奇跡と暗雲
「まさに奇跡だ。」
死にかけていた少女が蘇るさまを目の当たりにした近所のおばさん達は、口々にそういった。
「ユウナっ。」
しかしマルグリットは蒼白の表情でユウナに駆け寄った。最高の事態と共に最悪の事態が起きたのだ。祖母はあっけにとられて固まって動かない。
「姉ね?」
一人無邪気に姉を呼ぶ妹。
(どうしよう…、どうしよう、あなた…)
マルグリットは煩悶した。その時、どんどんどんと玄関が鳴った。我に返った祖母が出る。
「どうしたんだ。ディエンは無事かっ。」
開かれた扉と共に、祖父と父クリーガーが入ってきた。
「ディエンっ。」
「ぱぱ。」
ベッドに座ったまま、出迎える娘。
「ディエンっ。」
クリーガーは、愛娘を抱きしめた。
「元気じゃないか。どうしたんだ。」
困惑するクリーガー。
「あ、あなた…。」
むしろ蒼白なのは妻。
「どうした…。」
マルグリットは何も言わずクリーガーに抱きついた。蒼白な顔。手足も青白くなって、全身がカタカタ震えていた。
「どうしたのだ…。」
ただならぬ様子にクリーガーはますます困惑した。
「あのね…あなた…、聖力が…。」
「聖力?」
その答えは、近所のおばさんが引き継いだ。
「そうなんですよ、クリーガーさん。死にかけていた娘さんを助けたのは、このお嬢ちゃんですよ。それはびっくりしました。奇跡ですよ。教会の偉い巫女さん達も医者も助けられなかったディエンちゃんを、たった一言で生き返らせちまうんだからね。こりゃ、聖女さまですよ。教会に早く知らせた方がよいでしょうよ。この子の力を必要としている人が五萬といるんだからね。」
「聖女…。」
クリーガーは即座に理解した。そして妻が震えているわけも…。奇跡を見るような眼と蒼白の妻の眼。クリーガーは居住まいをただして口を開いた。
「…。お集りの皆さま、娘ディエンを心配して来ていただきましてありがとうございました。しかし、軽々しく聖女とするのはまだ早いかと…、まだ私たちも混乱しています。そして、何においても、ユウナには早まったことで無駄な騒ぎと奇異な注目を味あわせたくないのです。大事な私の娘です。好奇心を煽るようなことで、危険に曝させたくないのです。然るべき時に、教会には私たちから届けますから、どうか今日の事は内密に…。」
絞り出すような懇願の声。
「…。分かりましたよ。クリーガーさん。」
不審に思いながらもそのただならぬ雰囲気におしゃべり好きな近所のおばさん達も、この時はしおらしく返事をした。
「クリーガー、お前…。」
祖父母も二の句が継げなかった。近所の人たちが帰ったあと家は再び静寂を取り戻した。
「どういう事だ、息子よ。」
祖父母が息子夫婦を問い詰める。子供たちは子供部屋に行くよう命じられた。夫婦2人しか知らない秘密。孤児であることは既に祖父母も承知している。しかし、あの村の子供であることは今回も教えず、聖女カテリーナの跡継ぎである事のみを告げた。
「まさか、あの子が…。」
「父さん、このことは秘密にお願いします。カテリーナ様の望みは、13歳ぐらいになってから教会に入り、それまでは普通の女の子として、本当の家族として暮らすことです。彼女の遺言です。無用な騒ぎにしたくないのです。それに歴代聖女は魔法使いの暗殺にもさらされました。ユウナをそんな危ない目に合わせたくはありません。」
「暗殺…。ではなおさらではないか…。一刻も早く教会に…。」
困惑する祖父。
「父さん…。母さんも…。お願いだよ。」
必死に訴え、母の方を見る。
「私も…。なんとも…。」
母も黙ってしまった。分かっているのだ。騒ぎは絶対に起こる。秘密は必ず漏れるのだ。そして日を置けば置くほど、その噂は広く遠くまで伝わる。その前に、ユウナの安全を確保しなければならないのだ。
「マルグリット…。」
クリーガーは妻の方を見た。
「…。」
苦悩顔の彼女。彼女も葛藤していた。可愛い娘。それは勿論だ。しかし彼女に向けられる暗殺の刃に、ディグレやディエンが巻き込まれる可能性が頭をよぎり彼女の心は引き裂かれた。
(ああ、私は何て非情で冷酷な人間なのだろう。)
マルグリットはユウナと子供たちを天秤にかけている自分に驚愕した。
「お願いだ…。」
クリーガーの声が空しく響いた。
「姉ね。」
「ディエン。」
それから数日後、庭で遊ぶ2人の姿があった。結局ダス家の人たちは、ユウナについて様子を見ることにした。なるべく聖女の遺言通りにする。それはガルド王国では一般民に共有されている感覚でもあった。それに、ユウナもディエンの命の恩人なのだ。しかし聖女を任されているという栄誉とともに恐ろしく重大な責任を感じざるを得ない。ダス家の大人たちはため息をついた。
「お母さん。」
ユウナが自分を呼ぶ。
「なあに、ユウナ。」
「お母さん。」
ディエンをあやしながら、本当の母親を呼ぶように慕う、娘。
5年、5年…。
葛藤があったのは事実。
でも…。
やはり、彼女は既に自分の娘なのだ。
様々な気持ちが去来するが、可愛い我が子と思う気持ちは確かにある。
「ユウナ。」
マルグリットは彼女を抱きしめた。




