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次の日、あたしは早速、砂糖菓子になだめられた昨晩のことをマージに聞かせようと、早い時間からマクレーへ向かった。
マージはいつものように、楽屋の奥のデスクで事務仕事をしながらスムージーを飲んでいた。
静寂を切り裂いて飛び込んだあたしは、昨日の一悶着のことなんてなかった顔で、次から次へと言葉を吐き出した。
あたしがいつものように振る舞って昨日の話題を避けていることにマージはもちろん気が付いていて、同じように知らん顔で話を聞いてくれた。
そういうマージの後に引きずらない気配りをありがたく思うと同時に、少しだけ居心地の悪さを感じつつも、喋り出した口は止まらない。
あたしの過去にまつわることを省いた事の顛末を、多少オーバーな表現を交え、自分やホワイトマンに対する皮肉もたっぷりに話している間、マージはずっと笑いっぱなしだった。
「まさかあんたが、砂糖菓子ごときに丸め込まれてしまうとはね。驚いて言葉も出ないよ」
「言葉はなくても笑ってるじゃない。もう、他人事だと思って」
「他人事だからこんなに笑えるのさ。ああ、おかしい」
しつこく笑うマージに嘆息して、あたしはカップに半分程残っていたコーヒーを一気に飲んだ。
昨晩は早い時間からぐっすり眠ったおかげで、身体の疲れはすっかり取れていた。
それでも頭の中まできれいさっぱり片付いている、というわけにはいかず、今朝はしかめっ面のまま朝食を調達に行き、パン屋の店主に余計な心配をかけてしまった。
昨晩もホワイトマンに相手にされなかった、というやりきれない思いは、時間が経つにつれて空しさや悲しみを連れてきて、あたしをすっかり滅入らせていた。
それはもう、怒る気力もなくす程に。
「ねぇマージ。あたしに足りないものって何かしら」
「それを私に聞くのかい? どれ、片っ端から挙げてやろうか。それであんたの気が楽になるとは思えないけど」
「そうよね。しばらく俯いていなきゃいけないくらいへこまされそうだからやめておくわ」
両手で頬肘をついてため息をつくあたしを、マージはそっと笑った。
さっきの大笑いとは種類が違う、慰めの色を含んだ優しいものだったけれど、今は微笑み返す気にはならない。
ぶすっとした顔で睨むと、マージは咳払いを一つして表情を取り繕った。
「それじゃあ、かわいそうなクルトの為に真剣に考えてやろうね」
マットな質感のマニキュアを塗った長い指が、一本立てられた。
「ホワイトマンがあんたを相手にしない理由、その一。彼は既婚者であり、懐に他の女を入れる余裕がない。彼の素性については、どうせほとんど知らないんだろう?」
「もちろん。どんなに好みの人間に出会っても、軽々しく私生活に踏み込まない、踏み込ませないのがポーラーの女でしょ? 彼が結婚していようがいまいが、あたしには関係ないもの」
「そりゃそうだ。あんたの恋は長続きしないものだから、相手がいようがいまいが重要じゃないね」
「なんだか引っかかる言い方ね。まぁいいけど。参考までに、ホワイトマンの薬指、空いてたわよ」
「薬指ねぇ。そこにはまるのは、いつでも取り外しができるただの輪っかだよ。都合の悪い時だけ指輪をポケットに隠す男なんて星の数程いるさ」
マージは指を二本揃えて立て、あたしの目の前でぱかっと開いた。
「じゃあ、可能性の二つ目。ホワイトマンは実は紳士とは程遠く、手の平で女心を転がして楽しむクズ男である。売れっ子クルトが自分を気にしているのを見て、内心ほくそ笑んでいる」
「いやな気分になる案を出さないでよ」
「残念ながら、嫌な案を上乗せしようか。その三。ホワイトマンは実は女の売買をする密売人で、隙を見てあんたを商品にしてやろうと狙いをつけている」
楽しそうなマージに、あたしは肩をすくめて開き直った。
「そんなの、もう何度も考えたわ。車でアパートまで送ってもらって、部屋に上がらないかと誘った程よ? そういうことをしている人間なら、そのチャンスを逃さないと思うわ」
「そりゃまぁそうだ。それなら、可能性の四つ目。ホワイトマンは病的に忘れっぽい男で、どんな出来事もすぐに忘れる頭をしている。だから毎晩初めての感覚であんたに接している」
「何よそれ。あんまりにも突飛でぴんとこないわ。次の案をお願い」
「まぁ、これは冗談だけどね。それならとっておきの推測をしよう」
マージは右手を開き、五つ目の案を提示した。
「その五。ホワイトマンはクルトに恋をしている」
真面目な顔でそう言うマージをしばらく見つめてから、あたしは身体中の空気を吐ききる程に盛大な溜め息をついた。
「五つの案の中で一番ナンセンスね」
「どうして」
「あの人はもういい大人よ。見たところ半世紀以上は生きている、いわば人間のプロなのよ。そんな人が、男に見境なく愛を振りまくショーガールに恋ですって? 残念だけど、そんなの映画のネタにもならないわ」
指先をひらひらと振って、マージが用意したとっておきの案を追い払う。
そんなあたしを困り顔で笑い、マージは頬杖をついた。
「いくつになったって、人間は生きている限り誰かに恋をするものだろうよ」
「それを否定はしないわ。でも子供には子供の、大人には大人の恋があるでしょう」
「大人の恋? 子供のように気持ちを傾けるだけじゃいけないのかい?」
「あたしはそう思ってる。
この街に興味を持つような大人は、子供みたいな回りくどい恋愛がしたいわけじゃないもの。
相手の気持ちをああでもないこうでもないと想像して眠れぬ夜を過ごすなんて、時間の無駄だわ。
そういうのが許されるのは子供のうちだけ。
大人になってからは、面と向かって気持ちを確かめる度胸くらい持ち合わせてないと」
「そんな直球な恋、誰にでもできるものかね」
「大人は自由にできる時間が限られてるじゃない。それに、そのくらいできないとポーラーでの夜を楽しめないでしょ?」
マージが次の言葉を用意する前に、あたしはテーブルに突っ伏して耳を塞いだ。
「もういや。何も聞きたくない。ホワイトマンのことなんか、考えるのはやめにするわ。そうよ、最初から考えなければよかったのよ。そしたらこんな風に、毎日毎日変な気持ちにならずに済んだんだわ」
「へぇ、そんなに気持ちを引っ掻き回されてるんだ」
「やめてよ、そのほくそ笑み。もういいの。きれいさっぱり頭の中から追い出すの。だからマージも、この件は一切忘れてちょうだい」
「あんたが持ちかけた話じゃないか。わがままだね」
「うるさいわね。どうせあたしは、年中わがまま女よ」
意見が対立したら最後、あたしたちの話はそれ以上進展しなくなる。
互いに相手の意見に頷こうとせず、持論をかざして相手を説き伏せようと躍起になるばかりだ。
心が疲れている今は、そんな不毛なやり取りをしたくはなかった。
あたしが拒否の姿勢を取ると、マージはいつもあっさり諦めてくれる。
今回もやれやれと息をつき、空になったグラスを手に立ち上がった。
冷蔵庫から特製ドリンクの入ったピッチャーを取り出そうと膝を折り、マージは他のものを見つけて嬉しそうな声を上げた。
「おっ、今日のおやつはフィブルのロールケーキだ」
フィブルという店のロールケーキは、しっとりしたスポンジに軽いクリームがバランスよく巻かれた、ホワイトナイトの名物の一つだ。
クリームが少なめ、ほどほど、多めの三種類が用意されていて、支配人はいつも多めのを三本買ってきてくれる。
ケーキ一つで気分を変えられるものか、と思ったけれど、自分は食べないくせにやけに嬉しそうな声を上げてあたしを誘うマージの思惑に乗り、がばりと身体を起こして、ナイフを握る手に注文をつけた。
「マージマージ、あたしのは特別分厚く切ってね」
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