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「ねぇ、あたしも口を挟んでもいいかしら。シークの話を聞く分に、あたしはハマナが思い人と駆け落ちしたんじゃないかと思ってしまうんだけど。外の鍵を開けたのは、あの夜抱き合っていた男。ハマナは何らかの手段で、その男に軟禁されていることを伝えて助けに来てもらった、とか」
マージが難しい顔であたしに向き直る。
シークは鼻をすすり上げ、沈んだ声で言った。
「確かにそれも一理あるわ。でも可能性としては低いの。
騒動の後、ハマナはその男のことを口汚く罵ってたんですって。
私をこんな目にあわせて、自分だけ逃げ出すなんて許せない。あいつの手際が悪いせいでこんなことになった。一言いってやらないと気が済まない、って荒れ狂ってたって、見張りが。
ハマナと例の男が何度か関係を持った間柄だったとしても、プライドの高いハマナの怒りを買った以上、恋人には戻れないと思う」
シークはソファに座り直し、首を傾けてあたしを見上げた。
「それからね、実はハマナは、昨晩を最後に軟禁を解かれる予定だったそうなの。
オーナーとハマナの口約束を、見張りが聞いてたのよ。
「ひどいことを言ってごめんなさい。あの時、私はどうかしていたの。客のふりをしてきたあの男が、強引に関係を迫ったの。私、怖くて従うしかなかった。本当に、あんまりにも怖くて気持ちがショートして、助けに来てくれたあなたにまでひどいことを。愛しているのはあなただけなのよ、信じて。私、早くあなたに触れたいの」って。
オーナーは、鍵は開けずドア越しに、わかってる、わかってるよ、かわいそうなお前に与える罰は今夜で終わりだ、明日ここから出してやろうって、頷いていたって」
なるほど、ハマナはシークの話の通りしたたかな女らしい。
誰にでも都合のいいことを言うところは私と同じだ。
シークがいる手前口には出さないけれど、あたしは金と地位の為に態度をころころ変えられるハマナが、まんざら嫌いじゃないと思った。
真剣な顔を崩さず、更に話をしようとしているシークを見つめる。
「駆け落ちじゃないっていう決定的な証拠が、隣人が聞いた声なのよ」
「声?」
「ええ。隣の部屋に住む女性が、言い争いの声を聞いてるの。全部を聞き取ったわけじゃないけど、かいつまんでみると、さっき言ったハマナの罵りと同じ内容だったみたい」
「男を非難するような?」
「そういうこと。次第に罵りから口論になって、最終的には悲鳴じみた声と騒々しい物音に変わって、突然静かになったって」
想像するに、あの夜抱き合っていた男が、見張りが離れた隙に鍵を壊してハマナの部屋に入って、罵られ、口論をして、何らかの手段でその口や動きを封じて、連れ出した。
そういうことだろうか。
「その隣人は、ハマナが喚いたり騒々しい音を立てたりするのはいつものことだから、また始まったかと思う程度で特に気にしなかったんだって。騒ぎになってから、そういえばあの時、って話を聞かせてくれたって」
「なるほどね。
今シークが話してくれたことをまとめると、押し入った男はハマナに思いを寄せていたけど、ハマナの方は恨みを募らせていた。
その男は、ハマナの部屋を知っていて……勝手に突き止めたのか、前にそこで遊んだことがあるのかわからないけど、とにかく部屋を知っていて、どこかから様子を窺っていたのかもしれない。
閉じ込められているハマナを助けようとでも思ったのかね。
それで運よく見張りが部屋を離れた隙に、鍵を壊してドアを開けた。
助けたことに礼の一つも言われると思っていたのが、当のハマナはひどくご立腹で、したり顔を見せる男をきつい口調で問い詰めた。
始めは混乱していた男も、ハマナの言葉に煽られて口論になって、しまいには逆上してハマナを連れ出した、と。
ゴッデスではこういう可能性が最有力なんだね」
マージの考えに、シークは拍手をしながら声を上げた。
「すごい。ゴッデスの前で聞いたのとまったく同じ推測よ」
「何もすごかないよ。こういう可能性に至ったから、騒ぎになってるんだろうと思っただけさ」
拍手の音は次第に収まり、室内に痛い程の静寂が落ちる。
静けさの中にはやり場のない緊張感が漂い、ひと時誰もが口をつぐんだ。
ハマナの一連の話を聞き、あたしの胸にも暗いもやが立ち込めていた。
マージはハマナの不用心さを指摘しつつも、連れ出したと思しき男を恨んでいるだろう。
でもシークと、シークの懺悔を聞いたあたしは、少なからず後悔していた。
マージは、シークが指摘しなくてもハマナの男遊びはいずれ明るみに出ることだったと言った。
でも、口がうまいハマナと、その口車に容易く乗ってしまうオーナーのことだ、第三者が関わらなければ、ハマナはうまい具合に逃げ続けられたかもしれない。
そこに水を差したのはシークの闘争心だ。
いや、そもそもシークに情報を与えたのはあたしだ。
あたしはハマナに何の恨みもなく、ただ面白半分でシークに教えた。
自己防衛できないだらしない女を摘発する、なんて正義心は微塵もなかった。
シークの言葉を借りるなら、あたしがあの夜の出来事を一人で胸の内にしまっておけば、こんなことは起こらなかったんじゃないだろうか。
結果から物を考えても仕方がないことはわかっている。
それでもこの沈黙の中にいると、後味の悪さに似た暗い影が心に居座ろうとする。
深く沈んだ空気を振り払おうと、あたしは足を組み替えて難しい息を吐いた。
「ハマナの件は、時々ポーラーの女が連れ去られる事件とは無関係なのかしら。例の男の一方的な感情の暴発によるものなら、違うと言い切れそうだけど」
「どうなんだろうね。そもそも人さらいの犯人が、一人なのか組織ぐるみなのかもわからない。それがはっきりしないから、なかなか足がつかないのかもしれないね。どちらにせよ、ハマナが男の隙をついて逃げ延びているといいんだけど」
マージは短くため息をつき、胸元にこぼれていた髪を払い立ち上がった。
「ちょっとゴッデスに行って、今の状況を聞いてくるよ。会議の迎えが来るのを優雅に待っている気分でもないしね」
マージはハンガーラックから、丈の長いシックなコートを取り、首元にマフラーを絡めた。
首をひねってこちらを見て、シークに優しく微笑みかける。
「いいかい。もういたずらに自分を責めるんじゃないよ。これは誰かのせいじゃない、ハマナが自分で招いた出来事なんだ。わかったね」
シークに向けた言葉なのに、マージの一言はあたしの気持ちをも軽くした。
もしかすると、マージはあたしも自分を責めようとしていたことを見抜いていたのかもしれない。
こういうところは、いつも敵わないと思う。
シークが頷くのを満足した顔で見つめ、マージは表情を引き締めた。
「この街にいる以上、どんなに些細な危険でも遠ざけるに越したことはないんだ。わかってると思うけど、あんたたちも明日は我が身だと思って警戒するんだよ」
あたしとシークは顔を見合わせて、小さく頷いた。
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