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あたしとしては珍しいことに、今朝はホワイトナイトが活動を始める前に目を覚ました。
日付が変わる前に寝入ったおかげで、すっぱり夢から抜け出すことができた。
頭の中はクリアだし身体も軽い。たまの早寝も悪くない。
朝食を求めるお客に混じって現れたあたしに、パン屋の主人は目を丸くした。
「今朝はちゃんとおはようの時間帯に来たね」
「今日は予定のある休日だから早起きなの。あたしだって、たまにはやるもんでしょ?」
お気に入りのフルーツサンドと新作のマフィン、ホットコーヒーを持ち帰り、カーテンを開いた明るい部屋で、時間をかけて平らげた。
冬のかすれた日差しに暖められ、小指の幅程度になら窓を開けていても寒くない。
ぬるくなったコーヒーを片手に窓辺に立ち、ひだまりの中で街を見下ろす。
たとえ弱々しい日差しでも、その中でじっとしていると身体が芯から温まる。
でも心までぽかぽかしているのは、そのせいばかりじゃない。
今日これからの予定に、少なからず胸が弾んでいるからだ。
ヘアサロンやエステの予約とは違い、特定の誰かとの約束がある休日は久しぶりだった。
この街に来てからは初めてのことかもしれない。
待ち合わせに遅れないように、時間を逆算して支度を始める。
たったそれだけのことに、何とも言えない高揚感が沸き上がってくる。
さて、今日はどんな格好で出掛けようか。
何色の服?
どんな形?
スカートの丈はどのくらい?
クローゼットを覗き込み、あれこれ手にとってはこれじゃないと元に戻す。
キュートなピンク、落ち着いたボルドー、セクシーなパープル、どの服を合わせても、隣に立つ人が白いことを思うと派手すぎる気がする。
クローゼットを奥まで探ったら、一目惚れして買ったもののまだ一度も着ていないネイビーのワンピースが出てきた。
そうだ、あたしいつだったかも、これならあの人の隣に並ぶのに相応しいと思ったんだ。
スカートの丈は、風に煽られても下着を気にせずにいられる程度で、あたしが持っているものの中では上品な方だ。
肩口から腰の辺りまで伸縮性のある生地でできていて、身体のラインがきれいに出るのに窮屈さはない。
背中に縫い付けられたリボンを、アンダーバストの下で結ぶ構造になっている。
鏡と睨み合いながら丁寧に結ぶと、いいアクセントとして胸元を飾ってくれた。
それに、ラメ糸が織り込まれて光の具合で瞬いて見えるタイツと、ベロア生地の白いパンプスを履き、スカートと同じ丈のグレーのPコートを羽織り、姿見でバランスを見る。
うん、悪くない。
くるくる回って一人ファッションショーを済ませたら、次はメイクに取り掛かる。
服に合わせて、夜の始まりを思わせる空と似た色合いのアイシャドウを乗せた。
色味はシックでも、目尻に馴染ませたシルバーのグリッターが、まばたきの度に光を拾うから、決して地味にはならないだろう。
そういった小業はマクレーで鍛えられたものだ。
メイクが済んだら次は髪の手入れをしなくちゃならない。
仕事は山積みだ。
でも少しも嫌じゃない。
時折鼻歌まじりで整えた身支度は、約束の時間よりもずいぶん早くに終わってしまった。
スカートにしわができるのが嫌で下手にソファにも座れない。
意味もなく部屋をうろつき回り、何度も姿見を覗き込む。
念入りに化粧はした。
三面鏡とにらめっこして髪形も完璧に整えた。
これ以上何もすることがないのに、手持無沙汰なせいで数分おきに鏡の前に立ってしまう。
さっきから何度も時計を見上げているけれど、針はわざともたもたしているみたいにちっとも進まない。
時間の経過って、こんなにも遅かったかしら。
あたしの部屋から待ち合わせ場所の時計塔まで、十五分も歩けば着く。
それでも何かアクシデントがあるといけないから、三十分前には部屋を出た。
外は、小さくちぎった綿を薄く伸ばしたような雲が浮く、気持ちのいい快晴だった。
夜のうちはつれなく肌を叩く冷気も今は息をひそめ、柔らかい風が襟元のファーの毛足をそっと撫でている。
平日の昼間のホワイトナイトには、穏やかな空気が流れている。
どの店も眠たげに口を開け、ガラスの向こうの店員ものんびりと仕事をしている。
あたしが出歩く時のホワイトナイトはいつもこんな感じだ。
週末ともなれば、どの店も客でごった返して、何をするにも行列待ち、なんてことになるのかもしれないけれど、そんな時にわざわざ出掛けたことはないから想像しかできない。
危惧していたアクシデントなんて一つも起こらず、程なくして時計公園が見えてきた。
レンガ造りの時計塔を中央に置き、周囲にはベンチが並んでいる。
幼い少年から年配の女性まで、様々な年代の人間がそこでくつろいでいる。
サンドイッチを片手に本を読む若い男性、目の前に時計塔があるにも関わらず腕時計と睨み合っている年頃の女性、リードで繋いだペットの小型犬に話しかける老齢の夫婦、首を限界まで倒して時計塔を見上げる少年とその母親。
思い思いの時間を過ごす人たちの中に見覚えのある人物を見つけ、背筋にぴっと緊張が走った。
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