先輩への奉仕
「逃げるなよ。」
前日に念を押されたので、シエルは渋々と侍従兼元護衛の先輩であるディエンの自室に赴いた。それは他の部屋より立派な扉だった。
(俺の割り当て部屋より大きんじゃないか)
エルセリア国教会の聖女様の専属護衛であったのであればそれなりの待遇だろう。シエルは、居住まいを正してコンコンと扉をたたいた。
「シエル、参りました。」
「…。」
返事がない。再びコンコンと叩く。するとなかからゴソゴソと物音がして
「はっ、入れ。」
と、声が聞こえた。
「失礼します。」
「お、おう、よく来たな。」
一礼をして部屋に入るとディエンが出迎えた。いつもと違い可愛らしい服を着て髪に花を挿している。こうしてみるとユウナとは違うタイプの美人だ。これで口さえ開かなければと、シエルは失礼なことを考えていた。
彼女の部屋はこざっぱりしていた。いくつかの武器が壁に掛けられているのは別として、いくつかの鉢植えが床と窓に置かれて、ベッドはきちんと整えられていた。汗臭い武道家の部屋を想像していたシエルは、意外にも年ごろの女の子らしい部屋に驚いた。
「そ、それで、お、おう、部屋の片づけだ。新人としてきっちり働いて貰うぞ。」
「はい。」
シエルは無駄な争いはごめんだと素直に従う事にした。
「何をすればよいのですか。」
部屋はきちんと片付いていた。片付けも掃除も不要に思えた。
「あ、そ、そう、床、床だ、床を磨け。きちんと水拭きだ。」
着飾った先輩は慌てたように言った。
「はい。」
シエルは口答えせずに水桶と雑巾を探しに行く。
「きれいに磨くんだぞ。」
椅子に腰かけて監督する先輩ディエンを尻目にシエルは跪きながらゴシゴシと床を磨いた。魔法を使えば一瞬だが手作業は嫌いではない。まじめにゴシゴシと磨き続けた。
「お、お、シエル、あ、お前。」
ゴシゴシ擦っているといきなり声が掛かった。
「はい?」
シエルはそちらの方を向いて返事をする。
「あ、そ、その、今日の私はどうだ?な、なにか違わないか?」
恥ずかしそうに髪をいじりながら訊ねてくる先輩。
多分自分の容姿を褒めて欲しいのだろう。シエルも妹がいる身なのでここは無難に対応しようとする本能が働く。
「はい、ディエン先輩、とても綺麗です。可愛らしいというのも失礼かもしれませんが、服と髪飾りと、とてもよくお似合いです。」
きわめて無難に返事をする。嘘は言っていない。本当に綺麗だ。
「ああ、う。」
黒髪の少女は頭を抱えて小さくなった。シエルは再びゴシゴシと床掃除に戻った。
「あ、シ、シエル。」
「わっ。」
跪いて掃除をしていたシエルにいきなりディエンが覆いかぶさってきた。
「あ、あのな、私、シエル、お前が好きになってしまった。なあ、お、お前、わ、私と、つきあえ…。」
ディエンの華奢な体が心なしか震えている。
「えっ。」
いきなりの状況にシエルも驚く、が、慌てる程幼くはない。
「ディエン先輩、私は、ユウナさんとお付き合いをしています。」
その場を動かず静かに答える。
「あっ。」
ディエンは後悔と恥ずかしさと拒否されたショックが入り混じった表情を浮かべた。シエルは何事もなかったかのようにすっと立ち上がり雑巾を絞った。
「後、掃除するところありますか、なければ、戻る許可を願います。」
努めて冷静に、下手に騒ぐなとシエルの理性が告げていた。しかし、ディエンはシエルをベッドに押し倒しその上に覆いかぶさった。意表を突かれたシエルはなすがままだった。
「なっ。」
シエルは呻く。
「しっ。」
肉食獣が草食動物を捕食するかのようにディエンは眼光鋭くシエルに迫った。自分の体を押し当ててシエルの口に口づけをしようとする。
「やめてください、大声を出しますよ。」
シエルは精一杯抵抗して口づけを拒絶しようと試みるが、
「声を出して困るのはお前だ。人が来たらお前に乱暴されたと泣きつく。」
と、ディエンは目を鋭くさせながら言い放った。
「ユウナさんはあなたを妹のように思っているのにですか。」
シエルの言葉にディエンは怯んだが、
「承知の上だ。」
と、シエルの服を脱がせにかかった。
これ以上はダメだ。シエルはそう判断して魔法で相手の腕を振りほどく。相手は逃げた獲物を睨みつけて大声を上げようとしたが、その口はシエルの手で塞がれた。
「落ち着いてください。あなたは一時的に気持ちが高ぶっているだけです。落ち着いて。」
塞いだ手に感じる呼吸は荒かったが、次第に静かになった。
「うう、うう…。」
落ち着いてきたと同時にディエンの目から涙があふれだした。
「うう、うあーん、うあ-ん。」
「…。」
泣き叫ぶディエン。
「うう…、うう…。」
「…。」
「う、ユウナねえね、ごめんなさい。で、でも私、うあーん。」
大好きな姉を教会に取られてその上に別な男にもとられたのだ。嫉妬、そのほかいろいろな感情が混じってまだ若い少女は混乱しているのかもしれない。ディエン本人の感情は知る由もないがシエルは漠然と恋愛感情、承認欲求、吊り橋効果、その他、妹のヒステリーなど、断片的な知識を思い返していた。
「うあーん、うあーん。」
あまりに大きな声で泣くので、
「どうしたんですか。」
と、ドアをたたく音がする。流石に人が心配するだろう。
「大丈夫です。」
入ってきても混乱が大きくなるだけだ。シエルは大きな声を上げた。
「うあーん、うあーん。」
シエルは側によってディエンを宥めようとした。
しかし、
「うるさい。」
と、はねのけるディエン。
「あのさ、僕のこと好きになってくれたのはとてもうれしいよ。でも…。」
「うあーん、どうせ、私が可愛くないからだろう!どうせ私は魅力なんてないんだ。」
シエルの言葉に激しく怒鳴るディエン。
「あのさ、ディエンは可愛いよ。美人だ。」
「お世辞はやめろ。」
かたくなに泣きじゃくる少女。
「ほんとだよ。」
「じゃあ、どこだ。どこがだ。言ってみろ。」
泣きじゃくりながらもどすが効いた口調。
「えーと、すらっとした身体、健康的な褐色の肌、つややかな黒髪、きりっとした顔は美しいし、男の人は放っておかないよ。」
「うう、口だけだ。うう。」
「本当だよ。」
「じゃあ、私と付き合え。」
「…。」
その時バタンと扉がいきなり開いた。
「ディエン。」
入ってきたのはユウナだ。
ベッドの上で泣きじゃくるディエンとその傍らでおろおろするシエルを一瞥すると、
「ディエン。シエル様、一体何があったんです!」
と、ユウナはシエルに詰め寄った。
「えっと…僕は…。」
しどろもどろになるシエルに訊いても埒が明かないとユウナはシエルを離れて、さっとディエンの傍へ寄った。
「どうしたの、ディエン。」
優しくその体を寄せる。
「うう…。」
羞恥心が頂点に達したのか、顔が赤くなったまま臥せってしまった。ユウナはその様子を心配そうに見つめると、シエルの方を向き直って、
「シエル様、ごめんなさい、ちょっと外へ出ててね。」
と、まるで他人に接するような口調で要求した。
「はい。」
シエルは大人しく従う。部屋の外へ出るとシエルはため息をついた。
(ディエンに嫉妬するよ。彼女がどう思っているか分からないけど、明らかに僕よりもユウナさんの興味と心配の向かう先は彼女だ。)
家族のこととなるとユウナの関心は完全にそちらに移るらしい。僕はまるで道化だな。シエルは再び溜息をついた。




