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アザー・ハーフ  作者: 丹㑚仁戻
第四章 浮かび上がる影
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17. 憎しみの矛先

 呆然と焼け爛れた自分の手を見つめる朔に、蒼は何と声をかけたらいいのか分からなかった。


「……お前、これ触ってもなんともないんだよな?」

「はい、私が触った時は特に……。あ、でもハンカチ越しだったので……」

「ちょっと触ってみろ」

「えぇ!?」

「多分大丈夫だから」

「多分って……」


 反論しながらも、自分が持ってきたもので朔を負傷させてしまった負い目のある蒼は、渋々とナイフに手を伸ばした。

 しかし触るのはやはり恐ろしい。期待を込めてチラッと朔の表情を窺うも、彼の視線はナイフに注がれていて中止にしてくれそうにない。


 ――指先だけなら……。


 蒼は覚悟を決めると、恐る恐る指先でナイフを(つつ)いた。


「……あれ?」

「だから言っただろ」


 拍子抜けしてナイフに触れた箇所をまじまじと見つめる。痛みも火傷もなく、そこにあるのはいつもどおりの自分の指だった。


「どういうことですか?」

「それ銀なんだろ」

「銀製ってことですか? まあ、そう見えないこともないですけど」


 それと朔の火傷とどういう関係があるのだろうか。蒼は朔の顔を見たが、彼は妙に納得したような表情を浮かべているだけだった。


「銀がどう関係あるんです?」

「よく分かんねぇけど、悪魔祓いだの化け物退治だのに銀の弾丸とか使うらしいから、そういうことじゃねぇの?」

「悪魔祓いって……そんなオカルト的な物と何が関係あるんですか?」

「俺の身体も十分オカルトだろうが」

「それはまあ、そうですけど……」


 朔の身体のことを考えると蒼には反論ができない。しかしそれは彼の存在がオカルト的な何かだと思っているわけではなく、単にその正体を知らないからだ。


「そもそもの話で恐縮なんですけど」

「なんだよ」

「朔さんって何者なんです? 振礼島の生き残りだっていうのは聞いていますが、その不思議な力とか火傷とか、いまいちなんなのか分からないんですけど……」

「さあ? 知らねぇ」

「『知らねぇ』って、自分のことなのでは?」

「自分でもよく分かんねぇんだよ。だから答えようがないだろ?」


 そう言って蒼を見つめた朔の目は、暗にこれ以上聞くなと言っているようだった。


「……じゃあよく分からないっていうのは一旦そういうものとして。つまりあれですか? 銀がダメってことは、朔さんも悪魔的な何かだという可能性があるってことですか?」

「かもしれないな」

「……もしかして前に生き残りは教会に行かないって言っていたのは」

「行くと苦しむだけだから」


 何とも無い事のように言っているが、銀に触れただけで火傷が戻ってしまうなら相当な事が彼の身に起こるのだろう。

 蒼は改めてナイフを持ってきたことに申し訳なさを感じ、一向に元に戻らない朔の手を見つめた。


「戻さないんですか?」

「……戻らねぇんだよ」

「大変じゃないですか!」


 思いがけない発言に蒼はあわあわと所在なく手を彷徨わせると、思いついたようにリビングを飛び出した。


 ――私はなんてことを……!


 今の朔に追い打ちをかけるかのような自分の失態に目を覆いたくなったが、まずは彼の苦痛を和らげることが最優先だ。あの状態の火傷にできることがあるとは思えなかったが、それでも物置きから救急箱を取り出すと、急いでリビングに戻った。


 朔はぼんやりと指先から爛れてしまった自分の右手を見つめていたが、蒼が戻ってきたのに気付くと訝しげに彼女の行動を観察し始めた。

 蒼はそんな視線を気にする余裕もなく、救急箱からガーゼと包帯を取り出す。火傷の対処法として合っているかは分からなかったが、自分の思いつく手当などこれだけだと、目に涙を溜めながら朔の手を取った。


「あの、包帯巻きますか……?」


 勢いで手当をし始めようとした直前に、蒼は思い出したかのように手の主の意思を確認した。もしかしたら包帯が触れる方が痛いということがあるかもしれない。これ以上苦痛を与えてしまったらどうしよう、と朔の手を見つめた。


「そんな涙目で人の傷見んなよ」

「うっ……だって、私がナイフを持ってきたから」


 朔は少しの間黙っていたが、大きく溜息を吐くと蒼からガーゼと包帯を奪って自分で器用に巻き始めた。本当は手当など必要ないと断ろうとしたが、目の前の女はこうでもしないとその目に溜めた涙を引っ込ませないだろうと思ったからだ。


「……手慣れてますね」

「昔はしょっちゅう怪我してたからな」

「やんちゃですか」


 そう言ってやっと笑った蒼に、朔は小さく息を吐いた。女の涙が苦手だなんて気障(きざ)なことは言わないが、やはり自分の怪我のせいで泣かれるのは居心地が悪い。

 傷をそのままにしておいてもそうだが、これは包帯をしている限り蒼は先程のような表情をするのだろうと苦笑いを浮かべた。


 朔は包帯を巻き終わると、地肌が見えなくなった手で再びナイフを手にした。

 それに気付いた蒼は物凄い顔で止めようとしたが、何事もなく朔がクルクルと手の中でナイフを弄ぶのを見てぽかんと口を開けている。


「直接触らなきゃ大丈夫そうだな」

「知っててやったんじゃないんですか!?」

「今知った」


 なんてことを、と再び凄い顔をする蒼に、思わず朔は吹き出す。クツクツと楽しそうに笑いながら、そっとナイフをハンカチの上に戻した。

 笑われたことに文句を言おうと口を開きかけた蒼だったが、やっと朔がいつもどおりになってきたと感じ、忌々しげに彼を睨むに留まった。馬鹿にされた感は否めないが、彼が元気になったのであれば一旦文句は言うまいと自分を説得する。


 朔は一頻(ひとしき)り笑うと、「死んだのはこれだな」と少し前の蒼の疑問の答えを口にした。


「これで刺されたら、致命傷にならないような傷でも死ぬかもな。まだ試す気はないけどよ、すり抜けようと思ってできるかも分からねぇし」

「……()()?」

「手が治るって分かったら――」

「ダメです」

「あ?」

「ダメに決まってるじゃないですか。もし刺さっちゃったらどうするんです?」

「そんときゃそんとき……――分かったよ、やらねぇよ」


 自身を睨みつける蒼の視線に、朔が困ったようにそう言った。

 あまりに簡単に朔が引いたため蒼には彼の言葉を信じられなかったが、自分が見張ればいいだけだと気付き、こっそりとその決意を固めた。


「――でもこれでちょっと分かった気がします」

「あ?」

「実はミハイルさんが死の間際に言っていたんです。『こんな身体じゃ神は私を救ってくれない』って。教会に入れないってことは、この言葉ってそういう意味なのかなと」

「お前なんで奴が言ってた事分かったんだよ?」

「実は通訳を頼みまして」


 そう言うと、蒼は折角だからと先日アネクドートの店長とミハイルに会った時の録音を聞かせることにした。

 バッグからボイスレコーダーを取り出し、少しだけ得意げに再生ボタンを押す。しかしまともに聞き取れたのは店長がミハイルを呼ぶ声だけで、小さい声で行われた彼らの会話は辛うじて何か言っているだろうというのが分かる程度だった。


「まじか……」

「お前ちゃんとやれよ」

「うぅ……」


 ――私は録音さえちゃんとできないのか……。


 あまりの不甲斐なさに蒼は頭を抱えたくなった。

 しかしふとこれとは別にミハイルが言っていたことがあるのを思い出すと、「実はまだあるんです!」と慌ててメモ帳を取り出し読み上げる。


「『レオニードに殺される。レオニードがあれを持っていった。私を殺してくれ』。実はこれ朔さんが小屋を飛び出した後――」


 続きを言おうとして、対面から覚えのある空気を感じ口を噤んだ。

 恐る恐る朔の方を見ると、彼はミハイルに会った時と同じあの剣呑な雰囲気を纏い、鋭い眼光でナイフを睨みつけている。


「……朔さん?」

「お前、やっぱ降りろ」

「え?」

「これ以上関わんな」

「な、いきなり何言ってるんですか?」


 突然の拒絶に納得できず、蒼は朔に詰め寄るように身を乗り出した。しかし彼は全く意に介す様子もない。

 なんでいきなり、と蒼は唇を噛み締めた。

 先程まで楽しそうな顔さえ見せていた朔は、今はその表情を冷たくし、じっと問いかけるような視線で蒼を見つめた。


「じゃあ聞くけど、ミハイルは即死だったか?」

「今はその話じゃ――」

「いいから答えろ」


 有無を言わせないその声色に、思わず蒼は自分の意見を引っ込めた。記憶を辿り、彼の質問の答えを用意する。


「……即死ではないです。どのタイミングで刺されたか分かりませんが、少なくとも私達が小屋に着いてから十分程度は生きていました」

「なら刺したのは多分レオニードだ」

「え?」

「そういう奴なんだよ。相手を必要以上に痛めつけたり、かと思えば何の意味もなく苦しませるように殺したり」

「殺すって、そんな当たり前のことみたいに……」

「奴にとっては当たり前のことだ。多分ミハイルのタトゥーを焼いたのもレオニードだろうな」


 朔はそこまで言うと、今度は諭すような視線を蒼に向ける。その視線に彼の降りろという言葉の真意に気付いてしまった蒼はどうしたらいいか分からず、ただその目を見返すことしかできなかった。


「奴に関わると碌なことがない。お前は首を突っ込んでるってバレなきゃ目をつけられることもないから、今のうちに手を引け」


 続けられた言葉に、やはり朔は自分の身を案じてくれていたのだと蒼は視線を落とした。蒼にはレオニードという人物の危険性は分からないが、朔がここまで警戒するのであれば、下手に自分が関わると彼の足手まといになるのかもしれない。

 しかし相手はミハイルを殺したような人間だ。普通なら特殊な身体を持つ彼らを簡単に殺すことなどできないはずなのに、その方法を知っていたような相手なのだ。


「でも朔さんはどうするんです? そんな危ない人なら、朔さんだって関わらない方がいいんじゃ……?」

「ミハイルの言うあれっていうのが聖杯ってことなら、レオニードが今持ってるんだろ? なら奪うだけだ」


 どう考えてもレオニードと敵対することになる行動を取ろうとしている朔に、蒼は思わず息を飲んだ。「奪うって……」とただその言葉を繰り返しながら、何故彼がそんな危険を犯そうとしているのか考えたが、答えなど分かるはずもない。


「大体朔さんはなんで聖杯を探しているんですか? 私には生き残りを探してるって言ってたじゃないですか」

「そりゃ聖杯持ってるとしたら生き残りだと思ったからな。それ以上はどうせここで降りるんだから知らなくていい」

「勝手に決めつけないでください! 私は振礼島のことが分かるまで降りません!」

「それももうやめろって言ってんだよ。奴がただ東京にいるだけならまだしも、ミハイルといたってことは最悪奴も生き残りだ。ちょろちょろ調べ回るお前のことをどう思うか分からねぇだろ」

「ご心配どうも! でも引きません!」


 ダン! と、蒼は思い切りテーブルを叩いた。確かに振礼島を巡っては、当初政府の陰謀か何かだと考えていた蒼からすれば、朔のような不可思議な存在が現れたり人が殺されたりと、想像を上回ることばかりが起きている。

 本来であれば、自分の身を守るためにこのあたりで身を引いた方がいいのだろう。


 ――大事そうな事は何も教えてくれないくせに。


 頭では朔の言うことが正しいと分かってはいたが、それよりも彼が彼自身の本質に関わることについて何も教えてくれないことに蒼は腹が立った。


 振礼島のこともそうだ。少なくとも自分の手伝いに必要な分は教えてくれると言ったはずなのに、朔の様子は明らかに真実を隠している。それも、彼の手伝いに必要な部分も含めてだ。

 今までは蒼を思い通りに動かすための駆け引きだったのかもしれないが、今この状況においては彼女がこれ以上関わらないようにしようとしているのは明らかだった。

 朔がそうする理由が、蒼のことを疎ましく思っているだとか、役に立たないと感じたからだとすれば、まだいいのだ。

 しかし、そうではない。そうではないと分かっているからこそ、蒼は朔の言葉を受け入れられない。


 ――少しくらい頼ってくれたっていいのに……。


 言いようのない不満が蒼の中に湧き上がる。せめて朔の気遣いに気付かなければよかった、と大きく息を吸い込んだ。


「そもそも自分を手伝えって言ったのは朔さんです! 朔さんがそのレオニードって人を追うなら、私は命を助けられた者としてそのお手伝いをすべきだと思いますが!?」


 テーブルを叩いた手にじんじんと痛みを感じながら、その痛みを誤魔化すように声に力を込めた。

 しかしそんな蒼の言葉を聞いても、朔は静かに彼女を見返すだけだった。


 ――顔色一つ変えやしない……。


 自分の声は朔には届かないのか、と少しだけ彼と打ち解けてきたと感じていた自分に恥ずかしさすら感じて、思わず目を逸らす。


 暫くの間、沈黙が続いた。それは一分にも満たなかったかもしれないが、蒼にとってはとても長い時間に感じられた。


 ――これ以上、私が何を言っても無駄なのかもしれない。


 そう感じて話を打ち切ろうとした時、静かな室内に朔の大きな溜息が響き渡る。無意識のうちに蒼が視線を上げると、静かに彼女を見つめる朔と目が合った。


「場合によっては、俺は奴を殺すことになるって言ってもお前は手伝うつもりなのか?」


 ゴクリ、と誰かが喉を鳴らす音が聞こえた。

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