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「今夜も最高だったよクルト。お前のステージは何度見ても胸が躍る。リハーサルで見ているのにまた興奮させられたよ」
スキンシップが過剰な支配人は、例の幼い笑みを浮かべステージから帰ったあたしをきつく抱きしめた。
「ありがとう支配人。あなたにそう言ってもらうのが何よりの労いだわ。あたし、今夜もあなたの手の上で踊ることができて幸せよ」
「なんだ、それは皮肉かい?」
「まさか。マクレーのライトを独占できて嬉しいっていう意味」
大げさなアクションで抱きつくと、支配人の機嫌は底抜けによくなる。
「愛してるよ、俺の可愛い宝石ちゃん」
あたしの背をぽんぽんと叩き、満足した支配人は次のステージを控えるショーガールの元へ飛んでいった。
公演中の楽屋は忙しないけれど、支配人が走り回ることでそれに拍車がかかる。
でも、あの人の大げさな激励がないとショーガールたちの士気が今一つ上がらないのも事実だった。
いつもの光景を見渡してほっと息をつく。
あたしは今夜も彼のお気に入りでいることができた。上出来だ。
次の出番まで一服しようと気を抜くあたしを、鋭い声が呼んだ。
肩を竦めて振り向くと、長身の美女が「こっちにおいで」と指先を動かしていた。
「お疲れ様、マージ。なぁに? あたしに何かご用?」
「私が小言を言おうって時は必ずそうやってかわいこぶるね。まぁ、そういう態度をとるってことは、私の言わんとすることはわかってるんだろうけど」
そう前置きをして、キャッシュマクレーのナンバーワンショーガールであるマージは、魅力的な垂れ目を鋭く細めた。
「さっきのステージ、ずれた衣装。あんた、前も同じところで衣装を乱したことがあっただろう。同じタイミングで二度目の失敗。笑えないね。うまく手直しできなかったらどうするつもりだったんだ」
あたしを追い詰めるしかめ面に、つんとすまして言い返す。
「どうもこうも、むきだしになった胸をステージ上でさらけ出すだけだわ」
この手のジョークをマージが嫌うことを知りながら悪ふざけをして、オーバーなアクションを交えてその身体にすり寄る。
「そんなに怖い顔をしないで。ちゃんとわかってるわ。そういうのがマージの望まないステージだってことくらい。大丈夫、三度目はないわ。だからそんな顔はやめて。あなたはおおらかに笑っていた方が素敵よ」
言葉を挟ませないよう早口で言った減らず口は、マージの大きな溜息にかき消された。
手足が長く迫力があるマージは、あたしの先輩ショーガールであり、キャッシュマクレーの副支配人でもある。
マージは女の盛り頃にしか出せない独特の魅力を心得ていて、あたしには表現できない艶のあるパフォーマンスで不動の人気を誇っている。
マクレーの女性群の中で一番背が高く、涼やかな美人で一見とっつきにくいけれど、どんな人間にも人当たりがよくさばさばした性格で、年上からも年下からも頼りにされている。
ノーメイクでも魅力的な大きな垂れ目に、今はステージ用のメイクが施され色気が増している。
ブルーグレーの理知的な瞳には、小娘が欺ける隙なんてない。
あたしのはったりがマージに通用したことなんて今までに一度だってなかった。
もっとも、すぐに見抜けるような嘘しかつかないあたしもあたしだけれど。
「その重そうなバングル。イルが用意した衣裳の中にはなかったね。
どうせあんたを甘やかしてばかりの誰かさんが、見栄えのよさだけを考えて買ってきたんだろう。
確かに似合ってるけど、邪魔になるならつけなくてもいい。
そんなもの必要ないくらい、あんたはステージ映えするんだから。
まったく支配人は、ステージを作る才能に長けていても、ショーガールの負担には疎いんだから」
「あらすごい。バングルのことまでよくわかったわね。うまくごまかせたと思ったんだけどな」
「あんたは取り繕うのがうまいから、私以外に気付いた奴はいないだろうよ」
「さすがはマージ。自分のステージが控えてるのに、しっかりあたしを見ていてくれたのね」
「あんたのことはいつでも見てるさ。何せ私は、あんたのお節介を焼くのが好きで好きでたまらないんだからね」
それは今までにもう何百回と言われている言葉だ。マージに言わせると、あたしは危なっかしくて仕方がないらしい。
お目付け役を買って出て、ステージ中はもちろん、日常のことにも首を突っ込んでくる。
マージとの関係が浅い頃はそれを疎ましく思ったこともあるけれど、今ではあっさりと聞き流せるくらいになった。
単純に慣れたというのもあるけれど、それ以上にあたしもマージのことが好きで、邪険に扱うことができないからだ。
マージはあたしより五つ年上で、キャッシュマクレーにとって要のショーガールだ。
マージと支配人は過去に同じバーで働く歌手とバーテンダーだった。
二人が勤めていた店主が店を畳むタイミングで支配人がマージに声をかけ、二人三脚でキャッシュマクレーを立ち上げたと聞いている。
二人はとても仲がいいけれどあくまで相棒同士という関係で、決して男女の仲ではないと断言している。
それは傍から見ても明らかで、二人ともマクレーのことになると目の色を変えて話を始め、他人を一切寄せ付けなくなる程だった。
支配人はマクレーの経済管理や様々な交渉を、マージはマクレーの財産であるショーガールたちの指導や教育を担当している。
他にもステージの設営、照明や音響、新しい衣装の最終確認など、男性スタッフに任せている仕事にも目を通している。
それに加えて自分のステージもある。
想像しただけでめまいがしそうな程に多忙なのに、マージはいつも鷹揚に構えていた。
厄介事にも顔色を変えず、なんでも器用にこなすスマートなマージに、あたしは憧れを抱いている。
誰に対しても態度を変えず親身になってくれるマージを慕い、マクレーのショーガールはもちろん、よその店の男も女も相談事を持ち込む始末だった。
あたしが男だったなら、マージのことを放っておかないだろう。
マージのファンを始めとする世の男たちもそうなんだろうけれど、マージには男の影がなく、浮いた噂の一つも聞いたことはなかった。
あたしはそれを、忙しすぎるのが原因なんじゃないかと踏んでいた。
「ともかくご助言ありがとう。次はちゃんと気をつけるわ。ほら、出番が近付いてきたわよ。はしたないミスをしないようにマージもがんばってね」
「誰に言ってるんだ。私はあんたみたいなへまはしないさ」
互いに挑発して笑い合い、マージは耳の下で結った黒髪をつやりと払いステージに向かった。
あたしはマージに背を向けて、反対方向へ歩き出す。
ステージから遠ざかるにつれ、ホールを震わせる音楽がブーブーという低い音に変わっていく。
屋上に続く非常階段のドアを身体で押し開けると、吹き込んできた冬の風が騒々しい空気を吹き飛ばした。
きんと引きしまった夜気は火照った身体に心地よく、誘われるようにして重いドアをすり抜けた。
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