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ホワイトマン  作者: 水見 あさや
1.日常
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1-5


 一人分の幅しかない階段をかつかつ上り、こじんまりとした屋上に出た。

キャッシュマクレーに二階はなく、周囲も背の高い建物に囲まれていて、屋上に上ってもよその店の壁しか見えない。

この閉塞的な屋上は、あたしのお気に入りの場所だった。

見通しが悪く飾り気のない屋上で、賑やかな夜の気配に溶け込んで一息つくのが日課だった。



 シガレットケースからタバコを取り出し火をつける。

星が一つも見えない夜空をぼんやり見上げながら紫煙を吸い込むと、頭の中の余計なことが煙に覆われていくようで気持ちが楽になった。



 ポーラーナイトは、大人が夜更かしをするのに都合のいい店が集まる不健全な街だ。

食事や酒を楽しむことができるレストランエリア、人生を狂わせる大勝負が繰り広げられるカジノエリア、ピンクネオンが怪しく光るストリップエリア、その中でキャッシュマクレーは、演劇やミュージカルを見せる劇場と同じ界隈にあるショーエリアに属している。



 ショーエリアはポーラーのほぼ中央に位置し、豪奢な建物の演劇ホール、通称オペラ座の周りに大小様々な劇場やダンスクラブが集まっている。

マクレーのように独立した建物もあれば、ビルに複数の店が入っているところもある。

観客席が設けられたステージ形の劇場、ダンサーと客が一緒になって踊ることができるダンスホール、ダンサーがウェイトレスの役割も担うキャバレー、様式は様々だ。

コンセプトが似ている店は客の取り合いになり、いさかいが起きることも珍しくはない。



 マクレーはショーエリアの中でも端の方にあり、通りを一本挟んだ界隈からストリップエリアが始まる。

トップレスショーやオールヌードストリップの店がムーディな雰囲気を垂れ流し、ネオンも客に媚びるあからさまなものになる。



 あらゆる欲を解放できるこの街では、性的な店もあけっぴろげだ。

欲求をより満たしてくれる店に金を落としたいという要望に応えてか、マニアックな店も多い。

日のあたる世界では理性の鎧に身を包む紳士も、ここではあっさりと本性をさらけ出す。

性癖をオープンにしても誰も気に留めず、干渉もしない。

それがポーラーの魅力だった。



 時間をかけてタバコを吸う間、視界の隅でうごめくものがあるのに気付いていた。

マクレーの裏にあるビルの三階の窓辺で、男女がもつれ合っている。

あたしがここに来た時は細長い窓にドレスの背中が寄りかかっているだけだったのに、今ではすっかり盛り上がり、背中のファスナーが下ろされて白い肌がむき出しになっている。

その肌を、前側から伸びる武骨な手がせっかちに撫でていた。

汗ばんだ背中はガラスに人型の曇りを作り、不規則に揺れる度にそれが壊される。

あそこには確か、ゴッデスというショー店舗が入っている。

営業中であるはずの時間にあんなに盛り上がって、よほど暇なんだろうか。



 すぼめた唇で煙を吹きかけ、その光景を濁して遊んでいると、隣のビルから声が降ってきた。



「こんばんはクルト。今日の入りはどう?」



 ここより高い非常階段の踊り場で手を振るのは、隣の店に勤める顔なじみのシークだった。

ショーエリアで許されるラインぎりぎりの危ういショーを売りにしている店のダンサーだ。

通りのネオンを受けてパープルに明滅するその笑みに、指に挟んだタバコを揺らしてあいさつを返す。



「おかげさまで上々」

「今夜はマージもステージに上がるんでしょ? クルトとマージが揃う夜、うちの方はさっぱりよ。こんなに早い時間から休憩ばっかり取らされてる。あーあ、そろそろ見切りをつけて違う店に行っちゃおうかな。マクレー、人手は足りてるの?」

「残念ながら」

「なーんだ。マクレーは待遇がいいから狙ってるのにな。あーあ、今夜もろくな稼ぎにならないし、閉店してからパパに会いに行こうかな」



 欄干に頬杖をつき、シークは含み笑いを洩らした。



 シークのように客と個人的に親しくするショーガールは多い。

最初から分厚い財布を目当てにすり寄る女がいれば、友達感覚でパトロンを作る女もいる。

どの店もトラブルを避ける為に特定の客を贔屓するのを禁じてはいるものの、それは表向きの話だ。

若い女をルールで縛るのは難しいことを誰もが知っていて、プライベートな時間に起きたことには目をつむってくれる。

経営が苦しい店では、集客目的でパトロンを作ることをすすめるケースもあった。



「お疲れ様。そっちのオーナーは閉店後の方に緩いんだっけ? そうだとしても、誰が見ているかわからないところで盛っちゃだめよ。あんな風に」



 短くなったタバコで例の窓を指す。

さっきと体勢が変わって、女がこちらに顔を向けていた。

はしゃぎ声が聞こえてきそうな程に口を開き、激しさを増している。

数秒の間それに見入り、シークは愉快そうに声を上げた。



「わお、真っ最中じゃないの。しかもあれ、ハマナじゃない。あーあ、ハマナったらいいのかなぁ、あんなところで油を売って」

「よくないわよね。油どころか何を売っちゃったのやら」

「ハマナはあそこのオーナーのお気に入りで、個人的に可愛がられてるって噂よ。ずいぶん甘やかしてもらってるのに、店の中であんなに盛り上がって。あらあらかわいそうに。ここまではっきり見えてたらさすがに逃げられないわよね」



 同情するのは言葉だけで、その声は獲物に舌舐めずりをする獣のように興奮している。

退屈な夜にちょっとしたスパイスを見つけたシークは、少女のように可愛らしく笑った。



「私、ハマナとは犬猿の仲なのよね。あの高慢なハマナの鼻をいつか明かしてやりたいと思ってたの。ありがとうクルト。退屈な夜が楽しくなりそうだわ」



 くすくすと笑い声を残して、シークは軽やかに階段を下りていった。

暇を持て余す仲間に今見た光景を伝え、自分たちの暇とあの女を潰しに行くのだろう。

天国に手をかけている彼女は、もうじき地獄へ真っ逆さまだ。でも誰のせいにもできない。

ここでは全てが自己責任だ。



 ご愁傷さまと呟いて、あたしは灰皿代わりに置かれた空き缶へ吸い殻を落とした。



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