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アザー・ハーフ  作者: 丹㑚仁戻
最終章 願いの代償
62/68

62. 失ったもの

「蒼ちゃん! 蒼ちゃん、しっかりして!」


 エレナの焦ったような声で朔は意識を取り戻した。気絶したつもりはなかったが、いつの間にか腹部に入れられていた蒼の腕が抜けていることも、エレナが泣き叫ぶように蒼の名を呼ぶ理由も、その経緯がまるごと抜け落ちている。

 一体何が――覚醒しきらない頭でぼんやりと腹部に手をやれば、そこにはもう傷がないことに気が付いた。


 ――生きてる……?


 そう安堵したのも束の間、ならばこのエレナの悲鳴はなんだと、嫌な予感が朔を襲う。


「蒼……?」


 蒼が、エレナに抱きかかえられている。彼女の右半身は真っ赤に染まっており、その光景を見た瞬間、朔は勢いよく上体を起こした。


「蒼ちゃんが……! 急に火傷が広がって……慌てて引っ張り出したけど、返事しなくて……!」


 エレナが涙声で状況を説明するが、朔の頭にはうまく入っていかなかった。


 ――なんで、コイツがこんなことに……?


 蒼は朔の傷を治すために、手を入れただけのはずだ。何度か同じ方法を使ったことがある朔にも、何故そうなるのかが分からない。自分にこの治療方法を教えた人間の言葉を思い出してみても、役に立つ情報は思い当たらなかった。


 『物がくっつくのをイメージすれば、他人の怪我を治せるらしい。俺が知ってるのはそれだけ』


 かつて自分を振礼島から連れ出した男――カズの言葉を反芻する。生き残りでもない彼が何故そんなことを知っていたのか。当時は理解できないことだらけで気にもしなかったが、今考えてみればおかしい。

 だが涼介と面識があるということは彼からか、もしくはレオニード曰く朔を島に迎えに行くよう手を回したという十人目の生き残り――朔の姉にあたる人物からの情報かもしれない。


 しかし、今はそんなことどうでもよかった。記憶のどこかに蒼のこの状況を説明するものがあれば――そう思ったが、カズの口から語られた生き残りの能力に関する話はこれだけだった。


 ――なんで知らないんだ……!


 朔は自分に苛つきながら、全く原因が分からない現状に舌打ちをした。何も分からないのに、今の蒼が危険な状態だということだけは嫌でも理解できる。


「おい!」


 エレナから蒼をひったくるようにして抱きかかえると、彼女の身体はだらんとして全く力が入っていないことが分かった。血まみれの右半身も、見覚えのある火傷で覆われている。


「蒼!」


 そう呼びかけながら身体を揺するも、返事どころか目を覚ます気配すらない。恐る恐る口元に耳を寄せたが、弱すぎるのか、それとも止まっているのか、呼吸していることは確認できなかった。


「くそ!」


 ――傷が治れば、まだ……!


 朔は蒼の身体を覆う火傷を治そうと、その傷口に手を伸ばした。いつものようにその中に手を入れるイメージで、彼女の中に混ざろうと試みる。しかし──。


「――なんで……」


 朔の手は、蒼の傷口を撫でただけだった。


「どうしたの?」

「できねぇ……」

「……私がやるわ」


 今度はエレナがその傷口に手を当てる。するとゆっくりと、エレナの手は蒼の中に入っていった。


 ――どういうことだ?


 朔には理由は分からなかったが、今はそんなことを考えている暇はない。自分にできなければ、頼めるのはエレナしかいないのだ。

 そう思って朔がエレナに目配せしようとした時、彼女から小さい悲鳴が上がった。


「嘘……」


 蒼から引き抜いた手を、エレナが呆然と見ている。彼女の手を赤く染めるのは、蒼の血ではなかった。


「お前、それ……」


 有り得ない――朔の脳裏にはその言葉だけが浮かんだ。


「どういうことだ……? なんでコイツに触れて、お前の手が()()()()()になるんだよ!?」

「分からないわよ! 治そうと思ったら、急に火傷が……」


 そう言うエレナの手には、彼女にとっては見慣れた火傷が広がっていた。それを見て慌てる輪島を制して、エレナは自分の手と蒼の傷を交互に見比べる。

 しかしいくら見ても分かるはずもなく、やがてその視線は朔の顔に止まった。


「ねぇ……この火傷、治せるの?」


 この火傷――それは通常の火傷ではないことは明らかだった。朔の身体と繋がっていた蒼の半身に突如として現れたその火傷は、どう考えても自分たちの身体を蝕む傷そのものだ。それが異常な経緯でできたことを知るエレナには、今起きたことも合わせると治せるとは思えなくなっていた。


「だったらどうすんだよ!」


 朔は思わず声を荒げたが、それはエレナに反論する言葉が思いつかないからだと、心のどこかでは分かっていた。

 自分の腹部にあった火傷が消えて、蒼の身体が火傷に覆われている――まるで自分の傷が丸ごと移ってしまったかのようなその状況に、朔が冷静でいられるはずがなかった。


「――あれ、蒼ちゃん死んじゃったの?」


 突如、のんびりとした声が響く。朔がはっとして顔を向ければ、階段を上がってきた涼介がいつもと変わらない様子で立っているのが見えた。


「お前っ……!」


 それ以上の言葉は、朔の口からは出てこなかった。蒼が死んだという言葉も、それを軽い調子で言うことも、朔の神経を逆撫でするものだったにもかかわらず。


 言葉が、出てこないのだ。まだ死んでいない――そう言いたいはずなのに、言えない。


 蒼が生きていると、示すものがない。


 朔は震える腕で、蒼の身体を持つ力を強くした。まるでただの肉の塊のように腕に重さを伝えるだけのその身体は、どれだけ朔が力を込めても痛みを訴えることはない。


「その火傷……俺たちと同じかな? どうしてそうなったのかは分からないけど、俺たちとは違う蒼ちゃんの身体じゃ耐えられなくて当然だね」

「涼介、アナタ何か知ってるの? この傷、治そうとしても治せないのよ。何か知ってるなら教えなさいよ!」

「知ってたらとっくに教えてるよ。折角蒼ちゃんが俺の願いを叶えてくれる気になったのに……――全く、何のためにルカまで殺してきたのか」


 そう言って、涼介は目を伏せた。その視線の先には途中で回収して来たのだろう、彼の両手に持たれた聖杯がある。朔もまた視界にそれを入れると、自分の中に希望が生まれるのを感じた。


 ――あれを使えば、コイツを助けられるんじゃ……?


 朔はそう思い至ると、蒼を抱きかかえたまま涼介を睨みつけた。


「それ寄越せ」

「これ? 駄目だよ。蒼ちゃんを助けるのに代償たくさん払っちゃったら、俺の分が残らないかもしれないだろ」

「ふざけんな! 元はと言えばお前が――」

「俺が、蒼ちゃんに何をした?」


 有無を言わさぬ声で涼介が問いかける。朔は聞いたことのないその声に思わずたじろぎ、僅かに困惑を宿した目で涼介を見つめた。


「確かに蒼ちゃんのお父さんは殺しちゃったよ? でも、彼女は事故死だと思って生きてきた。俺がそうなるように手配したからだ。それ以外は、何もしてないよ。朔とは会わせたけど、ここまで首を突っ込んでレオニードに捕まって……挙句の果てに朔を助けようとして死にかけてるみたいだけど、俺は直接蒼ちゃんに危害を加えてない。何だったら、さっきはルカから助けてあげたしね」


 何をふざけたことを――そう思って朔は言い返そうとしたが、すぐに悔しげに下唇を噛んだ。

 涼介の言うとおりだった。涼介はいずれ蒼を利用しようとしていただけで、まだ彼女には何もしていないのだ。


 朔が何も言えずにいると、隣にいたエレナが口を開いた。


「今、()()()()()()って言った……?」

「……そうだったかな?」

「ふざけないで! まだ蒼ちゃんは助かるの!? 何か知ってるの!? 答えなさいよ!」


 エレナの怒声に溜息を吐くと、涼介は再び聖杯に視線を落とした。



 § § §


――二年前


「なんで俺がこんな目に! お前のせいだ! お前が俺を――」

「涼介、もういい」


 鈴の音のような声が終わりを告げるのを聞くと、涼介は「了解」と小さく呟いて、先程からずっと罵詈雑言を並び立てていた男の命を断った。


 狭い空間に響いていた男の罵声が静まると同時に、拘束されている彼の足元から妙な気配が漂う。涼介が視線を向けると、そこに置かれていた二つの聖杯のうちの一つから、注がれていた血が蒸発していくのが見えた。


「……これは?」


 有り得ない光景に、涼介は思わず隣に立つ女に尋ねる。


「契約の権利を持つ者が死んだから」

「……この部屋の空気は変わってないみたいだけど?」

「こうするの」


 グレーがかった長い髪を揺らして、女は一歩踏み出す。そしてまだ中身の残っている方の聖杯を、その形の良い脚で軽く蹴り倒した。


 倒れた金色の聖杯から、真っ赤な血が石造りの地面に流れ出る。するとそれまで部屋にあった重たい空気は消え、涼介は自分の肩から力が抜けるのが分かった。


「これで終わるなら、殺す必要はなかったんじゃないの?」

「二つとも血が注がれた聖杯は、血の持ち主が死ぬか、本人でないと血が捨てられないの」

「……それを彼は?」

「知ってたわ。全部承知で実験に名乗り出た」


 知っていたというのは事実だろう、と涼介は思った。男が暴言しか口に出さなくなる前に、彼女が聖杯の血を捨てるよう何度か呼びかけていたのは彼も見ている。

 しかし全部承知しているというからには、その声に従うはずだ。とてもそうは見えなかった男の様子を思い出しながら、涼介は顔を顰めて女を見た。


「なのに、あの態度?」


 ばつが悪そうに顔を歪めた女は、肩を竦めながらその質問に答えた。


「この儀式は、血の持ち主の精神を蝕むのよ」



 § § §


 涼介はそっと、聖杯の中身を見つめた。蒼がまだ死んでいないことは、二つとも彼女の血で満たされた聖杯が証明している。だが、だからといってそれを朔達に教える気はなかった。


 教えたところで無駄なのだ。怪我の具合から見て蒼が死ぬのは時間の問題だろうし、そうなれば新しい生贄が必要になる。蒼が死ぬ前に新しい生贄が用意できたら、聖杯の血を入れ替えるために結局彼女には死んでもらわねばならない。死にかけの何も願えない状態で、契約の権利を保持されるのは涼介にとって迷惑でしかないのだ。


「黙ってないで何とか言いなさいよ! 蒼ちゃんは助けられるの!?」

「さあ? ま、安心しなよ。蒼ちゃんのために使わせる気はないけど、俺の願いを叶えたら結果的に蒼ちゃんは助かるはずだよ」


 そこまで言うと、涼介はエレナの後ろ――輪島に視線を合わせた。


「ってことで、輪島くんだっけ? 君が契約するんだ」

「え……?」

「涼介!!」


 エレナがたまらず大声を上げる。それなのに涼介は穏やかに微笑んでおり、エレナの剣幕を意に介した様子もない。


 援護を求めようとエレナが咄嗟に隣を見れば、そこにいる朔は何か迷うような顔をしている。その様子にエレナは嫌なものを感じて、思わず声を漏らした。


「ねぇ、まさか――」

「朔は蒼ちゃんを死なせない。そうだろ?」

「俺は……」


 小さな声でそう言ったが、朔にはまだ続く言葉は用意できていなかった。自分は蒼を死なせないという涼介の言葉を否定する気はなかったが、だからと言ってどうすれば蒼を助けられるかというのは思いつかない。

 今頭の中にあるのは、涼介の願いのことだけだった。涼介から聖杯を奪う──失敗する可能性のあるその方法よりも、彼の願いに乗る方が確実だろう。それ以外に蒼を助ける方法など、朔の頭には浮かばなかった。


 それなのにすぐにそうしようと結論を出せなかったのは、蒼が涼介の願いを否定していたからだ。一度はその考えを受け入れようとしていたようだが、結局は避けたのだ。だからこそ、彼女は自力で朔の怪我を治そうとした。


 しかしその結果が、()()だ。蒼が嫌がることでも、それしか方法がないのであれば――朔がそう思いかけた時、エレナから慌てたような声が上がった。


「待ってよ、さっき涼介が言ってた事忘れたの!? アナタを自分の思い通りに動かすために、蒼ちゃんと出会わせたのよ!? アナタがここで涼介の言うこと聞いたら、それこそ涼介の思う壺じゃない! 蒼ちゃんだって彼のやろうとしてることに反対してたのに、アナタがそれでいいの!?」

「じゃあどうやったらコイツは助かるんだよ!? コイツは俺を助けようとしてこうなったんだぞ!?」


 自分を助けようとしなければ、蒼は傷つかずに済んだのだ。朔が奥歯を噛み締めると、エレナの後ろから控えめな声が響いた。


「願えば、叶うんじゃないですか?」


 思いがけない声に、朔とエレナは同時にその出処に目を向ける。


「え、いや、だって、さっき彼が言ってたじゃないですか。悪魔か何かが願いに応えて初めて、その声が聞こえるって。別に聖杯を持ってなくても、願うことはできるってことですよね?」


 朔達の視線にたじろぎながら、輪島は自分なりに理解していたことを必死に説明した。輪島自身は、聖杯について殆ど何も知らない。それはエレナが彼を巻き込みたくなかったというのもあるが、そもそも説明する時間もなかったのだ。

 自分が何も知らないと自覚している輪島は自信がなさそうだったが、彼の言葉にエレナが「あ……」と小さく声を零した。


「あーあ、気付いちゃった?」


 涼介が大袈裟に困ったというような表情を作って苦笑する。その言い方と、かつて自分がこの身体になった時のことを思い出した朔は、確信を持って身を乗り出した。


「なら――」

「やめた方がいい」

「……なんだと?」


 やっと見えた希望に水を差されたようで、朔は不快そうに顔を顰める。


「俺の都合で言ってるわけじゃないぜ? 悪魔と契約せずに願いを叶えようとすれば、かなりの代償を支払うことになる。俺たちが生き残ろうとして一人あたり百人の犠牲。蒼ちゃんも条件が同じとは限らないけど、まあそれなりの数の命は差し出さなきゃいけないはずだ。そんなの、蒼ちゃんが喜ぶと思う?」

「お前がコイツの感情を語るんじゃねぇ!」

「そう怒るなよ、親切心なんだから。なんで俺が悪魔と契約したかったか――それは、契約したら代償なんていらないからだよ」


 そう言って、涼介の口は弧を描いた。

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