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ホワイトマン  作者: 水見 あさや
1.日常
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1-4


「今夜も最高だったよクルト。お前のステージは何度見ても胸が躍る。リハーサルで見ているのにまた興奮させられたよ」



 スキンシップが過剰な支配人は、例の幼い笑みを浮かべステージから帰ったあたしをきつく抱きしめた。



「ありがとう支配人。あなたにそう言ってもらうのが何よりの労いだわ。あたし、今夜もあなたの手の上で踊ることができて幸せよ」

「なんだ、それは皮肉かい?」

「まさか。マクレーのライトを独占できて嬉しいっていう意味」



 大げさなアクションで抱きつくと、支配人の機嫌は底抜けによくなる。



「愛してるよ、俺の可愛い宝石ちゃん」



 あたしの背をぽんぽんと叩き、満足した支配人は次のステージを控えるショーガールの元へ飛んでいった。

公演中の楽屋は忙しないけれど、支配人が走り回ることでそれに拍車がかかる。

でも、あの人の大げさな激励がないとショーガールたちの士気が今一つ上がらないのも事実だった。



 いつもの光景を見渡してほっと息をつく。

あたしは今夜も彼のお気に入りでいることができた。上出来だ。



 次の出番まで一服しようと気を抜くあたしを、鋭い声が呼んだ。

肩を竦めて振り向くと、長身の美女が「こっちにおいで」と指先を動かしていた。



「お疲れ様、マージ。なぁに? あたしに何かご用?」

「私が小言を言おうって時は必ずそうやってかわいこぶるね。まぁ、そういう態度をとるってことは、私の言わんとすることはわかってるんだろうけど」



 そう前置きをして、キャッシュマクレーのナンバーワンショーガールであるマージは、魅力的な垂れ目を鋭く細めた。



「さっきのステージ、ずれた衣装。あんた、前も同じところで衣装を乱したことがあっただろう。同じタイミングで二度目の失敗。笑えないね。うまく手直しできなかったらどうするつもりだったんだ」



 あたしを追い詰めるしかめ面に、つんとすまして言い返す。



「どうもこうも、むきだしになった胸をステージ上でさらけ出すだけだわ」



 この手のジョークをマージが嫌うことを知りながら悪ふざけをして、オーバーなアクションを交えてその身体にすり寄る。



「そんなに怖い顔をしないで。ちゃんとわかってるわ。そういうのがマージの望まないステージだってことくらい。大丈夫、三度目はないわ。だからそんな顔はやめて。あなたはおおらかに笑っていた方が素敵よ」



 言葉を挟ませないよう早口で言った減らず口は、マージの大きな溜息にかき消された。



 手足が長く迫力があるマージは、あたしの先輩ショーガールであり、キャッシュマクレーの副支配人でもある。

マージは女の盛り頃にしか出せない独特の魅力を心得ていて、あたしには表現できない艶のあるパフォーマンスで不動の人気を誇っている。

マクレーの女性群の中で一番背が高く、涼やかな美人で一見とっつきにくいけれど、どんな人間にも人当たりがよくさばさばした性格で、年上からも年下からも頼りにされている。

ノーメイクでも魅力的な大きな垂れ目に、今はステージ用のメイクが施され色気が増している。

ブルーグレーの理知的な瞳には、小娘が欺ける隙なんてない。

あたしのはったりがマージに通用したことなんて今までに一度だってなかった。

もっとも、すぐに見抜けるような嘘しかつかないあたしもあたしだけれど。



「その重そうなバングル。イルが用意した衣裳の中にはなかったね。

どうせあんたを甘やかしてばかりの誰かさんが、見栄えのよさだけを考えて買ってきたんだろう。

確かに似合ってるけど、邪魔になるならつけなくてもいい。

そんなもの必要ないくらい、あんたはステージ映えするんだから。

まったく支配人は、ステージを作る才能に長けていても、ショーガールの負担には疎いんだから」

「あらすごい。バングルのことまでよくわかったわね。うまくごまかせたと思ったんだけどな」

「あんたは取り繕うのがうまいから、私以外に気付いた奴はいないだろうよ」

「さすがはマージ。自分のステージが控えてるのに、しっかりあたしを見ていてくれたのね」

「あんたのことはいつでも見てるさ。何せ私は、あんたのお節介を焼くのが好きで好きでたまらないんだからね」



 それは今までにもう何百回と言われている言葉だ。マージに言わせると、あたしは危なっかしくて仕方がないらしい。

お目付け役を買って出て、ステージ中はもちろん、日常のことにも首を突っ込んでくる。

マージとの関係が浅い頃はそれを疎ましく思ったこともあるけれど、今ではあっさりと聞き流せるくらいになった。

単純に慣れたというのもあるけれど、それ以上にあたしもマージのことが好きで、邪険に扱うことができないからだ。



 マージはあたしより五つ年上で、キャッシュマクレーにとって要のショーガールだ。

マージと支配人は過去に同じバーで働く歌手とバーテンダーだった。

二人が勤めていた店主が店を畳むタイミングで支配人がマージに声をかけ、二人三脚でキャッシュマクレーを立ち上げたと聞いている。

二人はとても仲がいいけれどあくまで相棒同士という関係で、決して男女の仲ではないと断言している。

それは傍から見ても明らかで、二人ともマクレーのことになると目の色を変えて話を始め、他人を一切寄せ付けなくなる程だった。



 支配人はマクレーの経済管理や様々な交渉を、マージはマクレーの財産であるショーガールたちの指導や教育を担当している。

他にもステージの設営、照明や音響、新しい衣装の最終確認など、男性スタッフに任せている仕事にも目を通している。

それに加えて自分のステージもある。

想像しただけでめまいがしそうな程に多忙なのに、マージはいつも鷹揚に構えていた。

厄介事にも顔色を変えず、なんでも器用にこなすスマートなマージに、あたしは憧れを抱いている。

誰に対しても態度を変えず親身になってくれるマージを慕い、マクレーのショーガールはもちろん、よその店の男も女も相談事を持ち込む始末だった。



 あたしが男だったなら、マージのことを放っておかないだろう。

マージのファンを始めとする世の男たちもそうなんだろうけれど、マージには男の影がなく、浮いた噂の一つも聞いたことはなかった。

あたしはそれを、忙しすぎるのが原因なんじゃないかと踏んでいた。



「ともかくご助言ありがとう。次はちゃんと気をつけるわ。ほら、出番が近付いてきたわよ。はしたないミスをしないようにマージもがんばってね」

「誰に言ってるんだ。私はあんたみたいなへまはしないさ」



 互いに挑発して笑い合い、マージは耳の下で結った黒髪をつやりと払いステージに向かった。

あたしはマージに背を向けて、反対方向へ歩き出す。

ステージから遠ざかるにつれ、ホールを震わせる音楽がブーブーという低い音に変わっていく。

屋上に続く非常階段のドアを身体で押し開けると、吹き込んできた冬の風が騒々しい空気を吹き飛ばした。

きんと引きしまった夜気は火照った身体に心地よく、誘われるようにして重いドアをすり抜けた。



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