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アザー・ハーフ  作者: 丹㑚仁戻
第七章 境界の罅
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29. 邂逅

「……どこ行ったんだよ」


 忌々しげにそう呟きながら、朔はリビングのソファにドカッと腰を下ろした。そのまま力なくずるずるとずり下りると、寝間着にしているスウェットが少しだけ上に引き上げられる感覚がする。着慣れない生地の慣れない不快感に身を(よじ)って、朔は大きな溜息を吐いた。


 朔がこの三人掛けのソファに座ることは少なかった。ここでの喫煙は許可されていないし、ここに座ったところでやることと言えば目の前のテレビを観ることくらいしかない。ヘビースモーカーというわけではないが、興味のないテレビ番組をぼんやりと眺める気にもなれず、いつも朔はダイニングの定位置にいた。

 蒼が時折このソファに座ってテレビを見ているのも朔にそうさせているのかもしれない。三人掛けとは言え、わざわざ隣に座るような間柄でもないと思っていたのだ。


 それなのに朔がこの時ばかりはソファに座ったのは、それだけこの状況に呆れ果てていたからだろう。脱力しきった身体を預けるのならば、ダイニングチェアよりもクッションの効いているソファの方に惹かれて当然。蒼が出かけていることも後押しし、朔は吸い込まれるようにしてそこに腰を落ち着けていた。


 ――レオニードに知られてるって言ったよな……?


 前日の蒼との会話を思い返し、会社に行くのであれば自分が見張っておくというような内容も言ったはずだと一人頷いた。あそこまで言えばいくら蒼でも身の安全第一で動くかと思っていたが、そうではなかったらしい。


 しかもダイニングテーブルの脇には蒼が仕事に持っていくバッグが残されており、彼女が会社に向かったのではないということが見て取れた。危険だと言ったのに会社でもない場所に出歩くその軽率さに呆れ返りながら、朔は思い切り背もたれにもたれかかって意味もなく天井を見上げた。


 ――電話してもどうせ出ねぇだろうし……。今更あのおっさん(イヴァン)のとこ行くとは思えねぇし……。


 油断していなかったと言えば嘘になる。前夜に自分に見せた蒼の態度に、やっと彼女も人並みに警戒心を持ったと安心してしまったのは事実だった。

 しかしまさか昨日の今日でそれを裏切られるとは思っていなかった。そうでなければ彼女が起きる気配に気付かない程眠りこけるはずがない。


「くっそ……」


 探しに行くにしても宛がなかった。夜は夜で、昨日イヴァンから聞いた“彼ら(生き残り)が現れそうな場所”――東京湾沿いの倉庫街で、生き残りが現れるのを待ち伏せるつもりだった。


 ――……先にまた来そうかだけ見とくか。


 朔がイヴァンから聞いた話では、今夜取引が行われるのは以前被害のあった場所だ。普通は何度も同じ場所には来ないだろうが、相手がレオニードであれば話は別。彼なら面白がって普通はしないことをしそうだということで、二人の意見は一致していた。


 だから見張っていればレオニードの仲間が現れる可能性が高いと踏んだのだが、本当に来そうかどうか先に確認しておいても損はないだろう、と朔は言い訳するように自分に言い聞かせる。

 もし絶対に来ないと言い切れる何かがあれば、自分は蒼を探すことに専念できる。彼女の居場所が分からなくても、最悪この家で待っているだけでもいいはずだ。


 正直、朔はレオニードのことを多くは知らない。だから彼が何に興味があって、何に興味がないかというのは完全に噂で聞いた情報だった。先に確認しに行ったところで、彼らが夜やってくるかどうか判断できる可能性は低いだろう。


 それでも朔が腰を上げたのは、直感としか言いようがなかった。今確認しに行くべきだ――そんな使命感にも似た何かが、彼を突き動かしていた。



 § § §


 ゲオルギー・ベレゾフスキーはキャップを目深にかぶり直した。東京湾近くにあるこの倉庫街は物に溢れた東京にあっても、非常に見通しがいい。広大な敷地に倉庫業務に必要なものしか存在していないのだから当然だ。


 しかしゲオルギーにとっては些か都合が悪かった。体格こそ日本人にいてもおかしくない程度だが、その顔立ちを見れば一見して外国人だと分かってしまう。

 ここで倉庫業務に従事する外国人は多いが、彼らが話すのは片言の日本語と英語だ。単語レベルでしか日本語を話せず、英語に至っては全く理解できないゲオルギーでは話しかけられたらすぐに部外者だとバレてしまう恐れがある。


 何故自分がこんなことを――ゲオルギーは苛立ちを隠しもせず舌打ちをした。


 本来、今やっている事は彼の仕事ではない。前任者が逃げ出してしまったため、やむなくゲオルギーがやっているだけだ。


 レオニードの享楽のために行われる盗みは、今回ゲオルギーが担当することになっている。しかし前任者であるミハイルの死に様を間近で見た彼は、とてもではないが進んでやる気にはなれなかった。


 振礼島の生き残りとして得た能力は苦痛を伴うものだ。レオニードの言葉を借りれば半分地獄にいるようなものなのだそうだが、少しでも気を抜けば全身を覆う火傷に苛まれるこの状況は、半分どころか全身地獄にいるのと変わらないとゲオルギーは思っていた。


 しかしそれを差し引いても、自分がいるのは地獄のようなものだ――ゲオルギーは倉庫と倉庫の隙間に身を隠し、ゆっくりと息を吐いた。

 こんな馬鹿げたことをどんなにやりたくないと思っても、従わざるを得ない。ミハイルが何故こんなことをやっているのかと常々疑問だったが、いざ自身の身に降りかかってみれば簡単にその理由を理解することができた。


 やらなければ、苦痛が待っているのだ。


 楽しげに鼻歌を唄いながらミハイルの腕を炎で焼き、存分に苦しめと敢えて急所を外して彼の胸を刺した男は、その瞬間、脇に控えるゲオルギーの方をちらと見て、笑みを深くしていた。


 その時は特に気にも留めなかったが、今なら分かる。

 次はお前だ――暗にそう語りかけられていたのだ。それに気付いたのは、自分がミハイルの後任に選ばれた時だった。


 倉庫の壁に背中を預け、狭い空を見上げた。憎たらしいくらいの青空に虚しさがこみ上げる。逃げ出したい、だが、逃げようとすれば殺される――ならば自分にできるのはレオニードの機嫌を損ねないようにしつつ、なるべく最小限の苦痛で済むように盗みを実行することだけだ。


 意を決したゲオルギーは倉庫の隙間から出て、目的地を探し歩き始めた。決行は夜だったが、まだこの仕事に慣れない彼は不審な外国人として見つかるリスクを冒し下見に来ていた。


 失敗すればレオニードの機嫌を損ねる――見つかってもゲオルギーが無事逃げおおせればいいという考えはレオニードの中にはない。

 指定された物を盗むこと、そしてそれによって被害を被った連中が慌てふためくこと。これこそがレオニードにとっての成功であり、それ以外はすべて失敗だ。


 過去に盗みを働いたことがある場所を再びターゲットにしたのは、そんな彼の性格故だろう。一度やられて警備を強化したはずなのに、またまんまとやられて頭を抱える――レオニードが見たいのはこの光景だ。だとすれば、これからこの仕事の難易度はどんどん上がっていくだろう。


 いつまで正気でいられるだろうか――ゲオルギーは自身の暗い未来を思って深い溜息を吐きながら、目的の倉庫の中にそっと入った。



 § § §


 蒼はとある倉庫街に来ていた。この日二回目の挑戦だ。


 ここにある倉庫を管理しているのは、表向きは特に何の問題もない会社だ。だから正しい手順で被害のあった場所に行こうと、蒼は車両用の入り口横にある管理室でやる気なさげに頬杖をついた守衛に話しかけたのだが、一瞥と共にシッシッと追い払う仕草が返されただけだった。


 そのことに怒りを感じたものの、すぐにそれでよかったのだと気が付いた。

 これは仕事ではないのだ。危うく名刺を出すところだったが、自分の個人情報を残すべき場所ではないことを思い出した。


 結局、蒼はこの二回目の挑戦で車両の影に隠れこっそりと敷地内に侵入した。自分の善悪観念が狂ってきているような気がしたが仕方がない。

 目的地は事前に加納から聞いていたので迷わず対象の倉庫に行くと、人の気配がないことを確認して中に入った。


 倉庫内は少し埃っぽかった。てっきりダンボール箱が並んでいるものと思っていたが、大きなコンテナや蒼がすっぽり収まるような大きさの木箱が大部分を占めている。


 ――もし生き残りの人が盗んだなら、これの中身だけ持ってったってこと……? ぎゅうぎゅう詰めだったらどうするんだろう……いけるのかな?


 蒼は自分の背丈を優に超える貨物を見渡しながら、倉庫内を歩き回る。

 貨物同士は彼女が両手を広げたくらいの幅ができるよう並べられているようだった。しかしちらほらと人一人通るのがやっとという道もあり、迷路のようにも感じられる。


 ――こんなところで従業員の人に鉢合わせたらどうしよう……。


 自分が正規の手順で入っていないことを思い出し、もし見つかった場合に何と言い訳すべきか考える。しかしジーンズにチェック柄のフランネルシャツと、どう考えても従業員には見えない今日の服装に失敗したなと少し後悔して終わった。


 考え事をしていたからだろうか、蒼はいつの間にか自分の周りの足音に気を配るのを忘れていた。貨物だけで人の気配のない倉庫内は音が響くのだ。

 それなのに蒼は、すぐそこから聞こえてきた足音に気付かなかった。


「わっ……!」


 貨物の間の死角から突如として現れた人影に、蒼は思わず声を漏らした。

 見つかってしまったという焦りから、心臓が大きな音を立てる。まだ言い訳を思いついていなかった蒼は、どうしたものかと思いながら目の前に現れた人物の顔を見上げた。


 ――外国人……? 従業員の人、だよね……?


 そこにいたのは、背の高い白人男性だった。朔ほど長身ではないが、涼介よりは大きく見える。少し顔色が悪く見えるその男性は、こんなところに蒼のような人間がいるとは思わなかったのか、驚いたように目を丸くしていた。


「エ、エクスキューズミー……?」


 関わり慣れない外国人を目の前にして、蒼は咄嗟に高校時代の知識を振り絞って声をかけた。自分から話しかけた方が怪しまれないだろうと判断したからだったが、口から出たのはなんとも情けない声色の言葉だった。


 一方で、話しかけられた男――ゲオルギーは見覚えのある女性を前にして困惑していた。


 ――何故この女がこんなところに……?


 ミハイルの死を見届けろとレオニードに言われ、彼の住処を監視していたところに現れた謎の日本人女性。別の人間が対処すると聞いていたはずの彼女が、何故こんな場所にいるのか――ゲオルギーは想定外の事態に動きを止めてしまったが、「エ、エクスキューズミー……?」という声が聞こえたことにより、はっと意識を現実に戻した。


 ――この女がここにいるのは、あの男のミスなのでは……?


 自分が対処するとレオニードに進言していた日本人の姿を思い出すと同時に、ゲオルギーの中に閃くものがあった。


 ――この女を俺が連れ帰れば、うまくすれば奴と立場が変わるんじゃ……?


 妙にレオニードと親しくしているその男は、自分と違って彼の遊びに付き合わされる気配がない。もしあの日本人と立場が変われば、今後こんな苦痛を伴う命令を聞かずに済むのではないか――そんな名案とも言える考えがゲオルギーの頭の中に浮かんでいた。


「アー……オ客、サン?」

「日本語分かるんですか?」

「少シ」


 蒼は眼前の外国人男性が日本語で返してきたことで一気に身体の緊張を緩めた。正直、英語には全く自信がない。高校生レベルの読み書きならできそうだったが、リスニングは大の苦手なのだ。勿論、話すのも同じくらい苦手だった。


 こちらの英語があまりに下手だったから気を遣ってくれたのだろうと蒼は自分に都合の良い解釈をすると、「私、お客、ここ、見たい」と何故か自分まで片言になりながら、ジェスチャーを付けて男性に意思を伝えた。なるべく笑顔を心がけ、怪しい者ではないと彼女なりにアピールしたつもりだ。


 そんな蒼の言いたいことが伝わったのか、男性は大きく頷くと彼女を倉庫の奥へと促した。


「見る、オッケー?」

「オッケー、オッケー」


 男性のオッケーという言葉を信じ、蒼はぺこりと会釈をすると軽い足取りで倉庫の中を再び歩き始めた。


 ――私、案外英語喋れるかも……!


 実際は全部日本語だったのだが、蒼の中で英語で話していたことになったらしい。妙な自信を得たことで気が大きくなったのか、蒼は口元にうっすら笑みすら浮かべていた。


 これが、朔に軽率だと言われるのだと気付いた時には遅かった。


「――なっ!?」

Ш-ш-ш(シーッ)……тихо(チーハ) тихо(チーハ) тихо(チーハ)……」


 一瞬だった。急に腕を引かれたと蒼が気が付いた時には誰かの大きな手で口を覆われ、身体の自由を奪われていた。背中に伝わる熱は自分の自由を制限する人間のものだろう。首元のひんやりとした感覚に、いつか映画で見た、登場人物が喉元にナイフを突きつけられる映像が脳裏を過る。


 動こうとしたが、蒼の力では身体に巻き付いた腕はびくともしなかった。

 そこで漸く視界に映った見覚えのある腕に先程の男の仕業だと気が付くと、英語とは明らかに違っていた彼の言葉を思い出し、頭からさっと血の気が引くのを感じた。


 ――もしかして、生き残りの人……?


 それに気が付いた途端、蒼の心臓は再びドッドッと激しく脈打ち始めた。指先が冷たくなり、小刻みに震えている。


 ――もしレオニードの仲間なら……。


 ここにいる生き残りという時点で十中八九そうだろうと思ったが、それを簡単には受け入れることはできなかった。もしそうだとすれば、今自分の首に冷たい物を突きつけている人物は、簡単にその手を思い切り引くのだろうということは想像に難くなかったからだ。


 ――多分、絶対、殺される……!


 そう思うと、蒼の行動は早かった。

 抵抗しようがしまいが殺されない保証などないのだ。ならば大声を出せば人が来そうなこの場所にいるうちに逃げた方がいい――安全な場所で生きてきた蒼が瞬時にこんな考えに至ったのは、良くも悪くも最近立て続けに身近で起こった非日常的な出来事のせいかもしれない。


 蒼は自分の口を押さえる手に思い切り噛み付くと、男が怯んだ隙に首に添えられた手を思い切り掴んで引き剥がした。


Блядь(ブリャーチ)……! Стой(ストーイ)!」

()っ……!?」


 腕に熱が走る。それでも蒼は気にせず走り出した。


 ――逃げないと……!


 思っていたよりも倉庫の奥まで入ってしまっていた。視界を塞ぐ貨物が憎たらしい。まるで迷路のようにも感じたが、それでも蒼は必死に貨物の間を走り抜ける。


 その時だった。


 ドンッ! という衝撃が前方から襲い、蒼は後ろに倒れ込んだ。


 他にも仲間がいたのか、それとも従業員か――反射的に見上げた先にいた人物に、蒼の目は大きく見開かれた。

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