48. 扉の先
レオニードがそこを拠点に選んだのは、周りを雑木林に囲まれていることにある。実験と称し自らの仲間に拷問まがいの痛みを与えていたため、彼らの悲鳴が外に響かないようにしたい、そんな思惑があった。
レオニードのためにそこを探した人物は、まさか自分の悲鳴が屋敷内に響き渡るとは思っていなかったことだろう。彼は銀に対する耐性を確認するため命を落とした。
それを間近で見ていたこの家の家主は、彼らに逆らうことを止めた。ある日突然自宅に押し入られたかと思えば、あっという間に占拠されてしまった。我が物顔で自宅を闊歩する彼らに最初こそ抵抗も通報もしようとしていたが、毎回自分が拷問現場を見物させられる理由に気が付いてからは何も言わなくなった。
何も言わない、何もしない――それこそが生き延びる道だと断じ三階にある自室に引き籠もっていた家主だったが、その日、ドアが開いた。食事の時間でもないのにどうして──そう疑問を持ったのは一瞬で、ドアを開けた人物に目を留めた彼はすぐに自身の命の終わりを覚悟した。
「移動だ」
相変わらず口元に薄ら笑いを浮かべた外国人の大男は、家主を地下へと連れて行った。地下には防音室――例の拷問部屋がある。
元々は自身の趣味の音楽のために誂えた部屋だったはずなのに、どうしてこうなったのか――どこか血生臭さを残しているように感じられるその部屋に押し入れられ、家主は自分の行動が何か間違ったのかと、助けを求めるために恐る恐る後ろを振り返った。
同時にバタンと音を立てて閉められた扉は、家主の期待するものではなかった。慌てて駆け寄って確かめてみるが、扉が開く気配はない。痛めつけられると思っていたはずが、ただ閉じ込められただけだった。肩透かしを食らうも、生殺しのようなその感覚にぞっとしたものを感じる。
暫く扉の前に立ち尽くしていた家主だったが、やがて部屋の隅にそっとしゃがみ込んだ。
§ § §
朔は涼介と雑木林の中を歩きながら、その場所をレオニードが手に入れた経緯を聞いた。父親であるヴォルコフの物を盗んだ手前、堂々と協力を求めることができなくなったレオニードは、自分の求める条件に合致したその屋敷をそこに住まう一般人から奪い取ったのだという。
「そいつはまだ生きてるのか?」
「そのはずだよ。下手に死なせて連絡が取れなくなると、通報されるかもしれないだろ?」
他人事のようにそう言う涼介を見ながら、朔は少しだけ戸惑っていた。自分の知る涼介がどんどん薄れていくような不思議な感覚――元からこんな性格だったと言われれば、そうだったかもしれないと思いそうな程微妙な違い。涼介はたとえ見ず知らずの人間でも、自分がしたことに巻き込まれた相手を放っておくような性格だっただろうか。はっきりとどういう人間だったと言えない自分にもどかしさを感じる。長年の付き合いのはずなのに、記憶の中の涼介は改めて考えるとどうにも掴みどころがなかった。
それでも、一つだけ確かな不安がある。
――本当にアイツを助ける気があるのか……?
どことなく感じる涼介の薄情さ。レオニードを騙しているということは、彼はそれができる程嘘を吐き慣れている可能性がある。そうなると蒼を助けたいという言葉も信じていいものか――信頼していたはずの涼介相手に朔がそう考えるようになったのは、ある事実を思い出したからだった。
――『日本人の男が“サク”と言っていた』……か。
朔がレオニードの側に涼介がいると気が付いたのは、ゲオルギーのその言葉があったからだ。この言葉は涼介が少なくとも、ゲオルギーの前で朔の名を口にしたことがあるということを示している。それなのに涼介は、レオニードに朔の存在を知られないようにしていると言う。
――知られないようにしている奴の仲間の前で、どうして俺の名前を出す必要がある?
涼介に直接聞ければ早いかもしれない。だが、もしこれが彼にとって後ろめたい気持ちを感じるものだった場合、状況が一気に悪化してしまう可能性もある。最悪、蒼を見殺しにしてこのまま姿を消してしまうかもしれない。そう思うと、中々聞くことができなかった。
そもそも自分の解釈が間違っているのかもしれない――レオニードが知らないのは朔の存在そのものではなく、朔が生き残りとしてこの街にいるということではないだろうか。そう考えると涼介の言葉に矛盾はなくなるが、レオニードが自分の存在を知っている事自体、朔には理解ができなかった。
「――あそこだよ」
朔の思考はその声で中断を余儀なくされた。涼介の指す先には大きな洋館がある。正面から見て真ん中あたりに玄関と思われる扉があり、窓から考えて三階建てだということが分かった。涼介の話からすると元の住民は一人暮らしだったようだが、それにしては大きすぎる建物に、物好きがいるものだ、と朔はぼんやりと思った。
「一応GPSで確認してもらいたいけど、電源入れた途端にここに来てるのバレたら困るしな……」
朔のスマートフォンの電源は未だ切られたままだった。何故電源を切らせたのか――その問いにやっと返された答えは、蒼の携帯電話から朔の位置情報を確認できる可能性があるから、だそうだ。
そう言われても、朔としては蒼が黙ってそんなことをするとは思えなかった。しかし、もし涼介の言うとおりだった場合はこちらの居場所が筒抜けになってしまう。それに朔が蒼の人間性をどう考えていようと、確実に有り得ないと断言できるだけの材料がなかった。そのため結局、大人しく従わざるを得なかったのだ。
「どこから入るんだ?」
「入り口は正面と、勝手口って言うのかな? 向かって左手のキッチンにある出入り口、それから裏庭に繋がる扉の三箇所。レオニードがいるとしたら三階の談話室、蒼ちゃんは一緒にいるか……それか二階の空き部屋かな。どっちも玄関ホールの階段から行かなきゃいけない」
「……なら正面か?」
「いや、キッチンからにしよう。とりあえず裏庭側の入り口は談話室から丸見えだから却下、玄関ホールも隠れる場所がないからいきなり行くのは避けたい」
そこまで言うと涼介は視線を洋館から朔に戻し、真剣な眼差しで彼を見つめた。
「中には多分、レオニードとルカがいる。レオニードはお前よりデカいし腕っぷしも強い。逆にルカはまだ子供で俺よりも小さいよ。ただ頭がちょっとイカれてるから何するか分からないけど」
「俺にレオニードのとこ行けって話だろ?」
「いや、そうじゃない。俺がレオニードの方――三階に行く」
涼介の言葉が理解できず、朔は顔を顰めた。朔は自分の方が涼介よりも喧嘩は強いと知っていたし、体格差で考えるならば彼はレオニードに対して圧倒的に不利だ。
涼介は一般的な日本人の体格だが小柄というわけではなく、振礼島にいた頃は力仕事をしていたのでそれなりに筋力もある。だが朔から見れば、やはり小さい。自分よりも体格が良いというレオニードが相手なら、当然自分が彼のいる可能性が高い場所に行くべきだと思ったのだ。
そんな朔の心中を悟ったのか、涼介が苦笑しながら言葉を続けた。
「意味分かんないって顔だな。朔はレオニードに会ったらとりあえず殴るとかになるだろうけど、俺はほら、交渉的なのできるからさ。やり合わずに済むならそっちの方がいいだろ? それに運が良ければお前のことも知られずに済むかもしれないし。だからルカに会ったら殺さない程度に動きを止めといてくれよ。むしろあまり派手にやられるとレオニードとの話し合いが上手くいかなくなる」
「……お前がさっき渡してきたこれは使うなってことか?」
そう言って朔は折りたたみ式のナイフを取り出した。雑木林に入る前に涼介から渡されたもので、刃の部分だけ銀製という、レオニードが作らせたものだと言う。
「使ってもいいけど、ルカだったら使う程でもないと思うぜ? それはあくまで不測の事態用だから。あとは話し合いがこじれると面倒だからさ、二階が済んでも俺が呼ぶまで三階には来ないでおいてくれよ?」
「他に質問は?」、続けられた言葉に特に返すものもなく、朔は涼介と共に洋館の方へと向かった。
§ § §
「どっちが来ると思う?」
レオニードの言葉に蒼が眉根を寄せる。それもそうだろう、蒼がレオニードと手を組んだのは、朔と彼の命を狙うかもしれない涼介が共に行動するという前提があったからだ。現に先程迎えが来ると蒼に伝えたレオニードは彼らが一緒にいると付け加えたし、このタイミングで二人が行動を別にする理由が蒼には思い浮かばない。
「……二人一緒じゃないんですか?」
「ないだろ。リョウスケはここに来たらなるべく一人で動きたいはずだ」
それはおかしい──蒼は眉間の皺を深くした。涼介が朔の命を狙うのであれば、一緒にいる必要があるはずだ。
「どうして……」
蒼が無意識のうちにそう零すと、レオニードはニヤリと口端を上げた。
「あいつは俺の持つ、もう一つの聖杯が欲しいんだよ」
§ § §
朔達はあっさりと洋館に入ることができた。事前に涼介が言っていたとおりキッチンに人気はなく、続く玄関ホールにも人がいる気配はない。本当にこんなところに蒼がいるのかと心配になった朔だったが、前を行く涼介の背中から緊張が伝わってくることから、この状況は意外とこの場所においてはいつもどおりなのかもしれないと気持ちを引き締めた。
「じゃあ、俺は三階に行くから、朔は二階に。向こう側の一番手前が空き部屋だよ」
「あぁ」
声を潜めてそれだけ言葉を交わすと、涼介は足早に三階にあるという談話室へと向かった。それを見送った朔も足音をなるべく立てないようにして二階へと急ぐ。
やって来た二階は、一階とは全く異なる雰囲気を漂わせていた。それが自分の心持ちによるものなのか、実際にそうなのかは朔には判断が付かない。とにかく、この先に行けば何かがあることは確かなのだ。それが蒼だけなのか、ルカや自分の復讐相手もいるのか、それは進まなければ分からない。
朔は大きく、しかし静かに息を吐くと、一番手前の扉に手をかけた。
§ § §
静かにその扉を開けると、涼介は部屋の中を見渡した。広い部屋には大きなベッドとソファがあったが、どちらにも人の姿はない。涼介は部屋の中に入りそれらの家具に触れてみたが、ひんやりと冷たく、つい先程離席したわけではないということを理解した。
――……地下室か?
涼介はその部屋の主が滅多に外に出ないことを知っていた。だからここにいないとなると、他に可能性があるのは地下室しかない。本来であれば彼はこの屋敷のどこでも自由に動けるはずだったが、今のこの状況でレオニードがそれを許すとは思えなかった。
「ったく、面倒だな」
どうして急に移動させたのか――涼介は舌打ちすると、二階の気配を窺いながら地下室へと急いだ。
§ § §
勢いよく扉を開けた先の光景に、朔は一瞬自分の目を疑った。
――空き部屋じゃないのか……?
涼介から空き部屋と聞いていた部屋にはソファが三脚置かれており、どちらかというと談話室や応接間のように思える。そうでなくともそれらの家具は普段から人に使われているような雰囲気を放っており、空き部屋だとはどうしても思えなかった。
更に朔を驚かせたのは、三脚のソファのうちの一脚が無人ではなかったことだ。背もたれからちらりと覗く見覚えのある頭。扉を開ける音に反応してか、恐る恐るといった様子でゆっくりとこちらを振り返る。
「……朔さん?」
そこには、今朝と全く同じ姿をした蒼がいた。




