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アザー・ハーフ  作者: 丹㑚仁戻
第七章 境界の罅
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28. 引き合う

 自室へと向かった蒼を見送ると、朔は新しい煙草に火をつけた。


 ――なんか変だな……。


 蒼の様子を疑問に思うものの、何が変なのかはっきりと言葉にすることができない。強いて言うならば、蒼の自分に対する態度だろうか。直前の脱衣所での一件のせいかとも思ったが、それとは明らかに違うような雰囲気だった。


 しかし朔に蒼の気持ちなど分かるはずもない。朔は早々に考えるのを打ち切ると、自分のスマートフォンの画面を見て時間を確認した。

 時刻は二十一時。火を付けたばかりの煙草を灰皿に押し当てながら、再びアネクドートへ向かうべく立ち上がる。


 朔の持ち物はいつも少ない。ジーンズのポケットにむき出しで入れっぱなしになっている現金と、最近増えたのは蒼から渡されたスマートフォンのみだ。しかしこの時は何故か、テーブルの上に置かれたままになっているハンカチで包まれた物体が目に入った。その中身は朔にとって有害な銀製のナイフだ。


 朔は一瞬動きを止めたが、次の瞬間には包帯の巻かれた手でナイフをハンカチごと掴み取っていた。たとえ銀に触れてしまっても、治ることはその手が証明しているのだ。

 以前よりも幾分痛みがマシになった手のことを考えながら、意味があるかは分からないが念の為ナイフをキッチンにあったビニール袋で包むと、無造作に尻ポケットへと突っ込んだ。



 § § §


 アネクドートにやって来た朔は店の扉をくぐると、昼間とは違って落ち着いた様子で店員にイヴァンを呼ぶよう声を掛けた。名前を出さないようにするにはどう伝えるべきかと悩んでいたが、応対したのが昼間と同じ店員だったため簡単に伝えることができた。


 朔がイヴァンに会いに来たのは、彼が生き残りの目撃場所について何か知っているかもしれないと思ったからだ。朔が蒼から聞いた限りでは、教会と取引現場で見かけたという話があるらしい。

 勿論、朔は蒼がそれをイヴァンから聞いたということは知らなかったが、その可能性は十分にあると彼は考えていた。もし違っていたとしても、ロシア人が関わる犯罪についての情報であればイヴァンが何かしら持っていると思ったのだ。


 少しして朔を出迎えたイヴァンは挨拶代わりに蒼の無事を確認すると、以前彼女を通したのと同じ個室に朔を案内した。朔が用件を言わずとも、大声で話す話ではないと気が付いたのかもしれない。


「ヴォルコフは知ってんだろ?」


 朔は案内された個室の椅子に座ると、イヴァンが腰を落ち着けるのを待ってそう切り出した。


「ああ、昔世話になったよ」


 ヴォルコフというのはロシアでは割とよくある苗字だ。それでもイヴァンがどのヴォルコフかと朔に改めて確認しなかったのは、彼が振礼島の生き残りだということを考慮してのことだろう。


「ミハイルが誰に殺されたかは?」


 朔の問いかけにイヴァンは苦しげに顔を歪め、「Нет(ニェット)……」と首を振って否定する。


「確証はないが、十中八九レオニードが関わってると思ってる」

「……そうか」


 それだけ言って、イヴァンは重々しい息を吐いた。朔は彼がレオニードのことを知っているか分からないまま名前を出したが、その反応に知っているのだと確信すると、どうしたものかと顔を顰めた。


 イヴァンはヴォルコフに対して悪い印象を抱いていないらしい。世話になったということは、慕っている可能性もある。

 しかしその男の息子が自分の子の死に関わっているとなれば、朔にはその心中を推し量ることはできなかった。


 せめてもの気遣いとして、レオニードがミハイルを殺したと思っているとはっきり伝えることは控えた。だが、イヴァンが彼をどこまで知っているかによってはそれは意味を成さないだろう。


「一応聞いた話だけ伝えとくと、ミハイルはレオニードに相当追い詰められてたらしい。で、具体的に何を言ったかは知らねぇが、ヴォルコフに奴のことを密告したんだと」

「……なるほどな。それでフレの生き残りとは関わるな、か」

「あ?」

「誰が言い出したかは知らない。だが生き残りに関わるなという注意が、君たちの目撃情報と共に流れていてね。おそらく大本はМаксим(マクシム)……君たちの呼び方に合わせるとВолков(ヴォルコフ)か。彼が息子を孤立させるためにやったんだろう」


 そう言ってイヴァンの視線はテーブルの上に落とされたが、そこには何もなかった。


 恐らく複雑な胸中なのだろう。イヴァンの様子に朔はそう思ったが、自分は息子を失った男の嘆きに付き合うために来たわけではない、とここに来た目的を思い返した。


「あの親子が完全に仲違いしてるっつーのは分かったけどよ、それより生き残りがどこで目撃されたか知ってんだろ?」

「ああ、知っている。実は彼らが現れると不可解な現象も一緒に起きていてね。今まで関係性は分からなかったが、この間のМиша(ミーシャ)の様子を見て、きっと関わりがあるのだろうと思ったよ」

「不可解な現象?」

「窃盗だよ。施錠された鍵を壊されたとか、そうでなくても扉や何かを開けた形跡があれば不思議でもないが、そういった痕跡が全くなくてね。それから怪しい人間を追いかけていたら、途中で消えてしまったという話もある。何を馬鹿なことをと思っていたが、人が……灰になる、ような現象が起こるのならば、不可能ではないのだろうな」


 最後の方は言いづらそうにしていたが、それでも何とか言い切ると、イヴァンは再び視線を落とした。


 ――そういうことか……。


 朔はイヴァンの話を聞いてミハイルが何故精神を病んだのか、すぐに理解した。直接的な原因は元々見当はついていたが、それに至った経緯がやっと分かったのだ。


 イヴァンの言う窃盗を、ミハイルがやらされてたのだろう。彼の言ったとおり部屋なり箱なり、対象物のある場所に入り口がなくても入ることができる朔は、自分と同じくそれが可能な存在をすぐに思い浮かべた。


 そして同時に、それはいくらでもできることではないということも考えていた。確かにやろうと思えばいくらでもできる。しかしそれをしようとする時――物質を通り抜けようする時、自分が自分でなくなるような、酷く苦しむ誰かに引き寄せられるかのような、そんな不快という言葉では表現しきれない感覚に襲われるのだ。


 だから朔は、本当に必要な時以外は全身でどこかへと通り抜けるようなことはしない。比較的先述の感覚が少なくて済む身体の一部分だけの通り抜けでどうにかなるのであれば、そうするようにしていた。


 だがミハイルには、そんな選択肢はなかったのだろう。それはレオニードとの関係を考えれば明らかだった。


 断ることもできず、簡単に逃げ出すこともできず――そうやって少しずつ、しかし確実にミハイルの精神はあの感覚に繰り返し蝕まれ、逃げる決心をしたときには戻れないところまで来てしまっていたのだ。


 朔は少しだけ同情したものの、自分たちが生き延びた経緯を思い出し、ある意味当然の末路なのだとも思っていた。他人の命を踏みつけにして生き延びたのであれば、相応の苦しみを背負うべき――それは自然な発想というよりは、罪悪感を感じている朔がそう思いたかっただけなのかもしれない。


「――サク」


 朔が物思いに耽っていると、前方から声がかかった。はっとして視線を上げれば、先程まで自分と同じように俯いていたはずの男が朔の方をじっと見つめている。


「実は、明日彼らが現れそうな場所があるんだ」


 その深く青い瞳は、射抜くような強さで朔を捉えていた。



 § § §


 翌日、蒼は二十三区内のとある下町に来ていた。平日の昼だというのに居酒屋の屋外席には中高年の男女が多く座っており、その手には皆酒を持っている。


 蒼は以前に何度かこのあたりを通りかかったことがあるが、相変わらずの雰囲気に苦笑を浮かべた。すでに出来上がった人々が大きな声で楽しそうに会話を繰り広げるその様子は、前日に朔から逃げるようにして自室へと籠もった自分の有様とは、まるで正反対に感じられたからだ。


 蒼がそのまま指定された場所へキビキビとした足取りで向かうと、その先にビールケースを椅子にして、同じくビールケースでできたテーブルに片肘をついた男の姿を見つけた。


 男の年齢は四十代に見えたが、服装はよれたTシャツに短パンと、およそ勤め人とは思えないような出で立ちをしている。短髪だが寝癖だらけの頭と無精髭が、その印象を更に強くしていた。


 ――いつにも増して汚い……。


 相変わらず清潔感を欠く姿に、蒼は思わず顔を顰めた。知り合いでなければ関わり合いたくないと思いながらも、男を呼びつけたのは自分だということを思い出し、いつの間にか止まっていた足を再び動かし始める。


「なんだよ、ひっでぇ顔だな」

「……加納(かのう)さんにだけは言われたくないんですけど」


 彼女の姿を目に留めるなり男の口から発せられた言葉に、蒼は本気で嫌悪感を示してそう言い放った。

 相手はいつから手入れしていないのか分からない無精髭に、ビールの泡や酒のつまみのカスを付けた人間。確かに自分でも疲れ切った顔をしていると自覚しているとはいえ、そんな人物に見た目のことを言われるのは心外だと思ったのだ。


 一方、蒼のそんな態度には慣れきっている男――加納はニヤリと笑うと、自分の向かいの席をジョッキグラスを持ったままの手で示し、彼女に座るよう促す。勿論その椅子もまた、ビールケースでできていた。座布団はすっかり張りを失ったダンボールだ。


 それがこういった居酒屋では珍しくないことを知っている蒼は、少しだけダンボールの黒さに躊躇いを感じたが、すぐにそこに腰掛けた。

 彼女が席につくやいなや、頼んでもいないのに店員からビールがジョッキグラスで運ばれてくる。今は酒を飲む気のない蒼はそのグラスを加納に任せ、烏龍茶を注文すると再び彼に向き直った。


「加納さんって、ちゃんとしてればそれなりにいい感じのおじさんに見えるのに、何でいつもそんな(きったな)いんですか?」

「人間自然が一番だろ。用もないのに不自然に整えたってしょうが無いってな」

「私に会うのは用には入らない、と。……こんな若い女性と二人きりで話すのに」

「若くても小鳥遊は色気()ぇかんな!」

「……クソオヤジ」


 蒼の悪態も、加納にとっては笑いを誘うだけらしい。加納は蒼の苦々しい顔を見ながら豪快に笑うと、烏龍茶が運ばれてくるのを確認して少しだけ居住まいを正した。


「で、わざわざ会ってまで何が知りたいんだ?」


 急に変わった加納の雰囲気に、蒼はドキリと身体を強張らせた。

 相変わらず口元にはニヤニヤと品のない笑みを浮かべているし、手はジョッキグラスから離れる気配はない。だがまるで相手のことを見透かすような目と少しだけ張り詰めた空気は、蒼に加納がただの飲んだくれではないのだと思い出させるのには十分だった。


 加納信彦(のぶひこ)、彼は蒼がよく利用している情報屋だ。蒼にアネクドートのことを教えたのがこの男である。


 蒼が加納を尋ねたのは、朔に頼らず他の振礼島の生き残りの情報を得るためだ。

 これから朔とどう関わるべきか、彼女の中でまだ答えは出ていない。しかし、現実問題として自分の父親の死が振礼島に関係がある以上、いくら複雑な胸中でも調べることをやめるわけにはいかなかった。


 週末に涼介と会う約束をしたこともまた、蒼を後押ししたのかもしれない。一時(いっとき)危険な非日常に首を突っ込んでも、すぐにまた日常に戻ることができる――振礼島と関係のない人間との約束が、そんな安心感を蒼に与えていた。


「――前に聞いた、取引現場の件なんですけど……」

「だからそれ、何の取引かとか分からないとどうしようもねぇって」

「分かってますよ! だからこうして直接会いに来たんじゃないですか」

「はぁ?」

「思いつく限りのことを言っていくので、いい感じに絞り込んでいただければと……」

「他力本願すぎだろ、それ」


 自分でも思っていたことを言葉にされ、蒼はその場で小さく縮こまった。

 しかし、蒼にはこの方法しかないのだ。朔であれば情報を持っている可能性があったが、彼に聞くわけにはいかない。というより、実際に聞くことができなかった。

 今まで色々な事が起こりすぎて聞きそびれてしまっていたというのもある。それでも今朝家を出る前に意を決して聞こうとしたのだが、朔の部屋をノックする勇気も出なかったのだ。


 そんな自分の情けなさに辟易しながら、蒼は積み上げたビールケースにベニヤ板を置いただけのテーブルに突っ伏した。

 一瞬触れた頬にベタリとした嫌な感覚が走る。慌てて顔を上げてテーブルに触れれば、少しベタついた触り心地に蒼は思い切り顔を顰めた。


「まぁいい、とりあえず言ってみろよ」


 ぶっきらぼうな加納の声が蒼に状況を思い出させる。

 いつの間にか出されていたおしぼりで顔と手を拭きながら、蒼は加納から情報を引き出すべく記憶を辿った。


「えーっと……ロシア」

「それは知ってる」

「渋谷、クラブ、タトゥー、美女」

「楽しそうだな、おい」

「うぅ……びっくり人間、超常現象、レオ……あ、これはいいや」


 うっかりレオニードの名前を出しそうになった蒼は、慌ててその口を噤んだ。

 加納がただの一般人ならいいが、彼は情報屋だ。レオニードの名前を出せばすぐに何か分かるかもしれないと思ったが、逆に彼のことを知っている人間として誰かに話されてしまう可能性がある。同じ理由でレオニードの名前以外にも、直接的な内容は言えなかった。


 できればもっと具体的な情報を加納に伝えたかった。特に例のナイフのことも伝えられれば、うまくいけば販売元に辿り着けただろうし、更に運が良ければレオニードの名前を出さずとも購入者について知ることができたかもしれない。

 だがこれに関しては、家から持ち出そうとしたら見当たらなかったため諦めることになった。恐らく朔が持って行ったのだろう。どこへ何のために持ち出す必要があるのかは考えたくなかった。


 あれは確実に生き残りに危害を加えられるものだ――蒼は朔の手の怪我を思い出し、眉根を寄せる。


 しかしすぐに頭を振って気分を切り替えると、考え事をするように顰めっ面をしている加納に声をかけた。


「これくらいでどうですかね?」

「いや、大したこと言ってねぇだろ。しかしまぁ超常現象ってのとはちょっと違うけど、最近変な盗みがよくあるって話は知ってるな」

「変な盗み?」

「なんか密室だったはずなのに盗まれたとか、そんな話だよ。確かにそれが起こってるのも()()()()だな」

「密室で盗み……」


 ――朔さんならできそうだな……。


 蒼は施錠という概念が通用しない同居人を思い出し、被害に遭った人間に同情した。自分の場合はまだいいが、盗みをされたとなってはたまったものではないだろう。


 ――……ていうか、朔さんじゃなくても生き残りの人達ならできるのか。


 関連性は分からなかったが、密室に盗みに入れる人間と聞いたらどうにもそのことが気になり始める。

 本当にそうかは分からない。だが疑わしいものは一応確認しておいた方がいいだろうと思い至り、蒼は詳細を確認するため加納に被害にあった場所について聞くことにした。

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