火の家と水の家
「こちらでございます。」
神官の誘導先は神殿の境界の外だった。当然だ。素性の知れない者を結界内に入れるわけにはいかない。シエルも納得する。
「名を、トーラ=ベへメンス、と名乗っているのですが、シエル様に心当たりは。」
歩きながら訊ねてくる神官に、シエルは思い当たる旨を伝える。トーラ、火の紋章を家紋とする古い魔法家の娘だ。
「ええ、知っています。しかし今は非常時、きちんと確認してからではないと心配です。」
「そういっていただけると荷がおります。ユウナ様の恩人のお知り合いの方を、門前で留め置くのは心苦しいのですが、時期が時期ですし…。」
「こちらこそ、すみません。」
自分はよそ者なのだ。神殿の人たちに無理を言って滞在させてもらっている。中には快く思っている者もいて当然。それでも好意で置いてくれているのだ。わがままを言う立場ではない。
「あそこにいらっしゃいます。確認をお願いします。」
門前でたたずむ人影がある。その人影は、なにか地獄から来たのかと思うような服を着ている。トーラ本人だろう。神官が怪しく思うのも当然だし、門前払いされても文句は言えないはずだ。50年経っても服の趣味は変わらない。
「確かに知り合いのトーラです。」
神官の目に不信の色が浮かぶ。おそらく素行の悪い者と付き合っているシエルが今後ユウナに悪い影響を与えるのではないかと心配になっているのだろう。
「知り合いですが、それほど交流があったわけではありません。それに彼女の趣味は昔からなのです。反抗的というか、今はやりの若者ファッションが好きなのですよ。」
長寿の魔法使いにエルセリア王国の流行りも何もないが、幼馴染を弁護する。
「そうですか。」
それでもよく思っていない事は見て取れた。
「まあ、ここの方から見れば行儀が悪いでしょうね。」
「いえ、そんな…。」
差別意識はないのだろうが、自分の世界観から見て嫌悪するのは当然だろう。もしかすると王国の若者にも眉を顰めるているのかもしれない。
「それでは、話をしてきます。」
「はい。」
結界内で控える神官。上からは見届けるように言われているのだろう。不測の事態を憂慮してだ。
「久しぶりだね、トーラ。」
「あっ、シエル。久しぶり。」
黒革ジーンズに、血文字のTシャツ、黒革パーカーを羽織り、銀のチェーンネックレス、毒々しい鋲打ちのベルトに禍々しい髑髏のアクセサリーが下がり、足元はやはり革製の黒いブーツだった。さらに明りが憎いかのように、パーカーを深々とかぶり、その派手な化粧とウエーブをきつめにかけた赤髪を隠していた。
くちゃくちゃ噛むガム越しにトーラと呼ばれた少女は顔を緩ませた。
「何の用かな。ここは神殿だからあまり変な事を言わないでね。」
小声で警告すると、流石に相手も300歳を超えているので状況を理解してこくんと頷いた。
「シエル。お前が神殿にいる方がびっくりだよ。どういう心境だ。場合によって裏切りだと映るぞ。」
トーンを落とし気味だったが少し厳しい口調のトーラ。
「そんな話じゃないよ。でも、そんな大事になっているの?」
「まあね。お前が神殿に与すればバランスが崩れる。心配になって当然だろう。真意を知りたいって声はうちだけじゃ無い。お前がどう認識しているか知らないけど、お前ん家の影響力を軽視しない方がいい。」
確かに正論だ。我々逃げた魔法使いとそのほかの勢力とは距離を取る事で均衡を保ってきた。それを崩しつつあるのは、まさに自分なのだ。
「ごめん。気が付かなかった。」
「はあ、気が付かなかった?馬鹿か。昔からおまえばどこか抜けてんだよな。」
かなり奇抜な恰好をしている娘から正論と侮辱をぶつけられるが、ぐうの音も出ない。
「で、どうなんだよ。」
「そうだね、神殿に与して『我ら、逃げた者』を駆逐する意図は全然ないよ。それは確か。」
「でも、『他の奴ら』は違うんだろう。」
「まあね。」
沈黙が生まれる。
「はあ、やはりあれは本当だったのか。」
大きなため息とともに、非難がましい声が上がった。
「えっ。」
「お前が色恋にうつつを抜かし、前後が見えなくなったっていう話。」
「色恋?」
「ウエンディが泣いてたんだよ。で、俺んちに少し泊まってたの。初めはお前の事を思っていたのか、口に出さなかったけど。何とか聞きだしたら、お前が『元凶』と付き合っているっていうじゃねえか。俺は信じられなかったぜ。そんで、お前が奴らの手先になっているって、あっという間に噂が広がったの。正気かって。騙されてんじゃねえかって。それに、今、他の問題もぶちあがってんのに、当の当主がそんな体たらくで、制裁も加えられるかもだぜ。」
「問題?」
「馬鹿かお前は。会合蹴るから、わかんなくなるんだよ。反省しろ。」
ボコっと頭を殴られた。
「痛い。反省するよ。」
「馬鹿か。反省するよ、だあ?ガキじゃねえんだよ。『他の奴ら』が接触を図って来たんだ。目的は石の解放さ。俺ん家はその技術を保存している。それになあ、その過程には、土と水も金属も関係している。つまりお前んちも当事者だ。金属の家は『残った奴ら』だ、協力するに決まっている。いいか、この世界が亡ぶかどうかの瀬戸際なんだよ。いい加減にしろ。」
再び渾身の力で殴られる。物理的な痛みよりも、もたらされた情報に衝撃を受ける。
「えっ、まさか、そんな…。」
「だから、早くこっちに来るんだ。緊急の会合が開かれる。何を選択するかについて。それには絶対お前んちが不在ではダメなんだよ。この前の会合では『ほかの奴ら、残った奴ら』の我が家への接触についての会合だったのに、くそ、お前は蹴りやがって。」
何も言い返せない。事態を軽く見て引きこもってきた付けだ。前兆はあちらこちらにあったのに。
「それにな、確かな情報じゃないんだが、…王都にも『他の奴ら』が入り込んでいるらしい。」
「えっ。」
「しっ。聞かれたらまずいんだろう。王の野心に付け入って、何かをやらかすつもりかもしれない。それとも王があえて招き入れたか。」
「ま、まさか、待てよ…。」
石、火の家への接触、労働局…
「も、もしや…。」
体がガタガタ震えてきた。
「なんだよ、心当たりがあるのかよ。」
「王が、精霊石の採掘に本腰を入れている。今まで見向きもしなかったのに…。」
「ま、まさか…。」
トーラも震え出した。2人とも直観したのだ。これは魔法使いとそうでない者たちの対立という単純なものではないという事に。
「いっ、一刻も早く、か、会合に。」
「くそ、こんな馬鹿をなんで好きになったんだろう。」
トーラは舌打ちをした。




