。シスター、なんて称号は飾りですから」
真っ赤な瞳を細めて。鈴のような声でもう、一言。
魔色の心臓は信じられないくらい早鐘を打っていた。恋が理由ではない。
少女の独特な香の匂いが、間違いなく悪魔祓いのモノだったから。
なんとなく百合が書きたくなったので練習がてら書いてみます。
ブクマ評価感想待ってます。ストックがあるので一瞬だけ毎日投稿予定