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アザー・ハーフ  作者: 丹㑚仁戻
第十二章 本当の姿
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47. 新たな疑問

 ぽたぽたと零れ落ちた涙が、膝の上できつく握り締めた蒼の手を濡らした。


 ――泣くな、泣くな……。


 そう思えば思うほど、涙はその勢いを増しそうになる。それをどうにか押し止めながら、しかし完全に止めることはできず、蒼はただただ俯いてやり過ごそうとしていた。


 悔しかった。レオニードという人物の思い通りにしか動けない自分が。彼が善人であればもう少し違ったかもしれない。しかしこの短時間で蒼がレオニードに対して抱いた印象は、聞いていたよりももっとずっと悪かった。

 それは善悪観念が自分と異なっているという理由からではない。相手自身に選ばせるようで、最初から選べる答えは決まっている――そんなやり方をしてくるのもそうだったが、自分がそのとおりにしてしまったこともまた、レオニードへの印象を悪くしていた。


 ――八つ当たりではあるけど……。


 元はと言えば自分の不注意が招いたことだということは分かっていた。いくら相手がエレナであれ、涼介のことがあったのだから疑うべきだったのだ。


「それはどういう涙だ?」


 楽しそうな声に蒼の顔が曇る。下を向いていた顔を上げ声の主を睨みつければ、相手は嘲笑うかのように口笛を吹いた。


「『文句があります』って顔だな」

「……ないと思いますか?」

「いや?」


 クツクツという笑い声は、いつか聞いたものとは違って蒼の気持ちをささくれ立たせるものだった。自分が不満を見せればその分だけ相手は嘲笑(わら)う。完全に人を馬鹿にした態度に文句の一つでも言いたかったが、恐らくそれすらも彼を楽しませるだけなのだろう。


「ま、友好の証に一つくらい何かしてやってもいいけどな」

「友好関係ではありません」

「つれないねぇ」


 この簡単なやり取りでさえレオニードを楽しませるものにしかならないのかと気付き、蒼は睨みつけていた目線をそっと逸らした。

 彼からすれば、自分の思い通りに事が運んでいてさぞ気分が良いのだろう。蒼にしてみれば涼介の嘘や朔の素性など、本人に真偽の確認ができないところで立て続けに知らされて、当然ながら穏やかではいられない。

 状況から見て恐らくそれがレオニードの狙いなのだろうとは分かっていたが、それでも自分の感情を無視することはできなかった。


「本当に何もないのか?」

「何かしたいんですか」

「いや? 欲がないのもつまらないなと思ってな」

「……一つだけ、ありますよ」


 蒼がぽつりと漏らすと、レオニードは背もたれにどっかりと預けていた背を持ち上げ、「ほう?」と身を乗り出した。少しだけ近付いた蒼色の瞳に嫌なものを感じ、蒼は咄嗟に顔を背ける。頭の中に浮かんだ予感を無理矢理散らして、蒼は静かに要求を伝えた。


「エレナさんに、会わせてください」



 § § §


 通された部屋で蒼が一人待っていると、カチャリ、とドアを開ける控えめな音が響いた。


「エレナさん……」

「……蒼ちゃん」


 現れたエレナは部屋に入るとすぐにドアを閉めたが、蒼に近付く気配はない。そのままその場に立ち尽くして、じっと床を見つめている。普段は程良くふっくらとしているはずの唇は、真一文字にきゅっと固く結ばれていた。


 ──進んでやったわけじゃない……?


 自分に対し後ろめたさを感じているようなエレナの様子に、蒼の中に少しだけ安心感が広がった。これを演技でやっているのであれば別だが、エレナがそうする必要はないはずだ。


「エレナさんは、どうして……」

「ごめんなさい……」

「理由を教えてください。お姉さんをレオニードに殺されたんですよね? なのになんで彼に協力するんですか? もしかしてそれも嘘だったんですか?」

「嘘じゃない! 嘘じゃないのよ……」

「なら!」

「……大事な人が、いるの」


 嗚呼、と蒼は天を仰ぎたくなった。エレナのその一言は、今の蒼に彼女の事情を理解させるには十分すぎる。歯痒そうに歪められた顔を見れば、エレナが止むを得ずレオニードに従っていることは明らかだった。


「その人、捕まってるんですか?」

「えぇ、ここに……。でも、それよりも……レオニードに何か、されたみたいで……」


 絞り出すようにしてそこまで言うと、エレナは辛そうな表情のまま蒼の目を見据えた。


「アナタにしたことは謝る。でも、許して欲しいとは思わない」

「……その大事な人を、助けたかったんですよね?」

「そうよ。そのために、アナタをレオニードに売ったの」


 その言葉に、ここで目が覚めたばかりの蒼だったら怒りを覚えただろう。確かに今も文句を言いたい気持ちはある。だが、今の自分にはその資格はない――蒼は胸の中の不満を押し込めると、エレナに力なく苦笑した。


「私も、私を売りました」

「え?」

「あの人、嫌ですね。こっちに決めさせるくせに、その内容は向こうが決めてる」

「……どういうこと?」


 蒼は未だドアの前に立ったままのエレナを座るよう促すと、困ったような顔で話を続けた。


「私があの人と手を組まないと、朔さんが殺されるかもって言うんですよ。そんなことないって言えれば良かったんですが、何も言えなくて……」

「……そういう奴よ。私も、レオニードの手を取らなければ彼を失っていた」

「彼?」

「ルームメイト」


 それがエレナの言う大事な人物のことだと気付くと、蒼は彼女に説明を求めた。エレナは始めは戸惑う素振りを見せたが、やはり後ろめたさがあるのだろう、ゆっくりとレオニードに加担するに至った経緯を語り出した。


 一通り説明を終えると、エレナはふうっと大きく息を吐いた。その様子からは全て話しきったという雰囲気が滲み出ている。彼女の表情を見てもそれは間違いないのだろうと蒼には分かったが、どうしても一つだけ納得のいかない部分が残った。


 ──なんでエレナさんは、輪島さんの身に何が起こったか分からなかったの?


「レオニードは、その輪島さんって方を刺した後に傷を治したんじゃないですか?」

「多分そうだけど、そんなのどうやって……」

「エレナさんもできるんじゃないんですか?」

「え?」


 蒼はエレナに朔が何回か見せた治癒方法を話した。それを聞くエレナは最初こそ驚いた顔をしていたが、少しすると「確かに……それならできるのかも……」と何かに納得する素振りを見せ始める。

 その反応が蒼には意外だった。物質の通り抜けも怪我の治療も、生き残りならば当たり前のようにできると思っていたからだ。


 しかし、ふと気が付く。初めて朔と一緒にエレナに会った時、二人の認識に差があったはずだ。生き残り同士は通り抜けできない――エレナは知っていて、朔は知らなかった。


 ──どうして……?


 蒼は頭の中に浮かんだ疑問をそのままエレナにぶつけた。


「エレナさんって、どうして生き残り同士は通り抜けられないって知ってたんですか?」

「ミハイルに聞いたのよ。それで試してみたら本当にそうで」

「じゃあ、そもそも何かを通り抜けられるっていつ知ったんですか?」

「それは確か……そう、ちょっと狭くて手が届かない場所があって。届けって思っているうちに――今思えば、あの時無意識のうちに壁が邪魔みたいなことを思っていた気がするわ。今でも似たようなことを考えながら通り抜けるから」

「きっかけがあったことなら、できるって知ってるってことですね」


 生き残りと言えど、朔が言うには自分という存在が何なのかしっかりと把握できていないらしい。その身体で何ができるかというのは、きっかけがあって初めて知るということなのだろう。


 朔が生き残り同士は通り抜けできないと知らなかったのは、彼が他の生き残りの存在を知らなかったからかもしれない――蒼はこれまでの朔とのやり取りを思い返しながら納得した。

 だが、怪我の治療はどうだろうか。一般人相手にあんな方法で無闇矢鱈と傷を治すことなどしないはずだ。だったら何故、朔はそれを知っていたのだろうか。自分と会った時に初めてやったなら別だが、あの時の態度はできるかどうか分からないと思っている人間のものではなかった。

 そもそも朔は、一度でも他の生き残りには会ったことがないと言葉にしたことがあっただろうか。いつの間にか自分が勝手にそう思い込んでいただけで、本当は違うとしたら――蒼が忘れているだけかもしれないが、推測を続けるうちにどんどん悪い方へと考えていってしまう。


 ――これじゃダメだ。


 蒼は首を横に振ると、怪訝な表情のエレナに向き直った。

 と、その時――。


「迎えが来るようだぞ」


 ノックもなしに不躾に開かれた扉の向こうから、待ちわびていた、しかし聞きたくなかった言葉がかけられた。



 § § §


「――ってわけで、僕が見れたのはそこまでだよ。でも多分あの様子じゃ、寄り道なんてしないんじゃないかな。……分かった、じゃあ後で」


 ルカは耳元からスマートフォンを離すと、通話が終わっていることだけを軽く確認してポケットにしまい込んだ。

 空いているはずのもう片方の手には、聖杯が握られている。陽の光をキラキラと反射するそれはとても美しかったが、ルカはちらりと一瞥すると忌々しげに顔を歪めた。実物に触れたことがあるからこそ、これを持つだけで思い出すのだ。かつて自分に与えられ、今も尚悩まされている苦痛を。


 そして、確信する。これは本物なのだと。


「まさかこんなところに隠してたなんて」


 ルカはボロボロになった祠を見ながら感慨深そうに呟いた。確かにこの場所であれば自分たちは決して近付かないだろう。日本の宗教のことなど殆ど知らないが、鳥居と見れば近付くべきでないという認識のせいで探す場所から除外していたのだ。


 ――そもそも、鳥居が危ないって僕達に言ったのが彼だっけ。


 あの時から既に、こういった例外もあると知っていたのだろうか。彼の言葉の真偽は確かめてあったが、それに使ったのはまだ人が訪れる神社だった。

 レオニードが彼――涼介の嘘に気が付いた時からルカは聖杯を探していたが、その時には既に日本の神社仏閣であっても自分たちの身体は拒絶反応を示すことは確認済みだった。さすが最初から騙そうとしていたことはある――ルカは目を細め、その周到さに舌を巻いた。レオニードの推測が事実であれば、涼介は振礼島にいた頃から自分たちを利用するだけして、後の面倒を全て押し付ける気だったのだ。


「サクって奴も大変だな」


 レオニードから聞いた朔の素性はルカにとって到底歓迎できるものではなかったが、自分を困らせてくれた涼介との関係を思うと少しだけ同情の念を覚える。彼らがレオニードの元へ向かったということは、恐らくあの男は朔を利用するつもりなのだろう。


「一体どうやって誤魔化したんだろうね」


 涼介に悟られないよう距離を取っていたため、ルカは彼らの会話を聞いていない。しかし涼介がこの聖杯を取り出し、朔に見せたのは分かっている。

 生き残りであればこの形に見覚えがあるだろう。朔もこれがあの時の聖杯に()()()()()だと気が付いたはずだ。同一の物と考えていそうだが、もし彼が些細な違いに気が付いていたとすれば、誤魔化すのは一気に難しくなるはずだった。


 いずれにせよ自分には関係ない──ルカは肩を竦めて思考を中断した。朔がこの聖杯を何と認識していたとしても、結局事実は変わらないのだ。たとえそれで、彼が命を落とすことになっても。


「僕としてはサクには死んでもらってもいいんだけど、レオは必要としてるみたいだし……」


 そうなるとやはり、自分は朔を助けなければならないのだろうか――ルカは不服そうに顔を顰めたが、レオニードの話を思い出し大きな溜息と共にその感情を吐き出した。

 朔がいれば後々使えるのも事実なのだ。彼がいくら自分にとって邪魔でも、その対処をするのは全てが終わった後でも遅くはない。


「とりあえず、行ってから考えようかな」


 ルカは鳥居をくぐると、レオニードに合流すべく歩き出した。

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