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アザー・ハーフ  作者: 丹㑚仁戻
第八章 誘い
33/68

33. 呼んだのは

 休日の観光地というのは人が多い。そのため数回しか会ったことのない人物を人混みの中から探し出せるか少し不安を感じていた蒼だったが、意外にも苦労することなく目的の人物を見つけることができた。


「もう来てたんですね!」


 待ち合わせ場所に先に来ていた涼介と目が合うと、蒼は少し小走りになって彼の元へと近付いていった。


「あれ? 電車あっちからじゃないんだ」


 そう言って涼介は地下へと続くエスカレーターを一瞥した。押上駅から来る場合はこのエスカレーターからが一番便利で、特に理由がなければそこから来るものだと思っていたのだろう。


「ちょっと用事があったんです」

「もしかして忙しかった?」

「そんなことないですよ。大した用事でもなかったですし」


 涼介に答えながら、蒼はこっそりと周りの様子を窺った。朔がいるはずはないが、もし聞かれていたら文句を言われるかもしれない。有り得ないとは分かっていても、後ろめたさから確認せずにはいられなかった。

 しかし確認したところで、当然ながら朔の姿は見当たらなかった。蒼は何を考えているんだと自分に呆れながら、「それにしても凄い人の量ですね」と気を取り直すように涼介に話しかけた。


「ここってできてから何年か経ってるんでしょ? なのにこんなに人が多くてびっくりした」

「もしかして涼介さん、来るの初めてですか?」

「バレた? スカイツリーどころかこの辺も初めて来た」

「まあ、用事がなきゃここらへんって中々来ないですよね。私もずっと東京に住んでますが、仕事以外でこの辺り来たのって友人が近くに住んでた時くらいです」

「長く住んでる人でもそうなんだ。俺なんかまだ東京来て二ヶ月くらいだからさ、未だに結構行けてない有名なところが多くて」


 その答えに蒼は少しだけ驚いた表情で涼介の顔を見上げた。

 彼の出身は分からないが、“東京に来る”という言い方をするからには隣接する県から来たわけではないだろう。訛りのない標準語を話すためてっきり東京育ちかと思っていた蒼にとって、涼介が東京に来て二ヶ月しか経っていないというのはかなり意外だった。


「そうだったんですね。東京にはお仕事か何かで?」

「そんな感じかな」


 どこかはぐらかすように答えると、涼介は「展望台とか行ってみる?」と笑いかけた。


 ――やっぱりそう来たか……。


 展望台という言葉に眉を寄せながら、後ろ髪を引かれる思いで蒼は誤魔化すための言葉を探す。


「あー……展望台はちょっと……」

「高所恐怖症とか?」

「ええ、まあ……」


 ――嘘吐いてごめんなさい。


 蒼は気まずそうにそっと目を逸らした。


「ま、今日曇ってるしね。じゃあ買い物にする? あ、水族館もあるんだっけ?」

「水族館……!」


 展望台の次に行ってみたいと思っていた場所を提案され、蒼の目は輝いた。顔を綻ばせ、水族館であれば展望台よりも遥かに対処しやすいだろうと自分に言い聞かせる。

 その様子に涼介は微笑を浮かべながら、「じゃあ、そうしよっか」と蒼の手を引いた。



 § § §


「そういえば、その後どう?」


 蒼が食後のデザートに手を付け始めたのを見て、涼介がそう問いかけた。一通り展示を見て回った二人は、水族館内にあるカフェで軽食を取っている最中だ。

 蒼はごくんと口の中のものを飲み込むと、「どう、とは?」と首を傾げた。


「ほら、例の蒼ちゃんのこと中々認めてくれない人」

「ああ……あれ、私の勘違いだったみたいです」


 涼介の突然の質問に驚きながらも、そういえば相談していたと思い出し苦笑しながらそう答えた。


「自分に余裕がないからって、色々その人のせいにしちゃってたみたいで」

「……それが勘違いってことはない? 大丈夫?」


 言葉だけ聞くと涼介の物言いは少々失礼にも感じられるが、それが蒼のことを心配しての発言だということは彼のハの字に歪められた眉が物語っている。


 ――本当、優しい人だな……。


 こんな性格では損をすることが多そうだと苦笑いして、蒼は一口、アイスコーヒーを飲み込んだ。


「大丈夫ですよ、もし仮に朔さん――その人が本当に私に知られたくないこととか、後ろめたいことがあったとしても、それで信用できなくなるってことはもうないと思います」


 蒼が言い終わると、涼介は神妙な面持ちで押し黙った。いつも笑顔の彼にしては珍しい表情に蒼は少し不安を感じたが、それまでの会話から自分のことを心配してくれていると分かっている。だからきっと言葉を選んでいるのだろうと考えて、何も言わずに続く言葉を待った。


 そして少しすると、涼介は真剣な表情で「極論だけどさ――」と蒼を見つめた。


「――その人が人殺しでも?」


 何故それを――蒼は一瞬息を飲んだが、すぐにたとえ話だろうと思い直し肩の力を抜いた。

 しかし涼介にとってはたとえ話でも、蒼にとっては現実に起こったことだ。なるべく重苦しい空気にならないように注意しながら、涼介の質問に答えるべく口を開いた。


「……関係ありません。確かに罪は罪ですけどね、もしあの人が過去にそういうことをしていたんだとしても、きっと何か事情があったんだろうって思うんです。そう思えるくらい、実際に彼には助けられてますし」


 前日の出来事を思い出しながら、蒼は心からその言葉を発した。

 朔が以前にも人を死に至らしめるようなことをしていたのかは分からないままだ。しかし昨日の朔は、明らかに蒼のためにそれを行っていた。そのことを思うと、朔が何の理由もなくそういった罪を犯すとは考えられなかったのだ。


 穏やかに微笑む蒼を見ながら、涼介はそっと胸を撫で下ろした。妙に説得力のある彼女の言葉と雰囲気は、恐らく前日の朔の凶行を目の当たりにしているのだろうと涼介に確信を持たせた。

 それが意味するのは、あの不自然な殺し方に蒼が関わっているということだ。


 ――朔はもしかして、蒼ちゃんのためにやったのかな……?


 そう思うと、無意識のうちにぽつりと言葉が零れた。


「……よかった」

「え?」

「いや、こっちの話」


 予想以上に朔と蒼が親密であることを察し、涼介はそっと口端を上げた。



 § § §


 水族館を出ると、蒼と涼介は暫く商業施設の中を散策した。蒼にとっては久しぶりに訪れる“普通”の時間で、気付けばあっという間に外が暗くなっていた。


 定期的に状況を報告するため朔へと送っていたメールは、最初こそ既読が付くのみで返事がなかったものの、途中から「おそい」と返ってくるようになっていた。

 蒼にとっては楽しい時間だが、彼女を待っているだけの朔からしたら退屈でしかないのだろう。漫画を楽しめていればいいが、そうでなければ本当に手持ち無沙汰だ。


 流石に申し訳なさを感じ始めた蒼が、この後どうするかという涼介の問いかけに「実はまだちょっと用事が……」と答え、二人は外に出た。

 昼間よりも湿気を含んだ空気に「雨降りそうだから早く帰って正解だね」と涼介が笑う。


「今日はありがとうございました。凄く楽しかったです」

「本当? ならよかった。なんだか忙しいのに無理させちゃったみたいでごめんね」

「そんなことないです。むしろここに来るための用事みたいなものなので」


 蒼の言葉に涼介は不思議そうに首を捻っていたが、すぐに思い出したかのように口を開いた。


「蒼ちゃん、一つ伝言頼まれてくれる? 例の彼に」

「伝言ですか?」

「そう。『煙草受け取ったよ』って」

「煙草……?」

「喫煙者同士の隠語みたいな? 『会いたいな』って意味かな」


 勿論そんなものはない。しかし、煙草を受け取った――これだけで朔に言いたいことは伝わるだろう。涼介は蒼の口からこの言葉を聞いたら朔はどんな顔をするだろうかと想像しながら、目の前で首を傾げている蒼に微笑んだ。


「そんな隠語があるんですか? 朔さん知ってるかな……というか会いたいんですか?」

「だって蒼ちゃんが信用してる人でしょ? そりゃ会ってみたいよ」


 ――本当は違う理由だけど。


 涼介がその笑みを深くするも、蒼はそれに気付かない様子で「伝えるだけ伝えてみますね」と頷いた。



 § § §


 涼介と別れた蒼は朔と合流するため、彼の待つ喫茶店へとやって来ていた。店に入ってすぐ最後に見た時と変わらない席に見慣れた姿を見つけたものの、相手が不機嫌そうな雰囲気を漂わせていることに気付いて思わず脚を止めた。

 そんなに待たせてしまったのだろうか――原因は自分にあるのだろうが、最初からこのくらい待つのは朔も想定内だったはずだ。定期的な連絡も怠っていないし、涼介と別れた後には喫茶店への明確な到着時間も伝えている。


 ――他に理由が……?


 そう思って朔の様子を観察すれば、何となくだが不機嫌の理由を察することができた。

 テーブルの上にある吸い殻でいっぱいの灰皿は、彼が手持ち無沙汰だったことを表わしているのだろう。その原因は恐らく、その隣に置かれた新聞だ。


 ――これは読んでないな。


 新聞を持つだけ持って、全く読み進められない朔の姿がありありと浮かぶ。何せ文庫本も嫌がるのだ、似たような書体や文章量を持つ新聞を急に読めるようになるはずがない。

 文字を読むことを嫌う朔が漫画ではなく新聞を選んだことは意外だったが、それは漫画が気に入らなかったか、単に全部読んでしまったのかのどちらかだろう。いつからこの状態だったのだろうと思いながら、蒼はやっと朔に声をかけた。


「お待たせしました」

(おせ)ぇよ」

「デートですからね! そんなすぐ終わるわけないでしょう」


 蒼は朔の向かいに座ると、「ちょっとコーヒー飲みたいです」と店員を呼び注文を行った。

 同時に朔の様子を確認したところ、既に機嫌は治っているのが分かった。そのことにやはり不機嫌の原因は、自分のせいというよりは暇を持て余したからだと確信を持てた蒼はそっと胸を撫で下ろす。すると心配事がなくなったからか、急に先程までの楽しい気持ちを思い出して蒼の顔には自然と笑みが浮かんだ。


 そんな彼女を、不思議なものを見るような目で朔は見ていた。彼からしてみれば蒼が突然笑顔になったのだから当然だろう。


「なんか楽しそうだな」

「あ、分かります? 水族館なんて社会人になってから初めてですよ。ああいう都会の水族館もお洒落でいいですよね。普通はもっとこうガチャガチャしているというか、まあ多少は騒がしいですけど、全体的にちょっと雰囲気が違うというか。それにチンアナゴ可愛いし、あのコーナーだけで三十分近く居座った気がします」

「水族館ってただのデカい水槽だろ? 魚なんて見て何が楽しいんだよ」

「夢がないですねぇ」


 そう言って蒼は口を尖らせるが、やはり機嫌がいいのかすぐに口端が緩んでいく。

 その様子に朔は相変わらず何が楽しいのか理解はできなかったが、彼女の気分転換にはなったのだろうと思い、やれやれと言った様子で小さく息を吐いた。


「あ、そういえば一緒に行った人から朔さんに伝言預かってるんです」

「は? 俺?」

「ちょっと色々相談してたんですよね、勿論だいぶぼかしてですが。えっとなんだったかな……そうそう、『煙草受け取ったよ』って言ってました」


 思いがけない言葉に「は……?」と声を漏らしながら、朔は頭からサッと血の気が引いていくのを感じていた。

 煙草を受け取った――振礼島にいた頃ならともかく、東京に来てからは誰かに煙草を渡したことなど一度もない。前日の、自分が殺した男の元に残した()()()()()を除いては。


 ――コイツの男も何も知らずにただ伝言を託されただけ……? それとも俺は丸一日、レオニードの仲間とコイツを二人きりにしてたってことか……?


 幸い目の前の蒼は無事なようだが、考えもしなかった状況に朔の頭はクラクラとしていた。そんな彼の様子に気付くこともなく、蒼は上機嫌のまま自分が預かってきた伝言の続きを朔に伝える。


「なんか喫煙者同士の隠語でそういうのあるんですってね? でも朔さん知らなさそうですよね、『会いたい』って意味らしいですよ。……あれ? そういえば私、朔さんが喫煙者だなんて言ったかな?」

「……ちょっと待て」

「あ、やっぱ知らない人と会うの嫌で――」

「そうじゃねぇ!」


 朔の大声が喫茶店の店内に響き渡る。ちらほらと居た他の客が一斉に朔達を見た。

 しかしすぐに自分たちに危険はないと判断したのか、ある者は迷惑そうに、またある者は同席している相手とヒソヒソと何かを言いながら、次第にその視線を朔達から外していった。


 蒼はと言えば、初めて聞くような朔の大声に口をぽかんと開けたまま固まっている。朔が大きな声を出すこと自体が珍しいのに、その声には明らかな怒気が、焦りが含まれていた。


「お前、今日会った奴とは俺と知り合う前からの付き合いじゃないのか!?」

「いや……まだ一週間くらい――」

「馬鹿か!? 一週間っつったらミハイルが死んだ後だろ!? レオニードの仲間の可能性があるのも分からねぇのか!?」

「あ……」


 蒼はやっと朔の怒りの正体に気付き、顔をこわばらせた。

 彼の言う通り自分がレオニードに目をつけられているのであれば、その後に出会った人物は自分に害意を持って近付いて来ていたのだとしてもおかしくないのだ。


 だから朔の言い分は理解できた。それでも、蒼は涼介がレオニードの仲間である可能性を認めたくなかった。

 何故ならそれを認めてしまえば、彼の持つ安心感や先程一緒にいて感じた楽しさが、全て嘘なのかもしれないと考えなくてはならないからだ。


 蒼は真っ白な頭で必死に反論すべく考えを巡らした。

 涼介がレオニードの仲間ではないという根拠を。彼が自分に対して打算を持って近付いたのではないという証拠を。


 そして、気付いた。涼介がレオニードの仲間だと言うのであれば不自然な点に。


「でも彼は日本人ですよ!」


 蒼の言葉を聞いた途端、朔は水を打ったかのようにその勢いを失った。

 特に不思議なことはない。日本で暮らしてきた蒼と深い関係になるのであれば、日本人であるのは当然のこと。


 だがそれで何も問題がないと言えるのは、相手がレオニードとは全く無関係だった場合だけだ。蒼の言う通り、ロシア人であるレオニードの仲間であれば同じくロシア人の方が自然だろう。

 だから蒼の相手がレオニードの仲間かもしれないと思った時、朔は無意識のうちにその相手が日本人ではなくロシア人であると想像していた。それで何も疑問に思わなかったのは、朔が育った振礼島という環境ではよくあることだったからだろう。


 しかしレオニードの仲間で、日本人。

 今の朔にとっては嫌な考えしか浮かばない。朔はテーブルの上に乗り出していた身体を力なく座席に戻し、辛そうに眉根を寄せながら口を開いた。


「……日本人って、どういう奴だ?」


 ゆっくりと絞り出された声には力がなかった。蒼は不審に思いながらもその問いに答える。


「えっと……茶髪で、よく笑う方……? あ、煙草も吸います。ほら、こないだ朔さんが気にしてた匂い、あの煙草を吸うんです」

「……名前は?」


 どこか諦めたような声色で朔が問いかける。

 そして蒼が「涼介――」と言いかけるのを聞くと同時に、朔は勢いよく立ち上がった。


「どうしたんですか!?」

「お前はここにいろ、絶対動くな」

「一体――」


 蒼の返事もろくに聞かないまま、朔は喫茶店を飛び出した。大きな目印を頼りに、半日前に通った道を反対方向に走り抜ける。


 ――リョウなら絶対まだ待ってるはず……!


 浅くなる呼吸に反して、唇を噛み締めた理由は朔には分からなかった。生きているのに自分に何も言ってこなかった理由も、ミハイルの死後に蒼に近付いた理由も、今こうして自分に自身の存在を知らせた理由すらも、何もかも分からない。


 冷静な時の朔であれば、これが罠である可能性にも考え至っただろう。蒼を狙っているのであれば、朔を彼女から引き離すのにこれほど都合のいい餌はない。

 しかし今の彼には、そんなことを考える余裕すらなかった。


 ――リョウがまだ生きてる。


 昨日感じた可能性が確信へと変わり、それが何を意味するのか考える間もなく身体が動き出していたのだ。


 ぽつぽつと、雨が降り始めていた。


 だがそれに気付くこともなく、朔は目的の場所へと辿り着いていた。そしてその視線の先に予想通りの人物の姿を捉えると、彼の脚は地面に縫い付けられたかのようにその場でピタリと止まる。


「――久しぶり、朔」


 もう二度と会うはずのないと思っていた相手が、困ったように笑っていた。

第八章『誘い』完

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