戦場と惨劇
鬨の声が上がり、前の方にマテリア国の兵士が集まり始めた。今は米粒ぐらいの大きさだが、横に広く展開していくのが分かる。大砲、投石器、銃を構え始めた兵士が、遠くでも見て取れた。
「もう、後戻りはできないわね…。」
聖女はそう呟いて、握っていた男の手を静かに離した。
「リーナ。」
真正面を向く聖女の厳しい顔に、男はそれ以上一言も話せなくなった。その表情たるや、やはり聖女なのだ。その聖なる存在に遠慮なく触れてしまった自分に、今更ながら恐怖に近いものを感じた。
「神よ…。」
その言葉にどのような気持ちが込められていたのか、その時の男には見当がつかなかった。それほど深い深い解きがたい響きだったのだ。そして聖女は、右手をいきなり真横にふるうと一言叫んだ。
「滅。」
ドゴーン。
その確かな言葉と共に、目の前で大きな爆発が起きた。一瞬の後、その爆風の余波がこちらの身体を貫いた。
「な…。」
クリーガー将軍は何が起こったのか、全くわからなかった。確かなのは、彼女が右手をふるい一言叫んだだけ。そして目の前に広がるのは、横に広がって燃え盛る炎。叫び声すら上がらなかった。
すべてが燃えていた。
生きているものは一人もいないのではないか…
これほどの破壊が、一瞬で。
その衝撃に一瞬現実感がないように思えた。
そしてやや遅れて将軍の背中に冷たいものが流れた。
「リーナ。」
元恋人の横顔は、相変わらず厳しいままだった。
「リーナ?」
ややあって、彼女はこちらに顔を向けた。
「リー、あらかた終わったわ。でもまだやることが残っているの。私はあちらへ行くわ。あなたはどうする?」
その表情はひどく憂いに満ちたものだった。
「最後までいさせてくれ。」
男の言葉に、女の顔は少し緩んだ。
焼けた野原。
進むにつれて、黒焦げた大地が姿を表した。見渡す限りの焼けた大地。燃えるものさえほとんど残っていなかったので、くすぶる火以外は何も残っていない。
(これが攻撃の聖力。)
なるほど、これでは魔法王国とも対等に戦えただろう。今更ながら神話を実体験として感じた。元恋人によって。
相変わらず彼女は無表情で進んでいく。どこへ向かうのか。前線を越えて少し行くと、やや焼け焦げた大きな幕屋があった。恐らく司令部だろう。周りに人の気配はなく、いくつか展開している小さな幕屋は全て破壊されていた。真ん中の大きな幕屋。彼女はその前で止まった。
「マテリア国の責任者よ。お前たちの兵士は全て壊滅した。お前たちの行為の結果を持ち帰り。お前たちの支配者にこのすべてを告げよ。そして、その行為の結果に対する対価を支払え。」
彼女の言葉には一切の慈悲はない。そのような響きだった。対して、中からは何の反応もなかった。
「リーナ…。」
いささか焦りに似た感情がクリーガーを襲う。腰にかけている剣に自然と手が伸びる。
もぞもぞ、がさっ。
カチャ。
幕屋の一部が捲れた。
クリーガー将軍は直ぐに剣を抜いた。
「おい、出てこい。」
クリーガーは剣を構えながら叫ぶ。彼女は…平然と前を向いている。全くこの愛しい彼女は、取り乱すという事が一生のうちに何度あるのだろうか。
「この悪魔め…。」
息も絶え絶え出てきたのは、半身を抉るように負傷した白髭の男。敵の大将だろうか。2人の側近も大けがをして焼けただれているのにもかかわらず、その白髭の男を抱えるようにしていた。
「それをお前が言うか?」
聖女は刃物で刺すような声で言葉を放った。
「くそ、許さんぞ…。」
何を言っても無駄なのだろう。この白髭は憎々しげにこちらを睨んでいた。
「さて私たちは、この戦闘においてすこぶる責任を負っている。お前たちは矛を収め、家に帰るがよい。そして、二度とこの国を奪おうとするな。もしこれ以上何かするつもりなら、お前たちの国もことごとく亡ぼす。」
聖女の言葉を、白髭は睨むようにして聞いていた。
「くそ、神も知らぬ悪魔者ども。呪われて、地獄に落ちるがよい。」
白髭はペッと唾を吐いた。
「こいつ。」
クリーガーはカッとなって剣を向けた。
「将軍、止めてください。」
聖女の静かな言葉にクリーガーも剣を下ろす。
「はん、お前が不信仰の国の将軍か。悪魔と契約した者に払う敬意など持ち合わせておらぬよ。」
白髭は見下すような仕草で言った。
「こいつ。」
すんでのところで自制する。
「さて、悪態はご自由に。しかし、こちらは提案をした。それを飲むか飲まないか、今ここで決めるがよい。」
聖女がぴしゃりと言い放つ。流石の白髭もうなだれたようにした。
「さあ、答えは。」
動かない白髭。その体が震えている。そして、その体が不意に動いた。
「危ない。」
一瞬だった。
クリーガーは、考えるよりも先に、体が動いた。
「悪魔の言葉に従うか戯けが。最後の一兵まで、我が国の力を見せてくれるわ。」
ダダダダッ。ボガーン。
白髭が構えた銃から無数の弾丸が飛び出し、同時に爆弾も飛び出した。そして同時にクリーガーは愛する彼女の前に体を投げ出したのだ。
「リー。」
聖女の悲痛な声が響き渡った。




