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ホワイトマンが選んだのは、大通りから一本入った小道にある小さな喫茶店だった。
飾り気のないビルに挟まれても違和感がないシンプルな外観で、意識して目を凝らさない限り見落としてしまいそうなところだ。
ホワイトマンが案内してくれなかったら、あっさり素通りしていただろう。
壁にはめこまれたビルと同系色のほんの小さな看板だけが、そこがしばしの休息を許してくれる場であることを示していた。
ホワイトマンはここに何度か訪れたことがあるらしい。
ドアから下がるカウベルを鳴らして店内に入ると、エプロン姿の年配の女性店員が、親しげな笑みを見せてくれた。
案内されたのは、店の一番奥にある、通りを眺められる席だった。
ランチタイムにもティータイムにも利用できる店らしく、店員が持ってきた年季の入ったメニューには、メイン料理から軽食、デザートに飲み物と様々な品名が書かれていた。
その中から、ホワイトマンは魚、あたしは肉料理を選んだ。
小道に面した窓ガラスは、店内と外の気温差からうっすらと結露していて、時折思い出したように雫が筋を作って落ちていく。
天井に備え付けられたスピーカーからは、往年のヒットナンバーが控えめに流れている。
あたしたちの他に客が一人いて、カウンター席で店主と思しき老齢の男性と談笑している。
あたしが座るところから店主の手元は見えないけれど、動作と音から手動のコーヒーミルで豆を挽いているのがわかった。
コーヒーポットを手に身体を傾ける店主の顔が、手元から立ち上る湯気で隠れていく。
挽きたてのコーヒー豆から上る香ばしい香りを想像して、口元が緩んだ。
「居心地のいいお店ね。あなたのお気に入りなの?」
「ええ。街歩きに疲れた時、度々お邪魔しています。ここに限らず、一息つける場所で時計を気にせずに過ごす時間が気に入っているんです」
「なら、昨晩言ってたのもカフェの名前だったのかしら。ほら、待ち合わせ場所を決める時に、いくつか挙げてくれた」
「ああ、あの時の。そうですね、トレイルはカフェですが、モールストークとリテイクスリーはレストランです。どこも小さいですが素敵な店ですよ」
「そうだったの。あなたには、お気に入りの場所がたくさんあるのね」
あたしだったら、気に入っている場所は誰にも教えたくない。
せっかく見つけた居心地のいい場所を、他人に取られるように感じるからだ。
でもホワイトマンは、そういう幼い独占欲を持ち合わせていないらしい。
ホワイトマンは、優しい表情で窓の外に視線を移した。
目の前にいるあたしを視野に入れつつ、道行く人を穏やかに眺めている。
もしあたしが話しかけたら、すぐに視線をこちらによこして、寸前まで話をしていたような自然な仕草で会話に戻ってきてくれる。
そんな気遣いが感じられた。
この小道は、大通りから別の通りへ抜ける近道なのか、様々な人が行き交っている。
ショッピングバッグを肩から下げた人や、書類に目を落としながら電話をする人、杖を片手にゆっくり歩く人、あたしの知らない生き方に忙しい他人が、笑ったり怒ったりしながら通り過ぎていく。
「道行く人をぼんやり眺めるのって面白いものね。この人はどうして笑っていて、この人はどうして焦っているのか、勝手にストーリーをつけたくなっちゃう」
案の定すぐにこちらへ視線を戻したホワイトマンに一度微笑みかけてから、水の入ったグラスに口をつけた。
なんの変哲もない水に見えるのに、飲み下した後に爽やかなレモンの香りが鼻を抜けていく。
音を立ててぶつかり合う氷はほんのりと黄色みを帯びていて、中にレモンピールが閉じ込められているようだ。
もしかすると果汁も入っているのかもしれない。
真冬にも関わらずきんきんに冷えた水は好きじゃなかったけれど、こういう工夫があるのはとてもいい。
「そうですね。一日中眺めていても飽きません。様々な人がいるこの街は、楽しいところですね」
「あたしもそう思うわ。漂う活気がそこかしこに張り付いていて、夜の間も寂しさを感じさせないもの」
からりと晴れた口調で「まぁ、あたしは寂しさを感じたりしないんだけどね」と弁解を含ませて言うと、ホワイトマンはその先を追及してはこなかった。
「それにしても、昨晩はお誘いいただけるとは思わなかったわ。一体どういう風の吹き回し?」
嫌味っぽくならないように気をつけたつもりが、多少なりとも責める声になってしまったのかもしれない。
ホワイトマンは申し訳なさそうな顔で眉尻を下げた。
「今後、あなたと話をする機会がなくなるかもしれないと思ったら、とっさにお誘いしてしまいました。不躾なことをして申し訳ありませんでした」
「謝ったりしないでよ。あたし、正直に驚いたの。だってあなた、今まであたしの誘いに一度も乗ってくれなかったから。だから、あなたは笑顔を浮かべてはいるものの、心の底ではあたしのことを嫌ってるんじゃないか、なんて思ってたくらいなの」
不機嫌が晴れない日が続いたり、マージに当たったりしたことは隠して、ちょっぴり悲しそうな顔をしてみせる。
「まさか。そんなことはありません、決して」
珍しく語調を強めて言った後、ホワイトマンは自分の言葉に驚いた顔をした。
次いで短く何かを思案する顔をして、徐々に決まりの悪い顔になり、最後は苦笑に落ち着いた。
けれど今のあたしには、その移ろいを悠長に推察するだけの余裕はない。
握ったこぶしでテーブルを叩かんばかりの勢いで、猛烈に食いついた。
「それ、本当? ならどうして誘いに乗ってくれなかったの? あたし、何度もあなたに声をかけたじゃない」
浮かべていた苦笑を困惑に変え、ホワイトマンはテーブル上に視線を散らした。
でもそこに置かれている調味料も紙ナフキンもホワイトマンを助けることはなく、向き合っているあたしは逃げるのを許さない。
じきに観念して、蚊の鳴くような声で言った。
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