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アザー・ハーフ  作者: 丹㑚仁戻
第十三章 亡霊の足跡
53/68

53. 語られない懐古

 翌日も涼介は件のホテルの前にいた。目的の人物が既に出掛けているのは知っている。時間から考えてもうすぐ帰ってくるだろうと思い、ここで待っているのだ。


「――探しものは、見つかりましたか?」


 案の定、少しして戻ってきた男性にそう質問を投げかけると、彼は前日とは違いその場で足を止め、涼介と目を合わせた。


 初めてまともに対面した男性は浅黒く、不健康そうな顔をしていた。時折島に来る人間はもっと健康そうな外見をしている者が多い。不健康どころかアルコールに溺れていた自分の父親を彷彿とさせるその姿に、涼介は眉を顰めそうになるのを何とか(こら)えた。


 無精髭もろくに整えず、目元は落ち窪んで目玉だけがギョロリと突き出ているように見える。しかし風呂には入っているのだろう、髪はボサボサではあったが不潔さを感じるほどではない。何より目を引くのは、左眉付近にある傷跡だ。額にある大きなホクロに向かって眉から額へと走るその傷跡は、一体どうやってできたのだろうか。


 涼介が男性を見ながらそんなことを考えていると、彼は恐る恐ると言った様子で口を開いた。


「貴方は、知っているんですか?」

「『何を』によりますね」


 ――食いついた。


 身の安全よりも情報を――それが振礼島を訪れる物好きの行動パターンだと知っていた涼介は、自分の声の掛け方が今度は正解だったことにそっと口端を上げた。



 § § §


「知られたくないことって、なんなんだよ」


 火傷が増えてきたのだろうか、刺された痛みは随分と慣れた痛みに置き換わってきたと思いながら、朔は何かに耐えるような表情で涼介にそう問いかけた。


 言葉を発すること自体は段々と辛くなってきている。腹部に感じる違和感もその範囲を広げてきた。しかし声を出すたびに襲ってきていた引き裂かれるような痛みが慣れ親しんだものに変わったせいか、悪化する体調に反して平静を装えるようになっていた。

 それなのに、涼介へと向ける声は何故か弱々しくなりそうになる。それをどうにか押し隠して、語気を強めるよう努力した。耐えられる痛みとはいえこの怪我だ、痛み以外の部分で影響があるのだろうと、自分を騙すように言い訳をしながら。


 幸いと言うべきか、周りには朔のそんな状況は気付かれなかったらしい。蒼は何も言わずに状況を見守っているし、気付けばそこを指摘してきそうな涼介の口からも、発せられたのは先程の朔の問いに対する返答だった。


「朔は知らなくていいことだよ。もう島も無くなったし、知らなくたって何の問題もない」

「俺の父親がヴォルコフだってこと……とかか?」

「……聞いちゃったのか」


 漸く涼介の表情が、少しだけ変わった。相変わらず困ったような笑みを浮かべてはいるが、その目には先程よりもよっぽど感情が宿っている。少し寂しさを感じさせるその瞳は、自分の方を向いているようで全く見ていないような、そんな印象を朔に抱かせ、そして、戸惑わせた。


 まるで自分の行動を全て操っていたかのような涼介の物言いに、朔は怒りを感じていたのだ。だが今の発言に対する反応が予想外で、そのままその怒りをぶつけていいのか分からなくなる。


 ――俺の父親が誰かがそんなに重要なのか?


 そんなはずはない、と朔は心の中で否定した。何故なら自分は父親の存在など意識せずに生きてきたのだ。たとえそれがヴォルコフという振礼島では有名すぎる男だろうと関係ないはずだ。朔はそう考え至ると、涼介を睨み付けた。


「そんなの大した問題じゃねぇだろ。別に一度も会ったことのない父親が、誰だろうと関係ない」

「朔にはそうかもね。だけど、俺にとっては違う」

「だったら……お前がとっととその理由を話せばいいだろうが! ――くっ……!」

「朔さん!」


 思わず声を荒げた朔だったが、それにより襲われた激しい痛みに思わず顔を苦痛に歪ませた。その額には脂汗が滲んでおり、顔色も蒼白に近くなっている。


 蒼はそれを見て、思っていたよりも状況は悪いのだと瞬時に理解した。刺されたばかりの時よりは平気そうに話していたものの、朔の身体が思った以上に銀の毒に蝕まれているのだと、彼の様子から嫌でも見て取れる。その上、今の体調の変化だ。仮に朔が不調をなるべく隠そうとしていたにせよ、こんなに急に変わるのはあまりにも不自然だった。


 ――まさか……取り乱したから、悪化した……?


 通常では考えられないが、朔達振礼島の生き残りは冷静さを失うとかつて負ったという火傷が表に出てくる。その火傷は自分の意思で消すことができるが、銀が原因となった火傷はどうすることもできない。

 銀の毒が全身に回っているこの状況なら、問題ないはずの前者の火傷でさえも朔の命を脅かすものになるのではないか。確証はなかったが、蒼の中で不安が一気に大きくなった。


 これ以上、彼の精神に負担をかけてはいけない――蒼はそっと朔の様子を窺った。苦しげに浅い呼吸を繰り返す朔は辛うじてその目だけは涼介を睨みつけているが、もう言葉を発するのは難しそうだ。「無理しないでください」、それこそ無理だろうと思いながらも、蒼にはそう懇願するしかなかった。


「……話したくないから、お前を殺そうとしてるんだよ」


 今までよりもほんの少しだけ小さくなった涼介の声に、彼が罪悪感を持っているのではないかと蒼は感じた。全く何も感じていないわけではなく、少しでも何か思うところがあるのなら――蒼がそう考えていると、朔が口を開こうとしているのが目に入った。


 ――二人の問題かもしれないけど……。


 蒼は朔を手で制すと、涼介を睨むようにして見上げた。


「なんで朔さんを殺すんですか? レオニードが言ってました、涼介さんは朔さんを殺すつもりだって。他人に予測されていたってことは、今咄嗟にやってしまったことじゃないんですよね? 考える時間はあったんですよね? ならどうして! どうして他の選択肢を選んでくれなかったんですか!?」

「……他の選べるものなんて、ないんだよ」

「なんで……」

「俺が欲しかったものは、このままじゃもう帰って来ないから」


 そう言って、涼介は静かに目を伏せた。



 § § §


――約二十年前


 暗い部屋の真ん中で、少年はじっと座っていた。無音の部屋には彼の息遣いすら響かず、小さな肩が時折上下しなければ人形だとさえ思えたかもしれない。


 少年の周りの床には、煙草の吸い殻が灰ごとたくさん散らばっていた。そのせいか、部屋には煙草の嫌な臭いが充満している。そしてそれに混じって、バニラのような甘い香りもほんのりと漂っていた。


 煙草の灰は、少年の身体も汚していた。彼の身体のあちこちにある痣や真新しい傷を、黒い灰が薄く覆っている。しかし少年はそれを払おうともせず、ただただある一点を見つめていた。


 少年の視線の先には大人の男性が一人、うつ伏せに倒れていた。彼の頭からは血が流れており、床に飛んだ血飛沫を辿ると少年の顔に行き着いた。それを更に辿れば、重たそうなガラス製の灰皿がそこにあった。その分厚いガラスをきつく掴むのは、少年の小さな手だ。咄嗟に振り下ろした灰皿ごしに伝わった感覚が、彼の手をそれから離れさせなかった。


 父親を殺した後悔が、少年を襲っていた。


 嫌いではなかった。たとえ暴力を振るわれようと、殺したいほど父親のことが嫌いだと、憎いと思ったことなど一度もなかった。今回だって命の危険を感じる程の暴力でなければ、少年は抵抗しなかっただろう。それくらい彼は父親のことが嫌いではなかったし、酒を飲んでいない時であれば好きだとさえ思っていた。


 それなのに床に崩れ落ちた父親を見てすぐに助けを呼べなかったのは、とんでもないことをしてしまったのだという恐怖が彼の心の中にあったからだ。きっと自分は報いを受ける――子供ながらにそう感じて、後悔と恐怖、そして喪失感の中で、少年は自分の行動の結果に向かう合うことしかできなかった。


 どれくらいそうしていただろうか。鼻腔を掠める臭いが変わってきた頃、やっと少年は動くことができた。自分がしてしまったことは恐ろしい、けれど何とかしなければ――そう思った彼は近所の家に行き正直に事の顛末を話した。その際に少年と話した人物によると、彼が異常な程落ち着いていたのが印象的だったと言う。


 そして、この事件は大事にならなかった。

 この時、少年――涼介は初めて、振礼島という環境に対しての疑問を明確に感じた。学校で習う日本という国では、絶対に有り得ないだろうその状況。それまでどことなく覚えていた違和感は、はっきりと形を得ることになった。


 ――この島は、何かがおかしい。なんで俺は罰せられない……?


 その理由は誰にも説明されなかったが、数年後に涼介にも自然と分かった。実の父親を死に至らしめても無感情な子供として、当時から目をつけられ、守られていただけだったのだと。


 だからこそ、涼介はたびたびロシア側の土地に連れて行かれたのだろう。そこにはヴォルコフの部下達がいた。皆ロシア語を話す中に一人、日本語しか理解できない子供が放り込まれる。そうして事前に言われていたとおり、簡単な肉体労働の手伝いをした。


 言葉も理解できない上に、大人しかいない職場では子供の涼介は殆ど役に立たない。自分に突き刺さる冷たい視線を感じながら、涼介は必死に言葉を覚えた。笑っていた方が自分に得があると気が付いたのはこの頃だ。涼介が上手な作り笑いを使いこなせるようになる頃には、彼を蔑むような目で見る者はいなくなっていた。


 初めてその仕事の存在を知ったのは、涼介が十八の時だった。この時にはもう、彼の職場はそれまでの場所から多くの日本人が働く倉庫へと変わっており、ロシア側から声が掛かること自体が少なくなっていた。今更何をするのだろうか――涼介が不思議に思いながらそこに行くと、ヴォルコフの息子として有名なレオニードがいた。


「運がなかったな」


 レオニードは涼介を見てそう笑った。彼が流暢な日本語を話すと知ったのはこの時だ。何故彼がそんなことを言ったのか、その理由はすぐに分かった。連れて行かれた先で、レオニードはそこにいた人物を当たり前のように殺したのだ。


「一体、何を……」

「慣れとけ。そのうちお前もやることになる」


 何を、とはもう聞かなかった。聞かなくても、これが自分の新しい仕事なのだと涼介にはすぐに理解できた。だがこの時はまだ本当に慣れればいいだけだったようで、度々レオニードの()()に同行させられたが、涼介自身が手を下すことはなかった。


 しかし涼介が二十歳になる頃には、とうとう自分で人を殺す日が来た。父親を死なせてしまって以来初めてとなるその行為は、特に問題なく完了した。かつてのような後悔も恐怖もなかったことに涼介は首を傾げたが、毎回後悔しても困ると思い、すぐにその疑問に蓋をした。


 それからはレオニードと仕事を分担するようになった。ロシア関係の人間はレオニードが、日本関係の人間は涼介が対応することになった。レオニードが言うには、今まで丁度良い人材がいなかったため彼が一人で対応していたそうだ。だが日本関係の場合はロシア人である彼の外見は悪目立ちしてしまう。だから涼介に白羽の矢が立ったらしい。


 そうして、涼介はその仕事を続けた。幸いというべきか、この仕事は年に数回しかない。それでも以前から感じていた島の異常性も相俟って、涼介が自分で蓋をして無視した疑問や感情は、彼自身にも気付かれないまま少しずつ、着実に大きくなっていった。


「――運がなかったね」


 何故か昔のことを思い返しながら、涼介はその男性の首を締め上げていた。自分がぼんやりとしていたことに気が付くと、感傷に浸っている場合ではないと小さく息を吐く。


 気絶させたいわけではないのだ。レオニードのように無駄に苦しめる趣味もない。余計なことを考えるな、と自分を戒めながら腕に力を込める。直後、ゴキ、と鈍い音が鳴ると、途端に腕に伝わる重さが増した。


 涼介が男性の遺体を床に横たえていると、ふと彼の胸元から財布が出ているのに気が付いた。特に興味もないそれからすぐに目を逸らしたが、いつの間にかまた見ている。普段ならば全く気にも留めないはずなのに、この時ばかりは妙に気になって仕方がない。見ないようにしようと思って作業を続けていたが、気付けば手に取ってしまっていた。


「……子供がいたのか」


 財布の中に入れられた写真には、まだ幼い少女が父親と思われる男性と一緒に笑っている姿が写っていた。どこか見覚えのある男性の顔立ちに少しばかり首を捻ったが、すぐに今足元で倒れている男性だと気が付いた。写真とは随分印象が違うが、この特徴的なホクロや、目元以外の顔の造形はよく見ると全く同じなのだ。


 ――この子は、父親が殺されたのか……。


 不思議な心地だった。今まで殺した相手の家族のことなど気にかけたことはなかったのに、写真越しにでも顔を見てしまったせいだろうか、親近感にも似た何かが涼介の中に広がっていた。


 ――俺と違って、殺したのは他人……。


 自分で父親を殺したのであれば、その死は自分の責任だ。では、この少女はどうだろうか。


 写真の少女と、涼介がずっと弟のように可愛がってきた少年――今となっては青年だが――の姿が重なった。まだ涼介がこの仕事を始める前に出会ったその少年は、無愛想ながらも信頼を寄せてくれているのだということがよく分かる。彼が近くにいる時、涼介は自分が“理想の自分”でいられるような気がしていた。


 彼には自分が人を殺すところなど見せたくない。彼自身にも人を殺して欲しくない。それが父親を殺す前の自分を彼の中に探しているからだと、そう気が付いた時にはもう戻れなくなっていた。


 たった今父親を殺されたこの少女は、あの少年と、自分と、一体どちら側の人間になるのだろうか――知りたくなったはずなのに、次に涼介が取った行動はその気持ちとは裏腹に、少女の父親は殺されたのではなく不運な事故に遭ったのだと、真実を歪めるためのものだった。

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