5-5
料理が冷めないうちに、と手を付けながら、ホワイトマンは言葉を選んで話し始めた。
「早速退屈させてしまうかもしれませんが、私の仕事の話をさせてください。
私はここから遠く離れた場所で、物品の仲介販売をする会社に勤めています。
流通のレールが敷かれていないところの特産物を、世界中へ代理で販売する仕事です。
その土地でしか作ることができない食糧品や、独自の文化の中で生まれた日用品や装飾品など、様々な品物を取り扱っています。
私は世間にあまり知られていない地域の品を見つけ出す役目を担い、様々な土地を転々としてきました。
そこに住む人たちと交流をして、歴史と共に培われてきた大切な品を商品として販売してみないか、と交渉するのです。
私は長い間、そうして世界中の人たちと関わってきました」
退屈するどころか、初っ端から面白そうな話が飛び出してきて、思わず食事の手を止めた。
「すごい、そんな仕事があるのね。世界中を旅してきた人が、今あたしの目の前にいるの? あたしはたった二つの街しか知らないのに、信じられないわ。ねぇ、あなたは今までにいくつくらいの品物を世に出してきたの?」
「そうですね、もう四十年近く勤めているので、百を越える数は」
「そんなに多くの交渉を成功させてきたの。あなた、なかなかやり手なのね。あたしの世界をあなたが知らないように、あなたの世界はあたしには想像がつかないわ」
「とはいえ、全ての商品が軌道に乗ったわけではありません。
交渉が成立したものの思うように売り上げが伸びず、不満をぶつけられたことは数え切れません。
伝統の品を世に出すことへの抵抗が拭えず、取り扱いの直前で交渉が決裂したこともありました。
悪路続きの道で車のガソリンが底を突いて途方に暮れたり、代々伝わる宝を奪う悪者扱いされて、命からがら逃げ出したこともありましたね」
「なかなかハードなのね。まるで映画みたい。それじゃあ、今まで行った場所で強く印象に残ってるのはどんなところ?」
ホワイトマンは楽しそうに視線を持ち上げ、少し遠くを見て話し出した。
「あれは麦畑が広がる牧草地での出来事です。
交渉が決裂した取引の帰り道、不意に路線図の果てまで行ってみたい、と思い立ちました。
開拓がうまくいかなかったことで、少しやけになっていたんでしょうね。
特急列車を使えば会社まで半日で戻れるところを、反対方向に向かう鈍行列車に乗り込みました。
ぺしゃんこになった固い座席で約一日、辛抱強く耐え続けた末、名前を聞いたこともないほんの小さな駅に到着しました。
騒々しい音を上げて走る列車は、小さな駅に私だけを下ろして、不愛想に来た道を引き返していきました。
そこに駅員はなく、他に乗り降りする者もありません。
時刻表を見ると、その駅に列車が訪れるのは日にたったの一度だけ。
次の便は明日にならないと来ないのだということを、そこに下りたってから知りました。
しかし私は絶望しませんでした。
なぜならその駅舎は、あたり一面が麦畑に囲まれていたからです。
季節がよかったのでしょう、見渡す限りの黄金色の畑には、たわわに麦が実り、風に吹かれて揺れていました。
駅舎の周囲には何もなく、聞こえる音といえば麦穂が揺れるさわさわという音だけ。
その光景を見て、私の胸は躍っていました。
そんな幻想的な景色に出会えるとは、思ってもみませんでしたから。
軽い音と芳ばしい香りを堪能していると、駅舎の屋根がぱらぱらと音を立て始めました。
足元を見ると、落ちた粒が数えられそうな程にささやかに、雨が降り出していました。
すぐに乾いてしまうだろうという程に淡い水滴の跡が、ランダムに、けれど等間隔に落ちてきます。
空を見上げても、それらしい雨雲はありません。
青空に浮かぶうっすらとした綿雲から、粉砂糖をふるいにかけたような雨が舞っていました。
すると、どこからともなく音が聞こえてきました。
さあさあというか、しゃらしゃらというか、とにかく耳に心地いい音が、一帯に響き渡っているのです。
しばらくの間耳を澄ませて、ようやくその正体に気がつきました。
目の前に広がる麦が、雨に打たれて鳴っていたのです。
風に吹かれた時とは異なる、なんとも涼しげな音を立てて。
私は駅舎にぽつねんと立ち尽くして、雨が止むまでその音を聞いていました」
ホワイトマンは、思い出の中からふっとあたしの前に帰ってきて、何か意見を聞くように手の平をこちらに向けた。
「さて、見渡す限り麦畑の広がるその村で、私は何を特産品として持ち帰ったかわかりますか?」
ホワイトマンが語る畑の中で佇んでいたところに問いかけられ、あたしははっとして首をひねった。
「麦でしょう? ストレートに考えてビールかしら」
「ご名答です。
ですがそのビールは、市場に出回っていたものとは一線を画していました。
そこの麦で作ったビールは、金色の絵の具に白を混ぜて清らかな水で何度も溶いたように、透明度の高い美しさを持っていて、まさにその村の麦畑そのものの色をしていました。
鼻に抜ける香りも、舌を滑る味わいも軽く、飲む者を魅了する一品でした。
今までそこの村人だけが楽しむことができた希少価値のあるビールを、私は世に出しました。
それは愛好家はもちろん、アルコールにそう強くない人にも受け入れられていきました。
そのビールを持ち帰ったことで、私は社に高く評価されました。
しかし、私はその功績以上に大切なものを得たと実感しています。
それは、今しがたお話しした、麦畑の雨の光景です。
その時に独り占めした夢のような一幕を、私は会社の人間に教えませんでした。
商売意欲の強い人間に、あの光景をも売りに出されてはたまらない、そう考えたのです。
それは私の勝手なわがままですが、今この時も、あの村では健やかに麦の穂が揺れているのだと考えると、その判断は間違っていなかったのだと思えます」
ホワイトマンの語る風景は、音やにおいをもって脳裏に広がっていた。
まるであたしまでその場に迷い込んだかのような、リアルな感触が伝わってきた。
「あなたの話、とても面白いわ。
こんな体験を聞かせられて、あたしが退屈すると本当に思ったの?
そんなことちっともない。
あなたの思い出の麦畑を想像して、一緒にわくわくしてるくらいよ。
ねぇ、他には?
他にはどんなことがあったの? どんな街に行ったの?
あたしの知らない場所の話を、もっと聞かせてよ」
*




