第十話 恵まれていない女性④
「ごめんね! 渋滞してて遅れちゃったぁ」
陽気な声でぱたぱたと玄関から入ってくる女性の音が聞こえる。
この人がなんで来たのかもわからないし、多分この男たちもわかっていない。
でも、借金取りでも困惑する事態ということは、私の立場がこれ以上よくなることはないはずだ。
扉を開けてリビングに来たその人を見て、私は一瞬思考停止する。
年齢は私よりも大体一回りくらい上だけど、同性の私でも見入ってしまうくらいの美人なお姉さんだ。芸能人と言われても納得しちゃいそうなくらい。
モデル顔負けの小顔に外人張りに鼻が高く、身長の半分くらい足なんじゃないかってくらい長い。冬なのに豊満な胸元を大きく見せつけたキャミソールと薄手のカーディガンにスキニーという季節感のない格好をしている。
車で来たとしても、そんな夏みたいな格好で寒くないのかな。
「ふぅん……あなたが木本遥子ちゃんね。写真通りの美人さんじゃない、まな板だけど」
さらっと私がずっと気にしていたコンプレックスを抉る謎の女性。
こんな状態で、快活に笑っているこの人を見ると如何に異常かがわかる。
「あの、これはどういう?」
視線が主張の激しい胸元に寄っている状態だが、思い返したように小柄な男は説明を求めようと声を発する。
この反応を見て、彼女とこの借金取りには面識がないとすぐわかる。
「はい、これ。この子については私が引き継ぐから用済みのあんたらはもう帰っていいわよ」
手に持っている紙を男に私、しっしっとどけるようにジェスチャーをする。
不思議そうに紙を見て、男たちは文字通りに停止する。
私の方から何が書かれているかはわからないけど、よっぽど衝撃的な内容が書いてあるみたい。
「こ、こんなことが」
「五月蠅いからさっさと行ってくれる? あたし時間ないのよね」
もう一度、今度はかなり棘のある言い方で言い放つ。
男たちは事態を理解しきれていないものの、従うしかない様子ですごすごと引き下がっていった。
残されたのは私たち二人。
「あたし、こういう者よ」
椅子にドスンと座って、その長い脚を組む。
本当にすごい美人。
首から谷間まで肌の露出がすごいけど、不快感がないくらいの美人が、名刺をテーブルの上に滑らせる。
……デスゲーム参加者管理部門チーフ 飛谷絵梨?
「あたしは飛谷、よろしくね」
「あ、はい」
デスゲーム。文字の如く死のゲーム?
私が知っている言葉に該当しない。
「木本ちゃん。借金を返したい?」
「あ、はい。というか貴女は何者ですか?」
飛谷さんは目を丸くした。
何か変なことを言ったのだろうか。
「あなたデスゲームって知らないの?」
「あ、はい。そういう言葉には疎くて」
想像ができないわけではないけど、家庭用ゲーム機の話か何かかと。
「木本ちゃん、じゃーんけーん」
いきなり拳を固めて私の前に出してきた。
そう言われると、反射的に私は手のひらを広げてパーの形を作った。
「ぽん!」
対する飛谷さんはチョキを出していて、にやりと笑う。
ポケットからエアガンのようなものを取り出して、私に向ける。
「え?」
小さな炸裂音。
笑顔のまま、全く目の笑っていない飛谷さん。
何か自分の後ろで音がしたから振り返ると、壁にかけてあった写真立てが割れている。
……え? ほ、本物?
「っていう風に何かゲームで負けたら死ぬ、それがデスゲームよ。今回は練習だから代わりに写真を割っちゃったけど」
私は意味を理解して、一瞬で滝のように汗が湧き出てきた。
へらへらと笑いながら、この人は本気で一瞬私を殺そうとしたのだと。
「自分の命を担保にして、ゲームを行う。勝者にはあなたの借金が余裕で返せる額のお金が。敗者には死を。お分かり?」
反応ができなかった私に対して、また拳銃を。
そして次に私の眉間に押し当てる。
「わ、わかりました!」
「うん、返事ができて偉いね」
借金取りよりも余程質が悪かった。
この人、本気で撃てる人だ。いや、もしかしたら既に撃ったことのある人だ。
明らかに手元に狂いがなさすぎる。
「で、木本ちゃんは参加したいかなーって思って」
「あ、あの、し、質問いいですか?」
恐怖で口が上手く回らない。
この人の匙加減でいつでも殺されるんだから。
「な、なんで私が?」
何故自分がデスゲームというとんでもない世界に巻き込まれるのか。
自分が恵まれていないことは知っているけど、それにしても。
「ん? 借金ある人のリストを見てて、あたしの好みだったから」
即答される。そして言っている意味が分からない。
とりあえずこの人がやばい人だというのはわかった。
わかったら、急にこの美形が恐ろしく見えてきた。
「で、どうするの? 別に断るならあたしは退散するけど、借金って膨らんでいくから何十年も風俗嬢やっても返せないんじゃない?」
「……」
デスゲームというただ一日を乗り切れば、一瞬で借金が返済可能だという。
「あたし知らないんだけど、まな板って需要あるの?」
なんと残酷なセリフ。
私の絶壁と飛谷さんの双丘。同じ女性として絶望的な格差に敗北感を感じざるを得ない。
「どんなゲームなんですか? 私、そういうのよくわからなくて」
「それは秘密。でも安心して、性別とか体格とかで差がでないようなゲームだから」
カードゲームだったりサイコロ、コインなど運が絡むゲームだったりするのかな。
それか心理戦、頭脳戦。
私が困惑して回答を保留していると、少しだけ苛立ったように飛谷さんはテーブルを指で叩く。
私はその小さな音にもびっくりして思わず凝視する。
「あたし、あなたと違って暇じゃないの」
「さ、参加します!」
一回の生死の綱渡りか、人生を全て捧げて借金を返すか。
私の選択は決まっていた。
でも、これは私が選んだこと。さっきの水商売の話とは違う。
自らの命は自らの意思で決める。
「そしたらあたしは帰るから。後日いつかは知らないけど多分一度誘拐されるんじゃないのかしら」
「え?」
「そしたらすっごくいい男が面談に来るから、それ以上の話は彼に聞いてね」
飛谷絵梨さんは颯爽と立ち去って行った。
残されたのは私と、割れた写真立て。
そして沈黙。
それが私とこのデスゲームの出会い。
竜巻が過ぎ去った後のように、穏やかだと思っていた平穏がすべて吹き飛ばされた。