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アザー・ハーフ  作者: 丹㑚仁戻
第九章 謀の上に思い出を
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37. 煙に紛れる

 コツ、コツ、とゆっくりとした足音が近付いてくる。蒼がその音の方に目を向けると、薄暗い工場内の影から見覚えのある人物が姿を現した。


「昨日ぶり、蒼ちゃん」

「……はい」


 いつもより少しだけ気まずそうな表情で笑う涼介は、蒼達の姿を認めるなり蒼にのみ挨拶を口にした。

 朔に対しては目を合わせるだけで、しかしその視線の意図が分かった朔は軽く頷いてみせる。


 ――蒼ちゃんに俺のこと話した?


 自身の問いかけに返ってきた朔の首肯に涼介は小さく息を吐くと、苦笑しながら蒼に向き直った。


「騙すようなことしちゃってごめんね」

「もう朔さんを裏切るようなことをしなければ、それでいいです」


 少し強めの語気で放たれた言葉に、涼介と朔が同時に目を丸くする。

 朔にとっては、蒼にしては珍しい声色で自分を擁護するようなことを言ったことが意外だったのだ。


 ――案外リョウに対して怒ってるのか?


 前夜の様子では怒りという感情は感じられなかったが、一晩経って受け取り方が変わったのだろうかと首を捻る。


 一方で涼介は、朔が自分とレオニードの関係だけでなく、以前彼を出し抜こうとしたことまで話しているという事実に驚きを隠せなかった。

 昨日の時点では、朔は涼介が蒼を逃がそうとしていることに納得していたのだ。だから彼女が自分に対する不信感を強めるようなことは言わないだろう――そう思っていたのにそれを告げたということは、朔の性格から考えて蒼自身に判断を委ねたということだ。


 誘導するのではなく、あくまで自分の意思で――それが意味するところに気付き、涼介は上がりそうになる口角にぐっと力を入れた。


「そこまで話したんだ?」


 まさか話すとは思わなかった――言外にそう含めて朔の方を一瞥し、涼介は煙草に火を付けた。少し吸い込んで煙草の先端がジリジリと赤く光を発すると、辺りに甘いバニラの香りが漂う。

 蒼達から顔を背けるようにして吐き出された煙は、薄暗い工場内では白さが際立っていた。


 紫煙が周りの空気に溶け込んでいくと、同時に甘い香りも少しだけ弱くなっていく。朔は自分の煙草に口を付けたが、それでも鼻腔を掠めるバニラの香りに、ふとある考えが頭を過ぎり顔を顰めた。


 そんな朔の様子に、蒼に話しかけようと彼女の方を向いている涼介は気付かない。蒼もまた、自身の目的のため涼介に身体を向けていた。


「それで、聞きたいことって?」

「実は――」

「待て」


 気を取り直すように尋ねた涼介に蒼が答えようとした時、朔がそれを遮った。

 蒼は突然の出来事にぽかんとした表情を浮かべながら朔を見上げたが、その瞳が涼介を睨みつけていることに気付き口を噤んだ。


「リョウ、何を企んでる?」


 その質問に、蒼は「え?」と声を漏らしながら涼介に視線を移した。しかし不思議そうな表情で朔を見返すだけの彼からは、何かしら後ろめたいことがあるような雰囲気は感じ取れなかった。


「隠す気なかっただろ。俺に、お前が生きてるって」

「……ん?」

「俺とコイツの関係知ってるなら、俺にお前の存在を意識させるようなものは残さないはずだ」

「朔さん、何言って……?」


 ここに来るまでに蒼が朔から聞いた話では、涼介が彼の前に姿を現さなかったのは、レオニードにその存在を知られないためだったらしい。涼介が朔を大事に思っているのであれば当然のことだろうと蒼はすんなり納得したのだが、今の朔の発言はそれを覆すものだ。


 涼介が朔に対して、自分が生きていると隠す気がなかった――そのこと自体が蒼には理解できなかった。

 だがそれ以前に、朔がそう考えるに至った“朔に涼介の存在を意識させるもの”というのも何のことか分からない。だから蒼には、ただ朔の言葉の続きを待つことしかできなかった。


「煙草だよ。こんな特徴的な匂い、島でもお前くらいしか吸ってなかった」


 朔はそう言うと更に眉間の皺を深め、「本気で隠そうと思ってたならコイツの前で吸わねぇだろ」と蒼の方をちらりと一瞥した。


 ――言われてみれば……。


 蒼は涼介と一緒に居た日、彼の煙草の匂いが服に移っていたことを思い出した。そのせいであの日は朔の様子もおかしかったのだ。

 そこまで思い出すと、蒼は疑いの眼差しで涼介を見た。しかし直後、その表情に肩透かしを食らった。


「もしかして、匂い移ってた?」


 そう言って申し訳無さそうな視線を蒼に向けた涼介は、自分の服の匂いを嗅ぎながら首を傾げた。

 疑いの目を向けられたにも拘らず、あまりにも()()()その様子に蒼は毒気を抜かれてしまう。


「煙草の匂いはするけど……ずっとこれ吸ってるから鼻おかしいのかな。……え、何? そんな派手に蒼ちゃんの服に匂いついてたの?」

「喫煙者の方って煙草の匂いに鈍くなりますけど、結構がっつり……」

「うわ、蒼ちゃん煙草吸わないのにごめんね。朔も変な心配させたみたいで」


 へらっと笑いながらも、気まずさと申し訳なさの入り混じった雰囲気を醸し出す涼介からは、蒼には不自然な点は感じられなかった。

 朔の考えすぎだろうと思い視線を移したが、その表情は依然として固い。


 ――わざとじゃないのか……?


 嘘など微塵も感じさせない涼介の姿に、朔は自分の気の所為だろうかと少しだけ肩の力を抜いた。

 しかし蒼の服についていた匂いの強さを考えると、彼女の前でそれなりの本数の煙草を吸っていたことになる。それは朔の中にある涼介の記憶と合わなかった。


 一度煙草吸い始めたら立て続けに吸い続けるチェーンスモーカーである朔とは違い、涼介は一日に数本しか吸わない。

 そんな人間が、短時間に一日分以上の本数を吸うだろうか――そう思ったが、もし涼介が何かを隠すつもりでこの態度を取っていたのだとしても、自分にはそれを暴けるものがないと気付き、朔は眉間に力を込めた。


「朔さん?」


 まだ疑っているのだろうか――蒼は心配そうに朔を見上げる。その視線に気付き、朔はだいぶ短くなった煙草の最後の一口を大きく吸い込むと、自分の中の何かを押し出すようにして煙を吐き出した。


「……気を付けろよ、レオニードにも怪しまれるぞ」


 明らかに納得はしていない――そんな態度で煙草を灰皿に押し付ける朔を見ながら、涼介は困ったように肩を竦めた。


「やっぱそう思う? 実は既に睨まれてるかもしれない」

「は?」


 朔の眉根が再び寄せられた。


 ――眉間痛くなっちゃいそう……。


 蒼はそんなことを考えながら、しかし自身も若干戸惑いながら涼介の方に向き直った。


「いやさ、レオニードの仲間にルカって奴がいるんだけど、なんか最近前より睨まれること増えた気がするんだよな」

「文字通り睨まれてるってことですか……?」

「まあそうなんだけど、あの子結構勘がいいから睨むからには理由があるんじゃないかなって」


 前より睨まれる――それは以前から睨まれることがあったということだ。

 人が人を睨むのは、一般的に相手に対して不快な感情を抱いている場合だろう。蒼には涼介が他人の不興を買うのが意外で、やはり彼はおっちょこちょいで何かしでかしたのではないか、と不安がこみ上げた。


「その理由ってのが、お前のことを疑ってるからってことか?」

「そうそう。レオニードが疑ってるのか、ルカが勝手に疑ってるのかまでは分からねぇけど。とりあえず今日はもし付けられててもいいように、結構撒くつもりで移動してきたから大丈夫なはず」

「それ、大丈夫って言うんですか……?」


 蒼が不安げにそう尋ねれば、涼介は「微妙!」とニカッと笑った。


「けどレオニードの言うことは絶対聞く奴だから、いきなり刺しに来るってことは多分ない」


 ――大丈夫なのかな……。


 朔は否定したが、蒼にはどうしても涼介がどこか抜けているような気がしてならない。そんな気持ちを込めて隣を見上げれば、朔は相変わらず顔を顰めて涼介を見ていた。


 ──何かが、変だ。


 朔は自身の中から消えない違和感の正体が分からず、その不快感に表情を曇らせた。

 彼にとって、涼介が多少楽観的な発言をするのはそこまで珍しいものではない。だからこれまでの涼介の発言に特におかしな点はなかったのだが、それでも拭えない違和感が朔の中に纏わりついていた。

 先程の煙草の件をまだ引き摺っているのか、それともその後の発言か──何に違和感を感じたのかも分からず、自分が本当は涼介のことを昨日からずっと疑ったままだったのではないかとすら思い始めていた。


「――で、本題に入って大丈夫そう?」


 押し黙ったままの朔に涼介が尋ねる。蒼も途中で割って入られたことを思い出し、未だ浮かない表情の朔の反応を窺うようにしながら「いいですよね?」と声をかけた。


「……あぁ」


 朔が渋々といった様子で返事をする。

 それを一旦は許可が出たのだと解釈し、蒼は涼介に向き直った。


「振礼島に外部の人が来ること、たまにあるって聞いたんですけど」

「うん、あるね」

「島に関わった人間が殺される可能性はありますか?」


 蒼の言葉に涼介の動きが止まる。そのまま少し考えるように黙り込むと、慎重な様子で口を開いた。


「朔は、なんて?」

「有り得ない話じゃないだろうって」

「……もうそう聞いてるなら言うけど、俺も同じ意見だよ」


 言葉に詰まったのはその内容のせいか――蒼はそう納得しながら質問を続ける。


「確かな話ではないんですか?」

「実際にそういう話を聞いたってわけじゃないからね。『有り得ない話じゃない』とは言えるけど、絶対そうだとは言えない」

「そうですか……」


 朔と変わらない答えに蒼は肩を落とした。朔だけでなく涼介までも同じ意見をすんなり出してくるあたり、その信憑性は増しているように思える。

 だが、確かな話でない限り否定する余地は残しておかねばならない。


「じゃあ、涼介さんは外部の人に会ったことあります? あ、島でそのまま働いてる人は別で」


 朔よりも人脈が広そうという理由で涼介に会うことを決めたのだ。蒼は期待を込めて涼介に尋ねたが、返ってきたのはその期待を裏切る言葉だった。


「うーん、どうだろう……今思い出せる限りじゃ、ないと思うけど」


 なら写真出しても無駄か――蒼はポケットに入れかけていた手をそっと元の位置に戻した。気まずい状況を押して来たというのに、全く収穫がなかったことに眉根を寄せる。

 涼介はそんな蒼の様子を見ながら、「なんか力になれなかったみたいでごめんね」と申し訳無さそうにしていた。


「前から思ってたんだけどよ――」


 蒼達の会話が終わったと判断したのだろう、それまで黙って聞いていた朔が口を開いた。その目は涼介に向けられていたが、先程までの鋭い視線ではない。

 そのことに蒼はほっとしながら、朔の言葉の続きを待った。


「――お前、なんで島を出たがってたんだ?」


 そうだったのか、と意外な事実に蒼は軽く目を見開いた。

 若者が閉鎖的な田舎から出たがるという話はよく聞くが、蒼は今まで朔から振礼島の話を聞く時、彼が島から出たがっていたと感じさせるような発言を聞いたことがなかった。だから自然と涼介に対しても、そういうことは考えていなかっただろうと思い込んでいたのだ。


「……前に話したろ? あの島は閉鎖的すぎる。でも島の外には自由がある」

「その自由ってなんなんだよ。今お前は自由じゃないだろ?」


 朔の言葉は、今の涼介がレオニードに無理やり従わされていることを指しているのだろう。蒼は確かにそれは自由とは言えないと思いつつ涼介を見やると、彼は苦笑しながら「自由だよ」と答えた。


「だって、俺自身の意思で選ぶことができる」

「何を?」

「色んなこと」

「レオニードの側にいるのに?」


 朔は鼻で笑いながらそう言った。


 ――そんないいものじゃないだろ。


 涼介の置かれている状況に少しだけ顔を顰める。


「それもある意味では俺が自分で選んだことだ。確かに弱味は握られてるけど、その弱味を捨てて逃げることだってできたしな」

「……意味分かんねぇ」

「分かんなくていい。自由が何かだなんて人それぞれだろ? 俺は現状にそれなりに満足してるよ。あとはいい感じにレオニードからその弱味を取り返すだけ」

「なんなんだよ、その弱味って」


 少し苛立った様子で朔が涼介を睨みつける。

 蒼にはそれが怒っているというよりは、子供が不貞腐れながら駄々をこねているように見えて、どこかおかしさすら感じられた。あまりにも自然なその空気に、これが本来のこの二人の関係なのだろうと少しだけ羨ましさを感じる。


「内緒」


 顰めっ面を浮かべる朔に、涼介が悪戯っぽく笑った。

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