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アザー・ハーフ  作者: 丹㑚仁戻
第十三章 亡霊の足跡
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54. 今の願い

 朔の隣にしゃがみ込んでいる蒼を見ながら、涼介はかつて写真で見た少女の姿を思い出していた。あの時は気付かなかったが、自分が殺した人物が持っていた写真は随分と古いものだったらしい。死因を偽造するために、普段はやらない死体の処理をしたせいでよく覚えていた彼の名前を、全く関係がないと思っていた女性のことを調べて見かけた時には驚かされたものだ。


 五年前に涼介がほんの少しだけ気にかけた少女――実際は当時既に大人だったわけだが――は、自分の父親が誰かに殺されたなどと微塵も考えずに生きてきたはずだった。それがいつからかその死因を疑うようになっていたのだと気が付いたのは、振礼島に関わった外部の人間は殺される可能性はあるのかと、蒼に聞かれた時だ。


 あの時は、まだ言うつもりはなかった。そもそも蒼に対しては、ここまで情報を与えるつもりすらなかったのだ。朔を操るために適当に関わらせて、邪魔になったら消す、それだけのつもりだった。


 しかし、今はもう状況が違う。朔の状況に心を痛め、恐らくは自分自身の行動を責めているであろう蒼を見ていたら、再び知りたくなってしまったのだ――彼女がどちら側に転ぶのだろう、と。


 ――意味なかったな……。


 涼介は五年前の自分の行動を思い返して苦笑すると、蒼にそっと視線を向けた。


「蒼ちゃんはさ、今目の前に父親の仇がいるわけだけど、どう思う?」

「どうって……」

「しかもあと一時間もすれば、朔の仇にもなる」


 その言葉に、蒼は顔を顰めた。既にある程度自分の中で消化していた父親の死とは違い、すぐそこまで迫りつつある朔の死はまだ受け入れられていないし、このまま死なせる気もない。蒼はゴクリと唾を飲み込むと、睨みつけるような強い眼差しで涼介を見上げた。


「そんなこと、させません」

「朔はね。まだ生きてるから、もしかしたら助かるかもしれない。でもお父さんは違うでしょ? それに朔のことを蒼ちゃんが助けようとしたら、俺は阻止するよ。君が何をしようとしても絶対に邪魔をする」


 蒼は涼介の言葉に少しだけ違和感を覚えた。彼が朔を殺そうとしていることは分かっている。だが本当に殺す気だったのなら、助けるための間も与えずに命を奪っても良かったはずだ。先程の涼介の話では彼の持っていた凶器でそれは難しいとのことだったが、以前朔がそうしたように首を切れば、小さいナイフでも可能だったのではないか。聞けば涼介は人を殺すことに慣れているという。勝手な想像でしかないが、確実に即死させる手段を心得ていてもおかしくないはずだ。


 なのに涼介はそうしなかった。本気で朔を殺そうと思っているにしても、わざわざ死までの時間を長引かせようとしている。


 ――本当は朔さんのこと、死なせたくない……?


 蒼はそんな希望を持ったが、すぐにそれはあまり期待できないだろうと眉根を寄せた。本当に死なせたくなかったのなら、銀製のナイフなど使うべきではないのだ。普通のナイフであればたとえ不意打ちで傷付けられたとしても、病院に連れていけば治療を受けられるだろう。

 だが、銀で負った傷はそうもいかない。その上すぐに身体から銀を引き離すこともできない状況にしているということは、病院に行かせる気もなければ、自力で治せる怪我で済ませる気もない──やはり涼介は、朔を生かすつもりはないということだ。


 ――それに、この言い方はまるで……。


「……そんなに、自分を憎ませたいんですか?」


 蒼がそう言うと、涼介は驚いたように目を丸めた。しかしすぐに表情を戻し、満足そうに頷きながら口元に弧を描く。


「ってことは、父親を殺した相手は憎いってことか」

「何言って……」


 思いもしない涼介の反応に、蒼の眉間が深い皺を刻んだ。


「俺はね、そういうのがよく分からないんだ」

「え?」

「憎いっていうのがどんな気持ちなのかいまいち分からないんだよね。だけど──」


 涼介は一度そこで言葉を切ると、ゆっくりと、噛みしめるように言葉を続けた。


「――失いたくないものっていうのだけは、はっきり分かってるんだ」


 今日何度も見ているその困ったような笑みは、やっと感情を帯びたように感じられた。蒼はその姿に少しだけ安堵すると、まるで小さい子供に語りかけるように言葉を投げかける。


「……なら、分かりませんか? その失いたくないものを奪われたら、奪った相手のことを憎く思うんじゃないですか?」


 涼介は小さく首を横に振り、肩を竦めながら答えた。


「困ったことに、俺からそれを奪うのはいつも俺自身なんだ。しかも毎回そんなつもりなかったのにさ、気付いたら壊しちゃってて」

「それは……」


 蒼にはどう言葉をかけたらいいか分からなかった。涼介の言う大事なものが何か分からないというのもあるだろう。だがそれよりも、壊してしまったと言った時の涼介の表情が固く、安易に声をかけるのが憚られる雰囲気があったのだ。


「大事なものを壊した自分が憎いかって聞かれると、『別にどうも』って感じなんだけど、でも、決めてることがある」

「決めてること?」


 不思議そうに眉根を寄せた蒼に、涼介がふっと微笑んだ。


「壊れちゃったなら、直さなきゃって。直して、壊れたのが全部無かったことにして……そうして、今度は前よりももっと大切にしよう――そう、決めてるんだよ」


 酷く優しい声色で放たれたその言葉は、何故か蒼の背筋をぞくりとさせた。言っていることはおかしくないはずなのに、何か異質な響きを感じる。蒼は得体の知れない不安を感じながら、困惑したように涼介を見上げた。


「悪くはないと思います。でも、無かったことにはできません」

「できるよ」

「しちゃダメです! 涼介さんが何のことを言っているのかは分かりません。分かりませんけど! そんなふうに思えるようになったきっかけを、なかったことにしちゃ駄目だと思うんです!」


 蒼の中には、どういうわけか焦燥感があった。何かは分からないが、涼介がしようとしていることは実現してはいけない――そんな予感がじわじわと膨れ上がっていく。


「でもそうしないと、元通りにはならないよ」

「元通りじゃなきゃダメなんですか? また一からやり直すんじゃ駄目なんですか?」

「やり直せないよ」

「どうしてそう言い切れるんですか? だって──」

「自分を殺した人間を、そうと自覚したまま許すことなんてできないでしょ?」


 冷水を浴びせられたようだった。涼介の言葉に蒼の脳裏に浮かんだのは、到底実現不可能な、しかし聖杯という不思議なものを使えばもしかしたらできてしまうかもしれない、そんな有り得ない現象だった。


 ――でも……もしできたとしても、それは……。


「……涼介さん、貴方まさか……人を、生き返らせようと……?」


 蒼の声は自然と震えていた。今までフィクションの世界では散々見慣れたそれは、実現するかもしれないと思うと急に恐ろしく感じる。蒼の中では人が人を殺すことと同じくらい、いや、それ以上に倫理に反するような感覚が芽生えていた。


「惜しいな。あの日をやり直す――それが、()()俺の願いだよ」


 あの日をやり直す――その言葉を聞いた瞬間、苦痛に耐えているだけだった朔の脳裏にある考えが過ぎった。それは今思いついたのではなく、恐らくずっと彼の頭の片隅にあったものだ。涼介に不信感を抱いてからずっと、気付いていたのに目を逸らし続けていたものだ。


 ――あの日の本当の原因は……レオニードじゃなくて、やっぱりリョウが……?


 やり直すだなんて言葉は、自分のように巻き込まれただけの人間の口から出るとは思えない。それに無かったことにするだけでなく、やり直すという表現を使っているということは、何か達成できていない目的があって、更にはもう一度それに挑戦しようと思っているということなのではないか。


 ただそうなると、朔には一つだけ分からない事があった。“今の”願いということは、以前は違ったのだろう。もしそうなら、どうして願いの内容が変わったのだろうか。


 ──やり直せば()()も叶うから……? いや、それなら()()時点で願う必要すらないはずだ。


 今の状況で気にするのはおかしいということは、自分でも分かっていた。それでも朔には考えずにいられなかった。目の前にいる涼介はまるで見知らぬ他人のようで、その“以前の”願いの中に自分の知る彼を探したかったのかもしれない。


 朔は涼介に真意を問いかけようとしたが、口からは空気が漏れるだけだった。気付けば刺された痛みというのはとうにどこかへと消えていて、感じられるのは身体の内側から焼かれるような、そんな痛みだけだった。刻一刻と死へと近付いている――朔がそれを自覚した時、隣にいる蒼から悲鳴と怒声の入り混じったような声が上げられた。


「やり直すから今朔さんが死んでも構わないってことですか!? どうせ死んだこともなかったことになるから……そんな理由で朔さんにこんなことしたんですか!?」


 蒼にはその考えが全く理解できなかった。確かにあの日――八ヶ月前まで遡れば、今の朔の死はなかったことになるかもしれない。だがもしそうなのだとしても、朔を殺していい理由にはならないはずだ。それになかったことになると分かっていたとしても、こんなことを実行しようという気になる涼介の気が知れなかった。


「だって朔が生きてたら邪魔されるでしょ。本当は知られたくなかったのに、君がレオニードに攫われたせいでここにくる羽目になって……今の朔は俺に対して不信感しか無い。でもあの日までの朔は違う。どちらか選べって言われたら、決まってるでしょ」

「そんなのおかしいです! 人との関係性をそんなふうに都合が悪いからって全部消してやり直すなんて……それに、時間を巻き戻すなんてことできるはずが……。たとえできたとしても、一体どれだけの代償を支払うことになるのか……! 貴方は、貴方の願いのために数えきれない程の人が死んでもいいって言うんですか!?」


 言い切ってから、蒼は猛烈な不安に襲われた。それは目の前の涼介の表情が全く変わらなかったからだろうか。それとも、既に気付いてしまっていたからだろうか――あの日、振礼島を滅ぼす本当の原因となったのが、涼介だったということを。


「構わないよ」

「なんてことを……! そもそも貴方が聖杯を盗もうだなんてレオニードに提案しなければ、そんなことにはなっていなかったんですよ!?」


 蒼は言ってから、しまったというような顔をして慌てて朔に振り返った。苦痛の中に驚きを含んだ彼の表情に、蒼の胸には後悔が襲いかかる。少なくとも朔の前では言うつもりはなかったのだ。何故なら蒼が気付いてしまったその事実は、涼介があの日、最後まで朔を利用しようとしていたのだと、一度したように見えた和解すら嘘だったのだと言っているようなものだったのだから。


 朔は蒼の顔を見て、自分の考えが正しかったことを悟った。蒼が断定するような言い方をしているということは確実なのだろう。何故彼女が知っているのか、信じる気になったのかは分からない。しかしもう目の逸らしようのない事実なのだと思い知らされて、心臓が握りつぶされるような感覚を覚えていた。


「──中々面白い状況じゃないか」


 そんな蒼と朔に追い打ちをかけるかのように、低い声が空気を揺らした。

第十三章『亡霊の足跡』完

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