聖女と願い
「クリーガー参りました。」
将軍は名乗り、そして静かに門前でたたずんだ。
「お待ちしておりました。」
門番が扉をあけ、神殿付きの侍女が先導する。
「主がお待ちです。」
庭園を抜け、神殿へ。神殿の扉が開かれ、中に入る。いつ見ても荘厳だ。将軍は思った。広い前室。そこを抜けるとまた扉。その先には長い身廊。天井は高く、左右にはステンドグラスがはめ込まれている。中央交差部まで進むと、正面に神エッセの印と、聖女エルセリアの像が掲げられているのが目に入る。思わず頭を垂れる。
「将軍、お待ちしておりました。」
現れたのは、聖女カテリーナ。いつにもまして美しく見えた。
「聖女カテリーナ様。今日はどのような事でございますか。」
跪き、頭を垂れながら、畏まる。
「将軍、お時間をいただきましてすみません。今日はとても大切な話があります。ここではお話しできませんので、私室にご案内いたします。」
そういって聖女は侍女を下がらせた。私室。聖女に誘われながら、将軍はひどく緊張した。
「こちらです。」
そんな将軍の心情を知ってか知らないか、相変わらず冷静な表情で聖女は私室の扉を開けた。全く、女性とはいまだによくわからない…。
将軍はため息をついた。
「さあ、お楽にしてください。」
扉を閉め、部屋にある椅子を進めた。部屋は人ひとりが生活できるくらいの広さで、こじんまりしていた。ベッド、本棚、机、2つの椅子、小さなテーブルを置けばそれでいっぱいだった。小さな丸いテーブルを挟んで、聖女も椅子に腰を掛けた。
おいおい、狭い部屋で二人っきりか、参ったな…。柄にもなく緊張する将軍。変なことは考えないように気を引き締める。不平等だな…将軍は思う。彼女は全く動ずるそぶりを見せない。
「将軍。」
「はい。」
急に声を掛けられて、思わず声が裏返る。
「ふふふ、そんなに緊張しないでください。」
妖しく笑う元恋人。緊張するなということの方が無理というものだ。恐ろしい。多分もてあそばれているのだ。もしかすると、彼女なりの小さな復讐なのかもしれない。
「さて、本題に移ります。」
再び空気が変わる。参ったな、場の主導権は完全に彼女だ。やはり、俺は彼女の掌で転がされているだけなのかもしれない。そんな男の心情は関知しないという雰囲気で、
「将軍、先日のことですが…。」
と、彼女は言葉をつないだ。
「あの赤子とこの国の先行きについて、不穏な影を感じます。何度瞑想しても、その不安が解消されません。詳しくは話せないのですが、このままでは、この国、いいえ、このアースガルド全てが滅びる恐れが出てきているのです。」
突然の予言めいた言葉に驚く将軍。
「そ、そんなことが…。」
巷の占い師の言う事であれば一笑にふすだろう。しかし発言の主は、外ならぬ神エッセと聖女エルセリアの愛娘。
「ええ…。そこで、あの赤子の処遇ですが、どうかあなたの家族として育ててくれませんか。」
再び衝撃の発言。
「ど、どうしてですか。」
当然の疑問。
「それは…、あの子が次の聖女になるからです。」
「せ、聖女、それでは猶更、神殿で…。」
しかし聖女は首を横に振った。
「勝手な願いとお思いでしょう。しかしこれがとても大切な事なのです。」
「そ、それは…。」
「普通巫女は、幼い時に家族を離れ、この神殿で住み込みながら教育を受けます。しかし、家族という繋がりは知っており、それがその子の大切なよりどころとなるのです。それによって神殿という特殊な場所だけでなく、それ以外にも多くの世界があるということが理解できます。しかし、この子は生まれながらにして次の聖女たる力を持ちながら、赤子の段階で家族も知らず神殿だけが彼女の世界になるのです。これは大変危険なことです。国はおろか、この先の大災厄に耐えられないでしょう。そこで慣例どおり13歳ぐらいまでは神殿とは違う家庭で過ごし、その前後で巫女としての聖力の片鱗が隠せなくなったところで、神殿に入ってもらいたいのです。」
「…。」
確かに筋は通っている…将軍は思った。神殿のやり方は自分にもわからないが、おそらく彼女は私心で言っているのではない。
「では、なぜ私の家を…。」
これも当然な疑問だった。もっと適切な家もあるだろう。
「これは、将軍にしか頼めないのです。」
その目は真剣だった。
「この間、件の魔法使いがあの子の犠牲になったと言いました。」
「はい。」
「私の透視では、幸い、魔法使いの中では何が原因で彼らがやられたのかはわからないようです。」
「…。」
「しかし、慣例を破り、教会が名もなき赤子を育てていると、うわさが広まれば、いずれ憶測でも魔法使いたちの知るところとなり、彼らはそんな危険な存在を許さず、どんな手段によっても、あの子は命を狙われるでしょう。」
「し、しかし、わが家で育てても、うわさが…。」
「その点は大丈夫です。済みません。私があの村で皆に真実を告げたときに、聖力を使いました。それは私の言葉から伝わった内容は、将軍以外は自由にその記憶を消去できるという聖力です。」
「…。」
「赤子の事実はすべて消すつもりです。」
「…。」
「そして、賊の死は適当な憶測で片付けられるでしょう。」
「…。」
「あなたしか、信頼できる人がいないのです。無理を承知で…、この国と世界のために…是非、是非、お願いします。」
聖女は真剣だった。
「…。それほど私を信頼してくださる。ありがたいのですが…私が裏切る可能性は…。」
将軍の言葉に、彼女の顔が緩んだ。
「将軍…、いいえクリーガーさん。いいえ、リー様、あなたは裏切りません。あなたのことは私がよく知っております。」
リー様…。
「ずるいよ、リーナ。断れないじゃんか。」
「ごめんなさい。卑怯な手だわ。でもそれほど大事な事なの。これを逃したら、恐らく世界が滅ぶわ。それから…わたしも直この世を去る。その前に、彼女を育てなければならないの。」
「…。この世を去る?」
「ええ、私の時は終わり。次の巫女が見つかった以上、代変わりだわ。それに、私の体も、とおに限界なの。もうエッセ神とエルセリア様の御元へ戻る時期だわ。」
「リーナ。自分の死期を…知っているのか。」
自分の死を淡々と話す聖女に将軍は胸を締め付けられた。
「ええ、大体はね。今生も悪くなかったわ。でも心残りは、あなたの愛だけ。あの時、もう少しいろいろなことが理解できていたら…。若さって皮肉なもんだわ。…。それよりも、もう一つ…」
「もう一つ?」
「近く、一つ災厄が来る。恐らく隣国マテリア国との戦争。…。大変な被害が出るの。」
「リーナ、それも予言かい?大変だ直ぐに王に…。」
「無駄だわ、私も未来のことは詳しく透視できない。できるのは強力な慣性を持ったアウトラインだけ。そして、この戦争は非常に強い慣性を持っているから、今から回避は絶対できない。確実に起こる。」
「回避はできなくても備えは…。」
「それは可能ね。でも同じよ、今からでは大した備えもできないでしょう。」
確かに軍備増強には時間がかかる。ということは、戦争まで時間がないと予言されていると同じなのだ。
「近く起きるのか?」
「ええ、私たちの国が備えられないうちにね。」
「あの国が…、何のために…。」
隣国マテリア国は機械、科学が発達した国だ。彼の魔法王国大戦の後、いろいろな国が興亡し更に離合集散して今に至る。その一つが我が国ガルド。これは聖女エルセリアの犠牲を強く意識し、エルセリア国教会を中心とした国なのだ。そして隣国マテリアは比重的に神エッセを強く信仰する。そのため万物の理を研究し、その力、科学を発達させたのだ。しかし同時に聖力への信仰が希薄になり、今では却って迷信とされて使えるものは皆無だということだ。
「きっと、迷信深い我が国が目障りだと思うようになったのだわ。」
「…。迷信。」
自嘲的に笑う巫女。しかし、無駄でも早く王にお知らせせねば…。
「将軍、赤子の件は…。」
あ、それもあったか。畜生、いろいろな問題が一気に…
「ああ、いろいろな問題で面食らう。でも、分かった、僕の家で面倒見よう。孤児の養女ということでよいか。」
「ええ、ありがとう。心苦しいけれど、周りには名もなき孤児ということで…。そして本人には出来れば物心つくまでは本当の家族ということで…。そして、聖女の片鱗が出て、教会が引き取る時期がきたら、その時は真実を伝えても良いわ。」
「僕の妻には…。」
「真実を伝えてよいわ。あなたの妻よ、きっと信頼できる人だわ。」
「…。わかった。それ以外には絶対に漏らさない。」
「時が来るまでね。お願いします。養育費はまとめて渡すわ。もちろん教会の主要人は分かってのこと。しかし聖力で制限はかける。念には念を。」
「僕には…。」
「かけないわ。あなたの妻にもね。必要ないもの。私の見える未来にも、赤子について、あなたたちの家族で心配はないわ。」
「…。」
「これで、私の話はすべて終わりだわ。あなたが何か言いたいことがあれば聞くわ。」
「隣国との戦争には教会は参加するのかい?」
「…。そうね、国の危機だもの。聖力の使い手は皆参加するわ。」
「君も?」
「ええ、私も。」
「…。」
「守ってくださる?」
お茶をすすりながら、悪戯っぽく笑う彼女。
「君に死んでほしくない。」
「…。まあうれしいわ。」
愁いを帯びたような瞳がかすかに微笑んだ。




