恋人との初夜
意外にも時間は経っているもので、もう十時だった。
いつもこの時間は課題に追われているのに、そんな心配はない。
課題の心配がいらないとか、本当に最高じゃないですかね。
しかも明日の分の教材は全部準備し終えているわけで。
これからは早めに課題を済ませた方がいいかなと錯覚する。
錯覚というか、その方がいいんだろうけど。
自分はどうしても嫌なことを後回しする性格というか、今ある幸せを存分に楽しむタイプなので、必然的に課題に追われてしまう。
今回は、お泊まりという幸せがあったので、頑張れただけなのだ。
じゃあ。次からもお泊まりをすれば……⁉︎
課題も終わらす事ができ、心音と一緒に過ごせる!
我ながら素晴らしいアイデア!
……うん。知ってる。
多分、それは無理。
うちの母さん、絶対そんな何度も人様の家にお世話になるなって言うし。
私の家に泊めるにしたって、毎週は心音ママだって抵抗あるだろうし。
しょうがないか……。毎週お泊まり作戦は泣く泣く諦めよう。
けれど!
今から私と心音は一緒に寝る。深い意味はない。
……深い意味ってなんでしょうね。分かんないです。
ともかく。一緒の布団で一緒に寝れるって素敵だってこと。
私は今、洗面所で歯磨きをしている。
心音はもう済ませて部屋に上がっていた。
取り残された私は、一人でそんな思考を巡らせている。
鏡を見て常にニヤニヤしているのに気付き、顔を元の形に戻そうとする。
自然な顔だと思っていたが、こんなにも崩れていたなんて。と、恥ずかしい。
でも。抱きついている時は、顔はバレないから。それでいいのか。
そう思いながら、私は歯ブラシを洗う。
口の中に水を含ませて、くちゅくちゅして。ぺっとする。
唇を歯が見えやすいように除けて、歯に挟まっているものがないか確認。
その歯の輝きに大きく頷いて、私は二階へと足を向ける。
戻る道中、すれ違った心音ママに意味深な笑みを向けられた。
謎の悪寒がし、私は足早に部屋を目指した。
部屋に入ればもうそこは暗い。
心音の姿も見当たらない。
布団が微かに動いているのは確認できた。
暗い部屋の中、そろりそろりと歩き、手で障害物を確認しながらベッドまで辿り着く。
心音は壁際に寄っていて、多分私の就寝スペースを作ってくれていた。
「心音。入っていい?」
問うて。
まぁ。問わなくても、隣に並んでいいだろうけど。
一応の確認だ。
心音が、掛け布団の中からひょっこり顔を出す。
服は多分。パジャマに着替えたようだ。
暗闇でその顔が頷くように起き上がったのを確認。
「じゃあ。失礼して」
そう言って、私は胸を高鳴らせながら布団をめくり上げる。
心音の身体が奥に見えて、まず、自身の足をその中へと滑り込ませる。
片足が完全に入り込み、上半身ともう一方の足もベッドの上へ入れ込んだ。
だが。やはり一人用のベッド。
ぎゅうぎゅうで、私の左側が完全に心音とくっ付いてしまう。
けど。それはとてもいいことだと、私は捉える。
心音もそう思ってくれていそうだし。
「……心音」
天井を見上げながら、その名を呼ぶ。
思えば、この名前を呼ぶのにもすっかり慣れてきた。
最初はあんなに恥ずかしかったのに。
「……なんですか?」
隣から細い声。
返答が来ることに少し驚く。
「……心音? 私とハグしてないのに喋れるの?」
「……はい。私、家族となら普通に会話できるんです。……だから、伊奈さんの時も頑張ってみようかなって思います。……今、顔見られていないですから」
つまり私のことも家族として見てくれているのかな?
もし、そうだったら凄く嬉しい。
だって結婚するもんね。そりゃ家族なのかも。
けれど。無理はしないでいいと思うけど。
「それ、大丈夫? 無理せんでよ。心音って自閉症の様な感じなんでしょ?」
「……やっぱり無理かもしれないです。今も顔を見られたら恥ずかしさというか、なんか震えて話せなくなりそうですね」
「それでいいと思うよ。話せないからって、私は心音から離れないよ」
「なら。ハグする口実に、ずっと喋れないキャラを演じるのもいいかもしれないですね」
心音はクスクスと笑った。
……笑った。それだけなのに、凄く。凄く。嬉しい。
付き合ったことによって、心音の気持ちが明るくなったのかな。って。
これまでに笑ってくれることなんて、ほとんど無かったから。
「伊奈さん……」
「どうしたの?」
声色はいつもの風に戻り、ぽそりと名前が吐き出される。
それを拾い、私は聞いてみた。
「いや。私と、付き合ったこと。……後悔とかしないですか?」
「え、なんで!」
その言葉に、少し声を張って言い放つ。
心音は一呼吸する。
すると、何かに怯えるような声で。
「だって、結婚まで約束してしまったんですよ? 伊奈さんのその選択は、どうだったんでしょうか。……そこが私、不安なんです」
「後悔なんてあるわけないじゃん。私が望んだことなんだよ」
けど……間違った選択をしたとしても、その選択をしないと辿り着けない幸せにいつか出会えると、私はそう思う。
もちろん、私が選んだこの道は、本当に良い未来へと進む道だ。
「なら。……良かったです」
本当にホッとしたように心音はそう呟いた。
「うんうん!」
見上げている天井。
少し明るくなったことに気付く。
目がこの暗闇に慣れてきたのだと理解できた。
心音を見たいけど、見たら多分怒られそう。
だからそれは。しょうがないけど諦める。
私のあの頷きの以降。
心音からの返事は特に無かった。
寝たのだろうか。
「起きてる?」
そんな修学旅行みたいな問いをして。
触れている身体を揺らしてみる。
「起きています。けど、朝も早いので今日は寝ましょう。……疲れました。本当は補聴器を取らないといけないんですけどその余裕も無いくらいです」
「そっか。……うん。やっぱりね」
私は何を期待していたのだろう。
何も期待していないと頭では否定をしても、凄く寂しい気持ちになる。
何か足りない気がして、一緒に寝ているという状況の時点で満足するべきなんだろうけど、本当に……何かが。足りない。
心音とは、今日は単に一緒に寝るだけって。それだけのつもりで、私は心音の横に、寝に来たのだ。
でも。いざこういう状況になって。いつもみたいにただ話しているだけだっていうのは。……変にもどかしく感じてしまうのだ。
「おやすみなさい。伊奈さん」
「……うん。おやすみ。心音」
こんなところで悲しむべきじゃないんだろうな。
付き合えたということを、喜ぶべきなんだ。今日は。
分かっているのに……。自然に涙が出てきそうになってしまう。
私が心音に求めているものは、思っているものよりも絶大なのかもしれない。
こんな思考に陥るのも、夜のテンションだからかも。
今日はダメだ。今日は終了だ。
目を閉じて。それで朝起きて。
付き合えたんだって自覚をして。恥ずかしくなろう。
それで今は、充分なのかも。
多分、言い聞かせてるだけなんだろうけど。
ぽっかりと空いた心の穴を、私は無理やりにでも埋める。
心音の方に目をやらず、「おやすみ」ともう一度告げる。
返事は来ない。寝るの早いな、と残念。
開いていた目を、ゆっくりと閉じる。
けど。眠れる気はしなかった。
部屋の時計の刻む音を、妙に意識してしまう。
カチカチと。その一秒一秒は、なぜか遅く感じた。
一秒、二秒、三秒。やがて六十秒。
本当に眠れない。
いつもは気にならないこの時計の音が、とてもうるさく思える。
私の耳から脳内に入り込んで、支配されているようだった。
どうせ眠れないのなら、悲しいことよりも明るいことを考えて紛らわそう。
考えることと言えば……そう。明日からの学校生活だ。
まず。明日は心音ママに学校まで送ってもらう……よね?
あ。でも、着替えとかが入った大きいカバンはどうしよう。
……一旦、お家で降ろしてもらおうかな。私はそのまま歩きでいいや。
んで。大事なのはその後。
付き合ったんだし。周りの目なんて気にせずイチャコラしていいよね。
自分のクラスに心音のことを想っている人がいるならば、その人たちのことを諦めさせることも可能だし。……よし。イチャコラはしよう。
心音は会話は無理だと思うからイチャコラするだけだったら、会話は起こさずとも可能だし。
他にも昼休みだって。どこかの場所で二人仲良くご飯を食べることもできる。
休み時間も、心音と教室外のどこかでハグとかできてしまう。
いいね。付き合うって、やっぱり結構ガラリと変わると思う。
学校の色彩が。いつもよりも輝き始めると思う。
勉強も楽しく……ならないかな。勉強は勉強だ。
でも。心音がいるから頑張れるっていう気持ちにはなるかも。
それで。一番の楽しみが放課後なのかな?
相談部に来る人はあまりいないから。ずっと色々できてしまう。
ただ両想いのこれまでは。ちょっと躊躇ったりもしたけど。
もう付き合ったんだし。どんどん積極的になっていきたい。
なんて考えていると。
眠気もやってきた。
頭がボーッとして。
瞼は吸い付くように閉じている。
おやすみ、と、心の中でまた心音に。
今日はこれでいいんだ、と。
言い聞かせではなく、ちゃんと思った。
その時のこと。
風がふわりと、私の顔に吹いた。
「…………?」
私の身体に、心音の身体が触れてない。
そのことを、数秒遅れて理解する。
理解して。私の身体の上に、巨大な気配を感じた。
そして。もう。次の瞬間だ。
瞬間。というより、目を開ける暇も無いままで。
私の唇に。そっと。心音の唇が触れる。
濃厚では無い。私を起こさないように配慮をしたキス。
その唇は、一秒足らずで私から距離を置いた。
「伊奈。ごめんね。……こうでもしないと、今日は照れ臭くて」
声量の無いその声は。いや、その声色は。
いつもと違う。いつもよりも、自然に思えた。
けど。可愛いのには変わりの無い声。
「おやすみ。伊奈。大好きだよ」
そんな甘い言葉。
気配が私の上から、退いてしまうのを感じた。
それがどうしても嫌なのか。私は何かに突き動かされる。
眠気はすっかり、無くなっていた。
私は目を開く。
私の上に覆いかぶさるようにいた心音。顔は私の胸の上。
一生懸命に、片腕で、落ちる長い髪を押さえていた。
そんなおかしな心音のことを片手で捕まえる。
「行かないで。戻らないで」
「いっ! 伊奈……さん……」
驚愕の声を、心音は上げる。
御構い無しに、もう片方の手でも、心音の肩を捕らえた。
今日の夜。一緒に寝たのに物足りないと感じたのは。
多分、こういうことなのだろう。
肩に置いた手を、そのまま背中へと回した。
そして、心音を引き寄せる。髪がパサリと私の顔に乗って、それを除ける。
呆気にとられていた心音は、抵抗することもなくそのまま私の身体にダイブ。
けど。掛け布団が緩衝材となり、重さは全然感じることはなかった。
今度は手を、心音の両頬に持ってくる。
何かを口出しされるその前に。
その出てくるかもしれない言葉を抑えるように。
私は心音の顔を、自分の唇へと運ぶ。
心音の唇は潤っていて、私の唇は乾いていた。
口内から私の唇を舐めて、そのまま舌を心音の中に侵入させた。
けど。心音の歯に、それの侵入を拒まれる。
「心音。開いて」
口の端から囁く。
言われるがままに、心音は合わさった歯を開いてくれる。
迷わず、舌をその場所へと。
動かぬ心音の舌を、いじめるようにいっぱい舐める。
「……や、やめっ。……い、伊奈……さんっ」
呼吸に精一杯になっている心音が、そんな声を上げた。
舌の動きを止める。
やめて?
そんなに気持ちよさそうな声を上げているのに。
心音から、私にキスしてきたのに。
「やめてほしいの?」
意地悪に、私は問うた。
「……ねぇ。やってよ……」
甘々なその声は、私の。身体の全てを刺激して。
すぐにキスを再開した。
心音も舌を動かし始める。
凄く気持ちがよくて、全身が何度も震える。
キス以外の変な匂いが、この部屋を包み込む。
「心音。一回、ベッドの外、出て」
キスの休憩時間に。上に乗っている心音に呼びかける。
「うん」と、可愛い声で頷いた心音は、すぐに退いてベッドの外。
私は掛け布団を払いのけて、同じくベッドの外に行って。
心音のことを抱きしめる。密着度が、かなり上がっていた。
そして。そのまま。私は心音をベッドに押し倒す。
柔らかい心音の両肩を掴んで、口の中を攻め続ける。
今の気持ちよさの。さらに奥先にあるものを求めるように。
唾液が漏れて、心音を汚す。
と、心音は私のことを抱き寄せて。
小さいベッドを器用に回転した。
次は私が攻められて、心音の唾液に汚される。
これを何セットも繰り返した。
攻めては、攻め返されて。
攻めては、攻め返されて。
二人疲れ切って、抱き合う。
目を瞑ってしまえば、意識は簡単に飛んでいきそうだった。
「伊奈さんは、変態ですね」
抱き合いながらも、呼吸を整えている心音に囁かれる。
「耳を舐めてきたのは誰でしたっけね?」
「……。私の口に、唾液を沢山流し込んできたのは、どこのどなたですか?」
「そんな人、知らないけど」
「私も。伊奈さんが言うそんな人は、全然知らないですよ」
「そーですかー。……まぁ、これが。恋人同士の営みってことだよね?」
「健全な高校生カップルです。……まだ。キスのみですが」
「キス。いいね。これからも、沢山したいね」
「はい。……沢山。したい……ですね」
「あ! あとさ。私のこと『伊奈さん』か『伊奈』のどっちかで統一してよ! キスの時、どっちでも呼ばれちゃうんだもん」
「そ、それは。……うん。じゃあ、伊奈でいい?」
呼び捨てで呼び合う仲。
これは。恋人の第一歩ってところなのかな。
ともかく。嬉しい。
「いいよ。心音」
「うん。伊奈。……ちょっと言いにくいですね」
ふふ、と笑う心音。
名前の文句は親にお願いしますと言いたいところだ。
「じゃあ。寝よっか。……もう時間、遅そうだし」
「今は二時ですよ」
「マジっすか。二時っすか」
そんなに沢山の時間、キスをしていたのか……。
やばい。これ、明日の朝。……いや、今日?
ちゃんと起きれるか心配だ。
「マジっす。二時っす。……そんなわけで、今日は寝ましょう」
「そうだね。うん。やばそう」
あ。でも。
起きれなくても、心音ママが起こしてくれるかな。
うん。やっぱり、さっきの心配は無し無し!
「じゃ。おやすみなさい。心音」
「はい。おやすみ。伊奈」
満足に言えた『おやすみなさい』という言葉だった。
これが私と心音の、初めての夜だった。
とても素晴らしいものだった。
心音から静かな寝息が聞こえだした。
心音のことを、軽くぎゅっと抱き直して。
私も重いその瞼を。ゆっくりと閉じていく。




